先日、教育関係者と対談する機会があり、その時に話した内容を是非ともチームのBlogにも載せてほしいと頼まれたので、書くことにしました。
あらかじめ言っておきますが、今回の記事については30歳そこらの人間が話すには少し偉そうに聞こえてしまうかもしれません。
なぜなら私には子育ての経験もなく、妻子すらいませんから。笑
ですから、自分の子どもの子育てをした経験での話ではありませんが、あくまで指導者としてこれまでにたくさんの他人の子を預かり、たくさんの保護者の方々を観たり関わったりしてきた経験という点から、指導者としての意見や、親としての在り方、子どもに対しての関わり方を述べたいと思います。
■一番大切なのは子どもが本当にそれを望んでいるかどうか
最近の小学生を見ているとお世辞一切抜きで本当に上手い!と思うことが多々あります。
自分が小学生の頃よりも断然技術はあるし、センスもある。
だけど一つ疑問に思うことがある…
親や指導者が熱心で期待しすぎるあまり、子どもの純粋な気持ちを大人がうまく利用してはいないだろうか?
例えば小学生、特に低学年とかに良くあるのが、その時点では周りから飛び抜けるくらいスーパーだと言われている子が時々いてたりする。(もちろん小学校低学年の時点ですでにサッカー歴が4~5年という子が多いのだが…)
中には幼稚園の頃からリフティングが1000回突けたり、歳が3つ4つ上の学年の試合でも平気でプレーして活躍していたり、指導者をやっていて本当に驚かされたりすることが何年かに一度くらいのペースである。
だけどそういう時に私が必ず観るのは【その子がどうなのか?】ということ以上に【その子を取り巻く環境がどうなのか?】という部分である。
親や指導者、他人の親も含めた周りの大人たちが、終始どのような立ち振る舞いを行い、どのような関わり方をしているのか。
うちに体験に来てくれた選手や他チームで目立っている選手がいれば当然そこを重点的に見ている。
気になるのは、この子がどのようにしてここまで上手くなったのかという【過程の部分】であり、大げさに言うと、目に見えないものを見ようとすることで過去と現在を結びつけ、そこから未来へとどう繋げていくのかという大妄想である。笑
すると不思議なことにハッキリとタイプが別れる気がしてならない。
私が個人的に素晴らしいなと思う【育成年代の関わり方】をしている人たちは、大人があれこれ【いちいち口出ししていない】ということ。
周りよりできるからと言って、まだまだ低学年のうちから大人があれこれたくさんのことを要求するのは、ハッキリ言って、その子の【伸びしろを消してしまう】可能性が大いにあると思う。
もちろん身体能力や運動神経が高くて成長が早い分、大人の要求に対しても難なくこなし、大人顔負けのプレーで表現する子どももたくさんいますし、もちろんその逆の子もいます。
でもどんなに成長の早い子でも、運動能力の差の開きはあっても、脳の構造や頭の中で考えて理解できるコップの容量は大人ほど大きいとは到底思えません。
だからこそ、他の子より出来るからという理由だけで、こちらからあれこれ要求したことを詰め込んでいくことにより、確かに確率の高いプレーや要領の良いプレー(世間ではサッカーをよく分かっているとか言ったりしてますが…)が増え、結果的にミスが減り【目に見えやすい成功】に導いていくことができたとしましょう。
しかし、その先もずっと出来ることを増やそうと大人がどんどん先走って教えることにより、その子は【指導者から与えられた要求】に対して一生懸命応えようとすることがサッカーをする上での【目的】となってしまう恐れが大いにある。
■親と指導者の理想の関係性とは?
そういった環境でそのまま育っていってしまった子どもたちに数多く見られる特徴がある。
本来、サッカーというスポーツの醍醐味は【自由であること】であり、生きていく上での目的は【幸せになる為の方法を自らで選択していく】ということだと私自身は考えている。
これに共感してくれる人たちであれば理解してもらえると思うが、その土台となる幼少期に対しては、いかに【自分の力】で問題を解決していくのか、困難を乗り越えていけるのかといった【苦労を子どもに経験】させることの方が、後から振り返った時によっぽど自分の経験値として成長に繋がるということがよく分かっていただけると思う。
例えば、現時点で他の花たちと比べて、自分の花だけ芽が大きく出てるからという理由で、もっともっと他の花より早く大きく育ってほしいと願い、これまで以上にたくさんの水を良かれと思い与え続けたのであれば、その花は吸収できる限界を越えてしまい、根腐れが起こり、やがては花すらも咲かせないまま終わってしまうこともある。
花に例えると、そんな事は誰だって分かっていると思われるかもしれないが、子どもたちの成長にも似たようなことが言えるのではないだろうか?
