3月11日10:05発羽田空港から青森に向かう。いい天気。
1週間のお休みをいただいた後の出張。気合いが入る。ちなみに仕事は、野口健さんの講演会。例のやつね。。青森開催は今回初めて。
11:30頃青森空港着。そこからバスで青森市内入り。まっすぐ青森文化会館を目指し、文化会館内のレストランで昼食。
FM青森の担当と合流し現地打ち合わせ。会場内を見せていただき、翌日(当日)の段取りを昼食を食べたレストランで、コーヒーを飲みながら打ち合わせ。
健さんたちの青森入りは15:15フライトの便で青森入りする予定でした。これまでに、講演会に来る予定の人たちとも再度連絡をメールで取り合い確認。食事する場所にも連絡を入れていた瞬間。
あっ地震だ・・・・・。最初は相当ゆっくり揺れて徐々に大きくなる。外に目を向けると信号が消えている。支柱は揺れている。かなり長い揺れと大きさに唖然とし。。。
会館内では避難誘導を支持され、一度会館外に出るも、外は吹雪いていて相当寒かった。多分会館にいた人は50人くらいだったかな?寒さに耐えることができなかったのを、会館の人が見かねて、ホール内で様子を見るように指示がありホール内に。
地震のあった瞬間からメールや携帯電話つながらず。繋がっているのはIPhoneのTwitterのみでした。
ここからが本題。
まずはじめにしたことは、FM青森の本社に状況確認に。
放送局はバックアップの非常電源を利用して放送はできていました。ただバックアップ体制については、WEBもメールもFAXも繋がらずと言う状況下、社員のみなさんが情報を集めるのに一生懸命動かれていました。もちろん、ご家族の事も心配される中で動いている放送局魂を見せつけられたんです。
こちら側ではまず、情報収集。講演会ができるのか?スポンサーと事務局サイドと健さんと連絡を取るすべがツイッターでしかないこと。もちろん携帯電話もメールも繋がらず状態で、唯一連絡手段がIphoneからのツイッターでしかなかった。
講演会を中止にするのかどうかが重要なポイントでした。
そんな中、15:15フライト予定だった、クライアントの担当と野口さんと小島マネージャは羽田空港にて待機しており、その間もツイッターで連絡を取り合い・・・・・。
・飛行機が飛ばない事が分かる。
・東北新幹線も動かない
・青森市内は停電で復旧する見込みが今のところ無い。
健さんの現地入りが不可能。翌日も飛行機が飛ぶか分からない。
こんな中メールをいただいた方々、全く読めていませんでした。会社の担当とのやりとりもツイッターのDMで行い、中止を判断。FM青森の社長ともお話しをさせていただき判断させていただきました。
ここからは、放送内で中止の告知を入れてもらったりの対応で。
もちろん、青森市内は停電ですから、携帯の充電もできず心細くなっていく一方でして
講演会当日にお手伝いいただく予定の書店さんも停電になって早々に閉店。慌ただしくされておりました。
とりあえず、ホテル大丈夫か?もちろん停電しているんだけれど行って見ると、非常口に付近に数人の人だかりがあったので、声を掛けてみる。ちなみに外は猛吹雪な状況。
「ホテルの方ですか?」
「はい、宿泊の方ですか?」
と通常のやりとりをするんですが、私が予約をしている事が分かると、まずはフロントに案内してもらいました。
非常階段に登るときも、
「こんな状況で大変すみません・・・」と声を掛けていただき、懐中電灯で足下を照らされながらフロントに上がりました。
いやいや、こちらこそですよ。
自分たちも被災されているのに、お客様優先の対応で本当に暖かい気持ちに。
ちなみにこのホテルは、リッチモンドホテル青森です。
フロントにて、私以外は来られなくなったことを伝え、7階にある部屋721号室に通され、非常灯(小さい懐中電灯)を手に一度表に、晩ご飯も入手できずでしたので、FM青森の方と近くの空いていると思われるコンビニエンスストアに行くことに。
このホテルの1階にもローソンがあるんですが17:00に閉まった模様。ちょっとでもいいから食べ物を!と思っていましたが、このローソンは営業して折らず、その次に近かったデイリーストアも営業して折らず、ちょっと行った先のローソンでは営業していました。店員の方が一生懸命レジをされていました。ここに集まっているお客さんだれひとりとも文句を言わず、会計されている。
素晴らしい姿勢でした。
※ローソンによっても経営者が違うとこういう対応なのかと感じた瞬間でした。
