こんにちは。
みおです。
今日は過去記事を再編集してお届けします。
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今はリアルに新聞を取っている人は少なくなったんじゃないかと思いますが、うちは取っています。
ネット上で読むのとは違うものが得られるなあと思っています。
Amazonで本を買うのもいいけれど、実際に本屋に行くとネットでは得られない情報やインスピレーションが得られます。
それと似ている気がします。
さて、昨日の新聞に古今亭志ん朝の言葉が載っていました。
これが味わい深いなあと思ったのでご紹介しますね。
次の言葉です。
最終目的は「世の中、ついでに生きてる」というような、たかが噺家というとこね、そう思うところに早く行きたいわけですよ。
落ち込んでいた志ん朝に父の志ん生(なんとすぐに変換が出なかった)が「出世したって噺家だし、落ちぶれたって噺家」というようなことを言っていたらしいです。
そのお父さんの口癖が「ついでに生きてる」だったそうですが、いい言葉だなあと思いました。
生きる目的、生きる意味があると私たち人間は「よりよく生きられる」と思う習性があるわけですが、そんなものなくても「ついでに生きている」くらいのほうが謙虚に生きられそうな気がします。
人間、生まれてきたから生きるわけで、そして死んでいく。
それを長い年月繰り返してます。
それ以上でもそれ以下でもない。
いつ死ぬかは分からないし、せっかく生まれてきたなら「何かをしなきゃ」と思うわけで、それ自体は悪いことではないですが、そこが肥大していくと生きるのがキツクなっていったりします。
芸を極めた志ん生が「ついでに生きてる」というからまた味わい深い。
また「たかが」噺家というには、この父子はとても有名で偉大なわけですが、それでも「たかが」と思う諦観もいいなあと。
これは達観でもあるんでしょうね。
矜持と諦観があるからこその言葉。
その境地に早く行きたいと言っていた志ん朝。
パラドックスのようですが、目の前のことひとつのことに真剣に向き合っているから言えるのでしょうし、より言葉に説得力がありますね。
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