この映画、去年の6月に日本で封切られた映画です。

2022年のアカデミー賞脚色賞を獲った映画ですが、近くの映画館で上映されると思っていたのですが、いつになっても上映されませんでした。アカデミー脚色賞を撮った作品が何故??と思ったの

ですが私の住んでいる町はシネコンプレックスも一応はありますし、近くの大都市に行けば、それこそ全ての映画が見れるくらいで、当日やっている所を検索したのですが、余りの少なさと上映期間の身近さに???でした。YOU  TUBEで探してみると、幾つかヒットして、でも日本語のページが極端に少ない感じでした。

YouTubeでは町山&藤谷の アメTUBE で扱っていました。後はほとんど英語のページで英語が苦手な人には敷居が高いかも。かく言う私も英語は苦手でヒヤリングが全くできず、諦めました。

ただ、私がラッキーだったのは、昔アメリカでペンシルベニア・ダッチの村を見たことがあって、すぐに連想ができたことでした。(彼らは昔ヨーロッパから移民で来た人々で主にオランダ人が多かったので、ダッジという名前が付いたようです。彼らはほとんどプロテスタント系でカソリックはいないようです)だからペンシルベニア・ダッチというのは、アメリカやカナダに残る特殊な村々の一つで、古いキリスト教の教えを守り生活する人たちの集団が村の構成員ということです。もちろんその中には色々な教えがあって、その中で特に有名だったのが、ペンシルベニアにあるペンシルベニア・ダッチで、当時滞在していた友達の家からも車で行けるということで連れて行ってもらいました。村には電機はなく、車もありません。もうだいぶ前の話なので、今でもそういう生活をしているのかどうか???

当時行ったときには、女性は馬車に乗っていて服装は黒っぽい地味なものでした。髪の毛もバサバサという感じで、近くで見たわけではありませんが、(彼らは一般人との接触を嫌がっていて、近づいたりカメラを向けたりは出来なかったのです)友人の話によると彼らは、学校に行かず、服もボタンは駄目だという話でした。全米各地のこういった村ではそれぞれ違った慣習などあるのでしょう。ここでは、ボタンが駄目ということでした。彼らは電気もなく車も持たず、とうぜんTVもない生活です。女性は学校に行かないので、文盲の人も多いはずです。新聞もとっているのかどうか?ラジオ放送を聞くといってもラジオ買って持っているか、乾電池は持っているのか当時の私には想像がつかなかったのです。

そもそも宗教によって自分の行動規範を決めるって言うのが、当時の僕には理解できなかったのです。いまは、イスラム原理主義の事も報道されていますよね。理解出来ないなりにも、そういう思想があり、そういう人たちがいるということは分かっています。日本人ってもしかして、世界でもっとも宗教フリーなところがあって、家の中も神仏混交だしね。

随分話がわき道に脱線してしまいましたが、彼らの生活はどうなっているのかというと基本は農業中心の自給生活で、我々も買ったのですが、ボローニャ・ソーセージがうまかった。もちろん彼らも生活のためにお金が必要で、それで、一定の場所で自分たちの作った農産品を売っていました。ただ、そういうところも販売するのは男性で、女性は完全に下界とはシャットアウトでした。

という訳で、この映画を知った時にすぐにペンシルベニア・ダッチを思い出したのです。

 

この映画は2010年頃に実際に起こった事件を題材にしています。実際に起こったのは、ボリビアらしいのですが、撮影はアメリカで行われたようです。映画を撮るとなるとかなりの時間を要しますし、アメリカからボリビアへは交通の便が悪いし、なによりもボリビアは標高が高いのです。私も行ったことがありますが、首都のラパスは空港が4000mを超える位置で、空港に着いてすぐに具合が悪くなり、頭がふらふらしてどうしようもありません。一週間ほど前にペルーのクスコについて空港で高山病になりひどい状態になったばかりなのに、もう慣れたと思っていたらとんでもなかった。何せ見て回るところは多いわ時間制限があるわで電車でのんびり旅行している余裕がなかった。たった3週間で、パリからアメリカに飛び、そこからユカタン半島にいって、マヤの遺跡をみてまわって、首都のそばのテオティワカンのピラミッドまで、さらにアメリカに戻ってペルー行きの飛行機に乗り換えて(当時はメキシコペルー間のフライトがほとんどなかったので、一旦アメリカにも戻るしかなかった。)、首都のリマへ、リマでは博物館を見たりしてその後は時間がかかるで、飛行機に乗ってクスコへ、(これがそもそもの失敗の始まり)クスコの空港に降り立ったのはいいが、何か変で、体がフワフワするわ、空気が吸えないような変な感じでまるで宇宙遊泳しているようで気持ちの悪いことこの上ない、高山病だといわれ、薬局で薬を買うも効果なし、ホテルでマカのお茶が聞くといわれて飲んだけれど、これも試したが、あまり効かなかったようだ。それでもこれだけは、絶対に見たかったサクサイワマンの遺跡は見ることができた。ホテルで休んだので、夕方ふらふら歩いて遺跡まで登った。人がおらず、暗くなり掛かっていて、まずいなと思いながら、近くを通った若い男の子にカメラを渡して、撮ってもらった。パリで生活していたからこれがかなりやばいとは気づいていたが、体力の限界みたいな感じで、盗られたらしょうがないと諦めていた。彼は人のいい若者で、クスコの町まで着いてきてくれた。一人だったら襲われると思ったのだろう。名前も聞かなかったけれど,感謝しております。夕食食べて、ビール飲んで一晩寝て、朝には元気になったようで、ここも必見のマチュ・ピチュまで行ってきた。凄かった。サクサイワマンもマチュ・ピチュも機会があれば是非見てほしい。今日は疲れてきたので、続きは後日・・