指導者や親として最も大切なのは、決して【今だけを観て判断する】のではなく【今から先を想像してから判断する】ことではないだろうか。
子どもたちに対して、こちらから【教えすぎ】たり【与えすぎ】たりということはないだろうか?
もちろん指導者に限らず、その子の親であっても同じことが言える。
そういった、他の子よりも出来る子や成長が早い子の親に多い特徴が、自分の子どもをチーム活動や試合の合間などに呼び出して、あれこれアドバイスという名目で個人指導を行っているという光景をしばしば見かける。
でも結局は【その子の為】ということ以上に、もっと上手いプレーをしてるところをたくさんの人に見てもらい、周りから「上手いですね~」とか「凄いですね~」とかチヤホヤされて【大人が認められたい】からこそ呼びつけたりしていちいち口出ししているようにしか私には見えない。
つまりは子どものプレーや結果を大人の力で強引に【コントロール】して、見ている側のストレスの少なくなるように持っていきたいのだ。
本来であれば、チームに所属して子どもを預けてる以上は監督やコーチに任せてそれを信じるべきでしょう。
親まで指導にあれこれ口出ししてしまえば、その子にとってのコーチは何人必要なのか?はたまた教えてくれる人が多い方が本当にいいと思っているのか?
何度も言うが、子どもはたくさんの大人から沢山のことをどんどん与えられても吸収できる容量は決まっている。
年齢や成長に応じた伝え方をする為にも、常にこちらは子どもの様子を気にかける必要がある。
子どものサッカーについてもしも何か感じることがあるのなら、家に帰った時に子どもの話を聞いたりそれに伴ったアドバイスをしてあげればいい。
子どもの気持ちをちゃんと聞いた上で、その子の望んでいる通りになれるよう、前向きにさせてあげれる【サポート】をしていただければ、チームの指導者としては親御さんに対して感謝してもしきれない想いでしょう。
だから親の立場、子どもへの関わり方は本当に重要だと思います。
もしもそのチームに対して、指導者が信頼できず不満があるならば、今すぐそのチームを辞めたらいい。
"選択をするのは自由"なのだから。
まぁ、あれこれ口出しするくらいの親ならばまだいいでしょう…子どもに期待しているということの表れだと思いますから。
ただ…私が一チームの指導者として一番許せない親は【試合ができる機会】や仲間との練習という【一人ではできないこと】をやらせてくれるだけの居場所として【チームを利用している】考えの親だけは許すことができません。
それなら自分がチームを立ち上げて、自分の子どもへの指導はもちろん、他人の子どもまで預かって、平等に競争させて、その中で自分の思い通り好きなことを教えたりやらせたりしたらいいと思う。
もちろん上手くいくことばかりではなく、指導者の力量として問われるのは、上手くいかなかった時や、問題に直面した時にそれを子どもたちとともに乗り越えていけるのかどうかということ。
その覚悟があるのなら、口出ししようが、否定や批判をしようが、何の文句もない。
保護者という【仮面】を被った、もう一人の【コーチ】がいるせいで、チームで教えている【本当のコーチ】の言うことがその子の中での二番目三番目の意見として扱われ、結局は一番近くの【親の言うこと】や【親の顔色】を常に伺ってチームの活動に参加している時点で、そのチームのやれること、そのチームに期待できることというのは大きく損なわれていると思う。
チームに預けている以上は、立場をわきまえ、保護者と指導者の関係性にはハッキリと一線を引くべきだし、なにより【子どもが本当にそれを望んでいるのか?】という本質から大人がズレてしまっていけない。
子どもたちはいつかは自分たちの手から離れてやがては【自立】していくということを決して忘れないでほしい。
小学生ならまだいい、中学生や高校生、大人になるにつれて、親のコントロールではどうにもならない年齢になり、遅かれ早かれやがてはその時期が来る。
その時にその子の軸となるのが、これまでにどのようにして生きてきたのか、親や指導者に育ててこられたのかという事実の部分だ。
つまり考え方や習慣を含め、その子の【癖】になっているものがそこから先の人生に多大なる影響を及ぼすことになる。
