みおです。
「自分なんて大したことない」
この言葉を聞いた時にどう感じますか?
そうなの、私は自分に自信がないの
え、そんな卑下しないほうがいいんじゃない?
大したことない!なんて思わずに自分を素晴らしいと思おうよ
などが出てくるでしょうか。
「自分なんて大したことない」という言葉はよい意味には取られないこともありますが、
実は幸せになるコツの一つです。
承認欲求というのはよく聞く言葉ですが、
人に認めてほしいという欲求ですね。
おじさんなどでやたらと自慢したり、自分の威光を示そうとするのは承認欲求のあらわれ。
SNSで盛る女性なんかもそうですね。
人間である以上、承認欲求というのはあるものです。
あること自体は否定しなくてもよいんじゃないかなと思います。
あるけれどもその欲求の度合いや程度が少なければ楽です。
どうするかというと…
「自分」を認めてもらいたいの「自分」を小さくするといいんです。
自分はすごい人間じゃないといけない、
自分は人より優れていないと、
と思うと承認の器が大きくなります。
ということは満たされるために、たくさんの承認がないといけなくなります。
反対に、「自分なんてこんなもの」と思っていると器が小さくなります。
すると少しの承認でも満たされます。
なんなら溢れます。
「自分なんて大したことない」「自分なんてこんなもの」というのは卑下しているわけではないのです。
卑下はここから自分を責める方向にいきますからね。
どうして責めるかというと「もっとすごくなきゃいけない」と思っているからです。
自分は大したことないけれど、そんな自分でいい。
とまるっと受容できると自分は素晴らしい存在なんだなと思えるようになります。
承認の欲求対象の「自分」は小さくしてその自分を「受容」するんですね。
そもそも人間なんて大したものじゃないんですよ。
地球を借りてるのに勝手に縄張り決めて争って。
誰かが気に入らなきゃ悪口言って仲間外れにして。
「人間なんてその程度のモノ」なんです。
自分だけがダメなわけじゃないんです。
心だってそんなにきれいなものじゃないから、心をきれいさにしようといろんなことをする。
本当にきれいだったらきれいにしなきゃ!なんて思わないですものね。
そんな中でもきれいさに憧れるから、いろいろするわけで。
憧れは大切にしたらいいけれど、きれいそうに見える人と比べて卑下はしない。
自分の承認欲求が減ると卑下もしなくなりますよ。
自分なんて大したものじゃないと認めてしまうと世界が変わりますよ。