友達が宣伝隊長をしていた学生映画、「911の子どもたちへ」を見てきました。
アメリカ同時多発テロをテーマにしたドキュメンタリー映画。
日本の学生、アメリカの学生、アメリカの陰謀論を唱える人たち、イラクで戦争被害者の子どもたちを取材するジャーナリスト、元米兵、テロで息子さんを亡くしたお父さんなど、様々な立場からあの日の事件を語っていくという内容でした。
http://911children.com/
登場人物はいろいろな観点から分類できると思った。
国籍、誰に非があると思うのか、加害者被害者傍観者(その認識の仕方についてもいろいろな違いがある)など。
その中で印象に残ったのが、「主張する人」と「主張しない人」。
最近の自分の問題意識として、自分が主張できない人になってきているなぁと感じていた。
「主張」というのは、shouldを他人にいう事。複数ある意見、スタンスの中から一つを選ぶだけではなく、それを他人に対してもshouldと言うことを僕は「主張」だと考えています。
「主張」をとりまく自分のプロセスは
自分の体験のみを根拠にした視野の狭い主張をしていた時期
↓
いろいろな意見を体験や情報入手を通じて知り、それでも主張出来ていた時期(中間期)
↓
もっといろいろな意見を知り、価値観の多様性を知り、論理への信用を失い、主張することに臆病になった時期(←今ここ)
ってな感じで変わってきた。
要するに、いろいろな意見や立場や情報を知ることで、その中の一つを選ぶ、もしくはその中から自分なりの主張を導きだすことに臆病になってしまった。
一時期は、多様性を大事にし、他人に意見を押し付けないことが正しいと思っていた時期もある。というか、今もそういう考え方は大事だと思っている。
でも、そのまま多様性を大事にしすぎることに違和感を感じた。多様性重視の濫用だと。甘え。相互の甘え。
というわけで最近は、主張できる自分になろうと、いろいろ考え事をしてました。
そんなタイミングでこの映画を観ることができ、主張することへの勇気をもらった(怖さももらったw)。
また続き書きます。
アメリカ同時多発テロをテーマにしたドキュメンタリー映画。
日本の学生、アメリカの学生、アメリカの陰謀論を唱える人たち、イラクで戦争被害者の子どもたちを取材するジャーナリスト、元米兵、テロで息子さんを亡くしたお父さんなど、様々な立場からあの日の事件を語っていくという内容でした。
http://911children.com/
登場人物はいろいろな観点から分類できると思った。
国籍、誰に非があると思うのか、加害者被害者傍観者(その認識の仕方についてもいろいろな違いがある)など。
その中で印象に残ったのが、「主張する人」と「主張しない人」。
最近の自分の問題意識として、自分が主張できない人になってきているなぁと感じていた。
「主張」というのは、shouldを他人にいう事。複数ある意見、スタンスの中から一つを選ぶだけではなく、それを他人に対してもshouldと言うことを僕は「主張」だと考えています。
「主張」をとりまく自分のプロセスは
自分の体験のみを根拠にした視野の狭い主張をしていた時期
↓
いろいろな意見を体験や情報入手を通じて知り、それでも主張出来ていた時期(中間期)
↓
もっといろいろな意見を知り、価値観の多様性を知り、論理への信用を失い、主張することに臆病になった時期(←今ここ)
ってな感じで変わってきた。
要するに、いろいろな意見や立場や情報を知ることで、その中の一つを選ぶ、もしくはその中から自分なりの主張を導きだすことに臆病になってしまった。
一時期は、多様性を大事にし、他人に意見を押し付けないことが正しいと思っていた時期もある。というか、今もそういう考え方は大事だと思っている。
でも、そのまま多様性を大事にしすぎることに違和感を感じた。多様性重視の濫用だと。甘え。相互の甘え。
というわけで最近は、主張できる自分になろうと、いろいろ考え事をしてました。
そんなタイミングでこの映画を観ることができ、主張することへの勇気をもらった(怖さももらったw)。
また続き書きます。
