【わたしのストレスクリア物語 #2】

 

 

好きな仕事を、好きな時に、好きな場所で。

 

たった2つの質問で

仕事も家庭もうまくいく!

ストレスクリア・マスターコーチ、

水葵暁子です。

 

はじめましての方は こちら から。

 

 

 

 

前回からはじまった、

ストレスクリアで変化した

4年半を振り返る、

「わたしのストレスクリア物語」。

 

 

 

第1話目はこちら ↓ ↓

 

 

第2話は

母がうつになった理由、その1です。

 

 

***************

 

 

2015年、母がうつになり、

体重が30kg前半になったと聞きつつも、

 

当時は毎晩救急車を呼ぼうかと

おろおろするほど、

次男のぜんそくが悪化。

 

そのぜんそくがようやく沈静化して

飛行機に乗れるようになったのが翌年。

 

 

 

ようやく母に会えたのは

2016年でした。

 

 

あの時、

空港に、父と一緒に

迎えに来てくれた母を見た時の衝撃は

忘れられません。

 

 

 

体重の減少でほっそりしてるだろうと

予測していたのですが、

 

出迎えてくれたのは

目だけが大きく開き、口元はかすかに動く

表情のない母でした。

 

 

 

頬のあたりが動かないので

笑ってるのか、怒ってるのか、

全くわからない。

 

 

 

変わり果てた母の姿に

一瞬で体がカチンと硬直し、

動揺しそうな自分をぐっとこらえました。

 

 

 

そして、何ごともないように

「お母さん、元気そうじゃない!」

 

 

 

無理矢理笑顔をつくり、

そう言うのが精一杯。

 

 

 

家に向かう途中の車では

涙腺崩壊寸前でした。

 

 

 

なにより、

息子たちが母の異変に気づき、

変なことを言い出さないかと

ひやひやしていました。

 

 

それから1週間、

実家暮らしがはじまります。

 

 

 

私の役割は

とにかく母に

ご飯を食べてもらうこと。

 

 

 

いったい何なら

母は食べてくれるのか?

 

 

 

母に何が食べたいのか尋ねると

「なんでもいいよ」と言います。

 

 

 

なんでも食べられるように

食べられなくても

自分を責めることのないように

 

焼き魚、漬け物、納豆、

野菜のおひたし、肉野菜炒め・・・

 

 

 

一緒にパン屋に行ったり、

お総菜屋に行ったり。

 

 

ご飯、パン、麺。

 

ふだん、わが家の食卓には

こんなに品数が並ばないよ、、、

というほど、たくさん料理を並べました。

(夫よ、ごめん、笑)

 

 

 

かたいもの、やわらかいもの、

母はぺろりとキレイに

食べてくれました。

 

 

 

良かった!

食べられるんだ!

 

 

 

その次の食事も

その次の食事も

 

出したものは

ぺろりと食べました。

 

 

 

和食、洋食、中華、

外食に行っても

なんでも食べました。

 

 

 

スイーツも、フルーツも

なにもかも。

 

 

あれ???

モリモリ食べられるじゃない・・・

 

 

 

こんなに食べられるのに

どうして

体重が減るんだろう。

 

 

 

ナンカオカシイ

 

 

 

実家に戻って数日がたち、

ようやく気づき始めるのです。

 

 

 

母は

食欲がないわけでもなく、

全く食べられないわけでもない

ということを。

 

 

 

食べられるんだ・・・

 

 

 

じゃあ、なぜ体重が落ちたんだろう。

 

 

 

そこで、素直に母に聞きました。

 

 

 

「お母さん、ご飯、

どんな感じだったら

毎日食べられそう?」

 

 

 

ぼそぼそとした口調で

母から返ってきたのは

 

 

 

「ご飯が用意されていて

周りにたくさん

人がいたら食べられる・・・」

 

 

 

 

 

 

!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

母は、、、

さびしかったのでした。

 

 

 

自分のために

周りが動いてくれて

 

みんなが自分を

みてくれることで

大切にされてると

感じたかったのでした。

 

 

 

(深層心理の話であり、

母はそんなことは

言ってませんが)

 

 

 

ストレスクリアの講座のなかで

理事長が教えてくれた、

 

「人は苦しみをつくってまで

本当に手に入れたいものを

手に入れている」

 

という状態を

目の前で見せられたようでした。

 

 

 

考えてみれば

母はウツになる前に

いくつかの病気にかかっていました。

 

 

 

通院できて隔離されない

結核になり、

 

緑内障で入院手術。

 

自律神経失調症で薬を飲み、

 

いつも大変なのよ、

苦しいのよと言っていました。

 

 

 

「でも、大丈夫だよ!」

 

 

 

私がかけていたのは

「大丈夫!大丈夫!

気のもちようだよ!」

 

 

 

あの時も、

おそらく母は

私をみて・・・苦しい・・・さびしい・・・と

サインを出してたはず。

 

 

 

それなのに

むしろ真逆の声かけをしていた・・・

 

 

 

母がひとり、闇の中にいても

SOSを出していても

何も気づかなかった。

 

 

私とは違い、

おとなしくて、あまり自分を

ゴリゴリに出すタイプではない母。

 

 

 

離れて住んで20年以上とはいえ、

そんな心の声に

何も気づいてあげられませんでした。

 

 

 

そしてそのあと、

さらに決定的な

母のうつになった理由を

知ったのでした。

 

 

 

つづく

 

 

 

 

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