理想があってこそ | 我が家の、喰い、喰い、くいしんぼ

理想があってこそ


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ずーっと考えている。

でも、実はただ考えていると云う状態でいる、だけだ
という事に気が付いた。
漸く。
きっと現実を見据えて進路を決める、
という作業にはある程度ヴィジュアライズされた”理想”が必要なんだ。
こんな初歩的な事すらすっかり忘れて、
ただただ考えている、と云う漠然とした状態で
時間をどれだけ浪費してしまったか。
いや、どんな時の過ごし方にも、
決して 間違った過ごし方 は無いものだと、
それは、私の一貫したフィロソフィだから
浪費、と云う言葉には御幣があるかも知れないけど。

そうか、いつしか忘れてしまっていたのだ。
生きていく、という作業は理想と現実の狭間で蠢きながら、
そこを一ピクセルずつ埋めてゆく作業だと云う事を・・・。

理想があってこそ。

アイ・ハヴ・ア・ドリーム・・・とのスピーチを行った
ルーザー・キングJrが凶弾に倒れて40年、
マイノリティの理想、いや、アメリカという国の理想、が
実現に向けて一歩を踏み出したのだなぁ。と、思ったり。
ちゃんと、”理想”があったからだ。

まずは”理想”を固めなくては。
それもなく、主観的な感覚に導かれたわがまま、
犠牲、自我防衛、相対化、絶対化、不安、冷静、否定、肯定、昇華、
と云う渦の中、
ただただグルグルと”考えて”いたところで
渦へ差し伸べられた救出の手に気付く訳もない。
ましてや、自らの力で這い上がるなぞ。

”理想”
改めて口にするのは小恥ずかしい様にいつの間にやら思っていた。