南へ | 我が家の、喰い、喰い、くいしんぼ

南へ



いよいよ夏休み!
と、夏休みがこれ程楽しみになったのはここ近年の事。
子供の頃だって特に夏休みに対する思い入れなんてなかったのだけど。

そう、そんな楽しみな夏休みなのだけど、
私の事だからやっぱりのんびりしていて予定が組めたのは
7月に入ってから。
挙句、6月中旬に切れたヴザの更新手続きをしてくれているツヴェトカは
ホリデーに出掛けてしまい、
仕方無しにトバチナ(役所)詣でを子連れで毎日繰り返し、
担当者には少々残業を頼んでまでヴィザを出してもらったのが出発の前々日夕方。
(有難う、担当のニナちゃん)
そして、新たに発給されたヴィザを元に車の登録が済んだのはトバチナ閉館1分前・・・。

と、いう慌しさの中、
車に荷を積んでいた私はアパートの階段で転び足首に負傷、
出発予定の午前3時の1時間前には急な大雨・・・。

先が思いやられる。どうなっちゃうんだ夏休み・・・。

少々不安に襲われながら眠そうな旦那の運転する車は
国境を越え、ザグレブを過ぎ、いよいよクロアチアの大自然の中、
白み始めた空の下を南下。

リュブリャナ      ザグレブ
       ↓     ↓
   m
         ↑ ↑          ↑
   パシュマン島 ジリエ島  ドブロヴニク

こんな早朝に出た理由は、
ザダールまでのハイウエイのトンネルがボトルネックになっているから。
約6kmのトンネルが二つ(マラ・カペラとスヴェティ・ロック)あるのだけど、
どちらもトンネルは未だ工事中で両方向一車線通行になっていて、
夏の間、ここは渋滞の名所になっている。

流石に通過した時間がまだ午前6時代だったのもあって
交通量少なく、いずれもスムーズに通過。

眠い目をこすりこすり運転の旦那の休憩を取りながらも
ビオグラド・ナ・モリユ午前9時発、パシュマン島行きのフェリーに乗り込むみ、
島南端のFKKキャンプにいる先行隊、イレーナ一家に合流。

ここはFKKキャンプ。
FKK、ですから、みんな(ほぼ)裸!
そう、裸でテントを立てたり、それぞれのキャンピングカーの日除け下で
本を読んでコーヒーをすすっていたり・・・。

って、異様ですか?!
異常ですか?!

ええ、もしかしたら私も一瞬戸惑ったかもしれません。

けれど、どうせ水着を着ていてもジロジロ見られるのだし、
(最近随分視線の数も減ったけど)
むしろヌーディストの人達には 「人の身体をジロジロ見ない」、と
いう共通のマナーが行き届いているから、
自分さえ慣れてしまえばこの方が居心地が良かったりします。

それに泳ぐのだって裸の方がずっと気持ち好いし、
水から出た後の濡れた水着の気持ち悪さも無いし。
こういうナチュラリストキャンプは最低限の開発しかされていなく(トイレ・シャワー・洗い場のみ)、
木々が多く残され、静かなところもナイス。

(勿論、服を着て炭火焼をしている旦那の様子を
真っ裸でフラリとビール片手に見学に来るおじさん達はププって感じだけどね・・・。)

さて、こちら、到着した日のランチ。
パシュマン島、TKONの村のコノバ(レストラン)にて。

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蛸のダルマチア風。
ぶつ切りの蛸とジャガイモにタップリにオリーヴ・オイル。

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炭火の中でゆっくり蒸し焼き。

蛸はとろける柔らかさ、美味だけど、胃袋にガツン。
往復の炎天下の計4km徒歩と胃袋。
駆け出しはなかなかではないですか。

そして、裸で過ごした24時間の後、
いよいよ本目的地のジリエ島へ向うべく、フェリーで大陸へ戻り、
ビオグラド・ナ・モリユの市場で最後の買出し、
大量の肉と野菜を買い込むと更に南下してトリビュンの村へ。

待ち合わせ場に現れたジリエ島で借りる家の大家さん、
マリーナのボートまで私達を連れて行ってくれたのですが・・・。

そこに我々を待っていたボートの小ささたるや・・・。

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小っっ!
ちゃんとエージェントにはボートの確認をしておいたのだけど。

そう、すっかり忘れていました、 ”とてもいいボート”  とは、
クロアチアンスタンダードでのこと。

ええ、間違いなく、 とってもいいボート・・・。

これに揺られて一時間、島まで渡って行くのです。

と、いう小さなボートを目にした瞬間、
お隣一家を巻き込んでしまった私の後悔が始まりました。

大量の荷物を船底に詰め込み、船尾に乗り込んだ二家族8人と1匹、
出航後の10分、表情硬く無言・・・。

しかしながら人間慣れるもんで、大波小波に揺られてユラユラ~。
「お金払ってこんな思いをする私達ってアホだよね~!!」
「折角なのにこの程度の波じゃつまんないね!」
と、ハイになりながら漸く見えてきたジリエ島。

ボートは波穏やかな小さな湾に入り、
8人と1匹、ラゲッジ満杯の食料と共に無事上陸。

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一時間波に揺られただけあって、海は美しや。
その代わりウニが大量・・・。

