このところ

以前やっていたマクラメ作家時代に

購入して下さった方の声を

いくつか聞ける機会があって

 

もう作らなくなって10年くらい経つ今でも

私の作ったアクセサリーを

「好きだ」と言って下さって

その度に「もう作ってないんです・・・」と

お返事するのが

なんだか

 

申し訳ないというか

情けないというか。

 

 

13年やった作家活動の大半

私はヒーヒー言いながら

「作らなきゃ。」と何かに追われるように

ずーっと作っていた。

 

当時の私は

自分の扱い方が全然分からなくて

只ひたすら自分にムチを打って

「頑張れ」

「そんなんじゃダメだぞ」って

「もうやりたくない」

「休みたいんだよ」と言う自分を

引きずって前を進んでいたんです。

 

余裕なんて一切ないし

せっかく好きなモノづくりをしているのに

全く楽しくなかった(笑)

 

本当もったいない時間の使い方をしたなと

今になって思うんですけど

 

あの時の私に今の私が

何か言えるとしたら

 

「導いてやれ。」

 

どんなに好きな事だって

やりたい事だって

「なんかやりたくない」って日があって

 

作家活動を経て今思うのは

「やる気」なんて言葉はない。

ってこと。

 

この言葉を覚えたのって

たぶん私が中学生の時

「やる気出せ」

「やる気がないからできないんだ」って

先生が言ってたのを聞いて

そっからな気がするんですけど

 

「やる気出せ」って

結局「我慢してやれ!」って言ってて

これ言う人はだいたい

精神論でなんとかできる人が多くて

 

その人が「やりたくねーなぁ」って時に

やりたくない気持ちを我慢して

気力と根性でできたから

人にも言ってるんだと思うんですよ。

 

だったら最初から

「我慢してやれ!」って言ってくれよ(笑)

 

言わないから日本中のやりたくない人が

「やる気」探しちゃうんだよ(笑)

 

やる気なんて言葉はないんだって気づいて

徳川埋蔵金とやる気は私の中で

探してもないものの2大巨頭になったんだけど

 

「やりたくねぇなぁー」って時は

「やりたくない」自分と

「やらなきゃ」と思ってる自分の

ワーワーうるさい葛藤をやめて

「今はやりまてん!」て決めてしまうと

すっごい楽になる。

 

いわゆる「手放し」ってやつで

やりたくないのは今だけだから

一旦離れて

その時したいことを堪能してると

結構早い段階で

「そろそろやってやるか」(誰目線w)

って気になってくるんですよね。

 

「やりたくない」でも「やらなきゃ」の

葛藤してるときって

ブレーキとアクセルを一緒に踏んでてて

自動車と一緒でタイヤがキュルキュルして

タイヤが摩耗するみたいに

人にとってもストレスだし疲労する。

 

だからやりたくないなら

一旦アクセルから足を外して止まって

車から出て外の空気吸ってゆったりしてると

「ぼちぼち行こう」ってなる感じ。

 

 

 

作家の時にこれ出来てたらなぁと思ったけど

体験しないと分からない私には

必要な経験だったと思うんだよなぁ。

 

 

そしてもう一つ

あの時の自分に言いたいことは

 

「10年経っても

ファンがいるぞ!」

ってこと。