それは、13時を過ぎた昼食後の休憩中のことでした。
何の前触れもなく襲ってきた強い吐き気。それが、私が覚えている「日常」の最後の一幕です。
次に目覚めたとき、私は自分がどこにいるのかも、何が起きたのかも分からず、ただ「ベッドに縛り付けられているような感覚」の中にいました。
原因は**「両側椎骨動脈解離」**。
それに伴う脳梗塞が、私の体の自由を奪っていました。
橋(きょう)という、生命の根幹に関わる部分の梗塞。
医師からは「これ以上の処置はできない」と告げられたといいます。
意識が混濁する中で、私は妻に「あとは頼む」と弱音を吐きました。
返ってきたのは、突き放すような、けれど力強い言葉でした。
「自分でなんとかしなさい」
今は亡き母からも、同じように背中を叩かれました。
「這ってでも、なんとかしなさい」
その言葉を胸に、生きるためのリハビリが始まりました。
けれど、現実は無情でした。
2日後には言葉が奪われ、3日後には、まるで左側からカーテンをゆっくり閉めるように、左耳の音が消えていきました。
とろみがなければ飲み込めない食事。
ナースステーションの片隅で、ヘッドレスト付きの車椅子に座り続けるだけの訓練。
自分の排泄さえままならない、先の見えない2ヶ月間。
正直に言えば、今後どうなるかなんて全く想像できなかったし、想像したくもありませんでした。
ただ、暗闇の中で「這ってでも」という言葉だけが、私をこの世界に繋ぎ止めていた気がします。
そんな絶望の淵にいた私が、回復期病院へ移る直前、自分の力で排泄ができたとき。
それは、失われた自分を、ほんの少しだけ取り戻した瞬間でした。