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こちら、我々の一週間の住処。
庭には林檎、洋ナシ、無花果。
電気はソーラー。水も雨水使用。
と、言う孤立したロビンソンハウスってのがウリだけど、
実際は湾に10軒程建ち並ぶ家々。

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5km離れたRIVAと言う村にはフェリーが往来しているそうで・・・。
えー、もしやあのボートもはロビンソン演出の一端??
なんて、懐疑的になってはいけませぬ。

れっきとしたロビンソンツーリズムであります。


さて、この日、偶然にも4歳の誕生日の娘。

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早速、フレンチトーストで ハッピバースデー♪

プレゼントは、

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貝殻の詰め合わせ。

「海が聞こえるよー」って、
海沿いですからねぇ。

そして、泳ぐ。なんと、今夏初泳ぎ。

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赤子も泳ぐ。
長男は浮き無しで泳げる様になると、日に日に距離を伸ばす。

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暮れ行く太陽とお手製の風車を手に海風を浴びる。


店は無い、との情報に
パスタを始め、米、小麦粉、トマト缶、シェリーヴィネガー、醤油、
マスタード、鰹節、味噌、蜂蜜、水、ビール、ワイン、に、肉、野菜、果物・・・
と、一週間分の食料を持参。

の、甲斐あって、

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毎食毎食、普段以上の酒池肉林。
ビールだって、ベルギービール。

お隣さんを巻き込んでしまいましたから、
食事ぐらいは充実させないと・・・。

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と、毎食意気込んでおりました。

そんな我々の味方、お隣りの漁師さん。
ラッキーな事にイセエビを捕って来てくれる日もありました。

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こちら、焼き方さん。
何度炭火を起こしてもらったでしょう。


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徐々に手持ちの野菜が減ると、
自生のモータルを摘んで食卓に。
この草の海のバラの香りに、すっかり虜な私。

海、散歩・・・を繰り返すのどかな日々・・・。
と、思うや、突然娘が負傷。
鉄製の物干し欄干の様な物が手の指を直撃。
折れているのかどうなのかはっきりしないまま、
応急手当だけ施す。


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3日目、コノバを発見。
しっかり翌日のランチには予約まで入れて、
(勿論メガネの方がです)

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またまた蛸のダルマチア風。
前回より油分アップ。ガツン度アップ。

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赤子は初アイスクリームエクスペリエンス・・・。

ここへはアイスとビールに3回ほど訪れたでしょうか。

かくして、日に日にロビンソン感は薄れ、
きっちり食料を消費しきった一週間後には、小ボートに揺られて大陸へ。

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引き続き、タンデム走行で目指すはドブロヴニク。

距離は既に400kmを切っていたけど、
ハイウェイが途中までしかなく、結局到着は午後10時過ぎ。

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改装されたスィエタ家のラパッドの湾を見下ろす広々テラス。

そして、朝一番の静かな海の冷たさ。新雪にシュプールを描くように泳ぐ。

お子達は海泳ぎ、折り紙・・・の繰り返し。
結局250枚折り紙を使い切り、後半は紙をリユーズした程。

朝一で総合病院へ。
娘の指と、古釘を踏んだ私の足。
リュブリャナでなんて医者に掛かる事皆無なのに、
このドブの無秩序極まりない(南方特有の)緊急病院には二年前にも世話になっております。

娘の指はレントゲンの結果、少しヒビが入っているとのことで、
(素人目には見えず)ギプス着用。
よって、今後の海遊びは全てサランラップとビニール袋で防水対策。

わたしは、破傷風の注射・・・。
(家に戻って分ったけど、やっぱりちゃんと予防接種してありました。)


そして、待ってました、とばかりにスィエタが腕を振るってくれ、
引き続く酒池肉林・・・。

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ブッフ・ブルギニオン。

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夢の一皿。
パスタ様に盛られたワイルドアスパラを頬張る。

工夫してパンを焼き、

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ピザも焼き、

勿論、ラムも鶏肉も・・・。

しかしながらスィエタの料理は全て油分たっぷり。
なるほど、 ”クアンティティ・イズ・クオリティ”・・・
って名言があったな。

そして彼女は火に掛けた鍋をかき回すと
激しく怒る!「焦げ付くでしょっ!!!」、と。
スィエタ・フィロソフィ。


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お子達は初ワタアメ!
甘~い・・・。溶ける~!

そして、ドブロヴニク城壁内。

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城のポートから船に乗って念願のロクルム島へ。

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二年前の記憶に、何度も何度も
「またあそこに行きたい!」と、お子達に言われておりました。

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すがすがしい香りの松林にBGMはうるさいほどのセミ!
鳴き方は ”シャンシャンシャン・・・” かなあ。
小粒で鈍臭いセミ。

湾には豪華客船。

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丸一日ロクルムで遊び、赤子は海沿いで夕寝。

・・・と、いう緩やかに楽しい海沿いの生活。

2週間思う存分満喫して、帰路は一気に10時間走行で北上。
お疲れ様でした。無事帰宅出来ました。

楽しかった夏休み。
ドブロヴニクを出発する際、長男は声を殺して涙を流しておりました。