これまでの全てを自分で選択し、自分で吸収し、楽しみながら選んできたのか、はたまた、与えられたことだけを自ら考える暇もなくガムシャラに一生懸命こなしてきて、周りから認められることで納得してきたのか…
だけど、自分の人生は自由なんだと気づき始めた時、自由を与えられたからこそ自らの【考え】というものがすべての【結果】を引き起こすということを知ってほしい。
だからこそ、その時初めて自ら考えようとしてみても遅いのだ。
【考えることが苦痛】ではなくて【考えることが楽しい】と思える人間に育って欲しいと心底願っている。
その為には、大人が先走って教えたり与えたりし過ぎてはいけない。
指導者も親も、子どもに対してあくまでバランスが大切だということを肝に銘じたい。
■大人も学んでいるということに気づく
これまでは子どもに対してどのように関わり、教え与えるのかということについて書きました。
その一方で大人の関わり方としてもう一つ大切なことがあると思います。
それは…
子どもの方から自分が【学ぶ】ということ。
知識も経験もある大人たちは【教えること】にばかり熱量を注ぐ一方で、それと同等かそれ以上に子どもたちから【学ぶ】こと【受け取る】ことを決して忘れてはいけないと思います。
大人の価値観は時に大きな危険を招くこともあります。
子どもへの期待がやがて周りからの評価を気にするようになり、周りと比べて自分の子どもも同じようにと負けじと熱心になり過ぎるあまり、それに振り回されて【子どもたちが望んでいる】ものではなく【大人たちが勝手に望んでいる理想】を押し付けているように見える保護者もいるのではないでしょうか?
本当に子どもが望んでいるのであれば、大人の関わり方としては知識や経験を【押し付ける】のではなく心を込めて【伝える】ということ。
ああしろこうしろと【説得】するのではなく【納得】させることが指導の本質でしょう。
親同士の付き合い方、関わり方もそうあるべきです。
上手い子の親が偉くて、下手の子の親が何か間違っているわけではありません。
子どもたちもサッカーにおける立場と、サッカー以外での私生活での立場は全く違うということ、それぞれの【平等】とはどういうことなのか?ということは大人たちが教えないといけません。
その為には親同士の関わり方が非常に大事です。
下手な子の親は当然、上手い子の親からアドバイスを聞いたり真似しようとすることはとても参考になります。
ただ、あくまで参考だということを忘れないでほしい。
なぜならその子と自分の子はすべでが同じではないはずだから。
性格も考え方も、脳の構造も何もかも同じではないということ。
だからあくまで参考程度にしてほしい。
やらせるにしても【押し付け】ではなく心を込めて【伝えてほしい】
逆に、上手い子の親は自分の考えが全て正しいとは思わないでほしい。
下手な子の親からも何か学ぼうという気持ちで接して欲しい。
そうしたお互いの関係性を大人同士が共有し、子どもたちの前でも見せることによって、子どもたちもたくさんのことを学んでいきます。
それと同時に、大人たちも子どもたちから【教えてもらっている】【気づかせてもらってる】ということを理解する必要があります。
指導というのは本当に奥が深い。
教え方に決して正解はありません。
だからこそ親も子も冷静な判断が必要です。
この指導者だから預けたい、このチームだから選びたい、そこには様々な理由があるとは思いますが、今一度考えてみてください。
"子どもたちが心から望んでいるものは何なのか"
ということを。
長々と最後までお付き合いいただきありがとうございました。
ここで述べたことは決して誰かに向けての批判的な意見ということではなく、あくまで一指導者としての私の個人的な考え方であります。
そこに共感される方もいれば批判される方もいて当然だと思っています。
人それぞれ価値観があり、人それぞれ自分の正しさがあります。そこに間違いはありません。
"違いは違いであって、間違いではない"
ただ、サルヴァというチームの代表である以上、私の考え方に共感される保護者様が今後チームに来てくれることを心から願っております。
大人の役割と責任、同じ志を持つ同志として、子どもたちの成長のために出来る限りのサポートをこれかも行っていくことをここに誓います。
今後とも宜しくお願い致します。
FC Salva de Souza
代表 白井 洸