ちなみに購入した物は、主食となるものが一切無く、ビール2缶と鮭とば、ポテトチップス、漫画本(気晴らしのために)など。
携帯の充電池も売り切れ。カップラーメンも売り切れ。でした。
またホテルに戻り、真っ暗な部屋で、非常灯をつけながら漫画を読み、ビールを飲む。
寝付けないというより寝られない。
余震が来る度に揺れるのと同時に無音の部屋にきしむ音が響く。・・・・音がないのは不安になるんです。相当不安だったんです。その時、鞄の中に山ラジオがあるのを思いだしまして、手に取り周波数をFM局に合わせた。
この音が最初は不快で。。。リスナーのメッセージをパーソナリティが話すんですが、
「私はメッセージしかできないけれど、どうか被災地のみなさん頑張ってください」と何回も言われているんだけれど、正直おまえらこちらの気持ちなんて分からないくせに!って思っていました。聞き始めたころ。中西哲生さんの声、正直うざいだよ~・・・って思っている自分がいた。これ事実。
でもね、何回も連呼される、励ましの音楽がかかる、メッセージが流れる。また音楽が流れる。
ニュースも流れる。
中西さんが言う、ニッポンが1つになるときだ!とのメッセージを聞く。まだまだこんなモンじゃないぜ!日本人。と聞く。
おいおい、俺だけが不幸なんじゃないって段々思えてくる。このメッセージが段々暖かく感じるようになってきたんです。
そもそも、停電だからテレビもつかない。全体の情報が全くない中で、自分勝手な自分がいたんだよ。心がすさむ瞬間でこんなところになるんですね。
途中でラジオの電池切れになり、コンビニに購入しに行ったんだけれど、店やってません。猛吹雪にみまわれホテルに戻る。非常階段の扉が開かない(汗)
駐車場入り口にある管理人室のようなところで、警備員さんがいたので開けてもらい、入る。
ホテルのフロントでペットボトルの水と単4の乾電池をもらい,部屋に。ここでも笑顔で対応される。
一晩中うとうとしながらも、余震が来る度にハッと目が覚め、部屋の中に響くぎしぎし言う音。部屋のベッドに入ったり椅子に座ったりと落ち着かない中、3時頃非常灯の明かりが消える。電池切れかと思ってたまたま持っていた単3の乾電池を入れてみたけれどつかない、弾切れだった模様。
ますます真っ暗な中で、余震の揺れを感じながら、ラジオを聞く。ラジオから聞こえてくるメッセージと音楽で段々温かい気持ち担ってくるのが分かるんです。
ラジオがあって本当に良かった。
夜も明けつつ、朝6時くらいに一度もうチェックアウトしようかと考えたんですが、自分に落ち着けと言い聞かせて、またうとうとと・・・・・してました。
で気がついたら8時・・・まだ停電は復旧していない状況下で、外が明るくなりこれならと思い、ベッドを這い出して、ロビーに向かったんです。
ロビー階のレストランでは、朝食が振る舞われていました。
調理担当の方が、すみません、あり合わせの物しかありませんが・・・・とのこと。
どこまでこのホテルの人達は低姿勢なんだとつくづく感心。
暖かいスープが飲めたり本当に嬉しい限りでした。
そして会場に来られるかもしれない、お客様のために、会館に向かい・・・・お客様対応を。
昼過ぎに市内の停電が復旧し始め、お昼を食べていたら、飛行機が飛び始めたとの連絡が入ったので、青森空港に向かったんです。
そしたら、新幹線組の方々が、飛行機に移動してきたため、大人数がチケット売り場で並んでいる。それを横目に見ながら、最終の予約している便で帰ることを決め、ロビーにあるテレビに目をやると、津波の映像がずっと流れている。それを真剣に見ているお客さんたち・・・・・
かなりの心労に見舞われたため、会議室っぽいところで毛布をいただき、横になって待つ。
全然来なかったメールが一斉に入り込む。
まつこと5時間以上、20:40フライトの飛行機に乗る予定だったが、結局乗れたのは21:30過ぎ、そして羽田に着いたのは24:00近くだった。自宅に着いたのは25:00近くだった。
翌朝、自宅は停電にはなってなかったので、携帯電話を充電できたので、ツイッター始めたら、健さんから電話がかかってきたの。
心配してくれていたみたい。本当にうれしかった。
まあぐったり寝込んだけどね。その日は・・・・・
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まだまだ復興が進んではいない様子ですが、何かできていくと良いなあと思う今日この頃ですね。
