年末の仕事納めの週に朝風呂場でかがんで朝シャンしているときに、一発くしゃみをした。そのときに腰に「バリっ」と電気が走った。あ・なんか変だ。とりあえず2階のダイニングで朝食を食べようと思ったのだが、その階段が登れない…初の「ぎっくり腰」だった。大学の頃に1回練習中に椎間板ヘルニアをやったことがあるのだが、再発があったのかもしれない。
初のぎっくり腰の症状はきわめて重く、寝返りひとつ打てなかったし、咳もくしゃみもできなかった。食事は寝ながらでも食べられる程度の軽食しか食べれなかったし、トイレには文字通り這っていった。何をやっても痛むので眠ることすらままならなかった。
着任から1年半の歳月が流れ、DVDは支店に配布され、事務処理要領はなんとか完成を迎えた。その間、特に冷酷係長と粘着次席のいびりは執拗で冷酷で矢吹が何か言えば揚げ足を取り粘着次長はネチネチと説教を繰り返し、冷酷係長はヤクザの追い込みのように矢吹を発狂寸前まで追い詰めた。
以下は矢吹が部屋で1人酒をしながらノートに残したメモである。
「怖い。怖い。怖い。そんなに自分が悪いのか。会社は生まれ変わりたいのではないのか。自分はどう変われば許してもらえるのか。もう無理だ。自分が自分に生まれてきたことを心から呪う。こんな自分は破壊してしまいたい。来世があるなら、もっと誰にでも愛される人間に生まれ変わりたい。」
実際この頃の矢吹はすっかり笑うこともなく無口になっており表情も変化に乏しいばかりか、3食食べていないことに気付かなかったり、顔にチックがあらわれ人に話しかけるとビクっとするような反応を見せていた。まるでDVを長年受けてきた子供のように。心療内科にかかったわけではないが、恐らくはうつ病かPTSDと診断される可能性が高かった。
裏道課長は表向きは、そんな矢吹を人前でのみ「ゆっくり休んで身体を大事にな」と気遣うポーズをとっていた。もちろん周囲に対するアピールで100%保身のためだ。
ただ、状況的には周囲の別の担当の方が矢吹の状況を気遣うようになってきていた。休憩室でため息をついていると「大丈夫か?顔色が真っ青でかなりしんどそうだぞ?」と声をかけてくれたり、他の管理者に「このままじゃ矢吹はつぶれます。」と上申してくれたりした。
そんなある日支社の人事部から呼び出しを受けた。
矢吹は誰もいない打ち合わせ卓に呼ばれると、人事課長から
「だいぶ冷酷係長にやりこめられているらしいけど大丈夫なのか?」
と聞かれた。
「大丈夫です。仕事ですから。」
矢吹は「大丈夫か?」と聞かれたら半分死にかけていても100%「大丈夫です」と答える人間だった。体育会で徹底的に刷り込まれた不屈の精神…だったわけではない…というか大多数の真面目な人間がそう反応するのではないだろうか?「人事課長少し聞き方考えろよ。」というのが本音だった。
また矢吹としても、これまで毎年昇格を繰り返し、今年昇格を果たせば係長として支店に配属されることがほぼ運命づけられていた。奇跡的にではあるが4年連続で昇格を果たしており、同期最速の昇進速度を維持していた。2年近く我慢して今ギブアップして平社員で支店に戻るなどまっぴらごめんだった。ただでさえバブル期採用で雇用枠が増え管理職につける枠は恐ろしく狭くなっている。係長のポスト程度でもたついているようでは、未来はない。
しかし人事の下した判断は2月1日の昇進予定を前にして支店への転勤であった。つまりその年の昇進は見送るということである。職場の同期はその後予定通り昇進を果たした。矢吹は歯軋りした。
結局矢吹が支社で得たものは、十二指腸潰瘍とぎっくり腰と計り知れない精神的苦痛だけだった。
あなたが私にくれた物キリンが食べ残したピラフ。
大助だったけど花子がいたなんて。
壊れた矢吹のリハビリ先は東京北支店だった。
【続く】
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ぽちっとくれないと「第2章 モテキ」書けなーーい
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