Japanese immigrant history in Brazil - 日系移民の歴史
多分これって、齢を重ねたためなんだと思う。
最近、いろんなものがつながるのよ、私の頭の中で。
やっぱり見聞の少ない若い頃には、つながらなかった点と点が、頭の中に雑多ながらもいろんなものが貯蔵されてるおかげで、「ひっかかり」みたいな、「とっかかり」みたいなものができて、それを手がかりにいろんなものがときどきうまくつながるようになる。
その最たるは歴史。最近、歴史がおつむのなかでいろいろつながって、教科書の中のお題目でしかなかったひとつひとつの歴史的出来事や人や国の動きがつながるようになってきた。因果関係が見えるようになってきた。私もちょっとは大人になったか?
1853年のペリー来航。ペリーさんなんてたった一人のアメリカンじゃないか。
学校で、日本から勇敢にも飛び出した人のことはどれだけ子供達に教えているのか?
日本を飛び出して行った人たちの歴史に魅せられたわたし。もっと知りたい、もっと知りたいと、インターネットを物色していたらとっても良いサイトに巡りあえた。
是非時間をつくって読んでもらいたし。
ブラジル移民の100年
15世紀から17世紀まで続いた大航海時代に、ヨーロッパの人たちはこぞってアメリカ大陸、アジアなどを席巻した。現地の人は殺されたり、ヨーロッパからもたらされた疫病に倒れたり、追いやられたり、はたまた最初は男性ばかりが船に乗り込み遠方はるばるやってきたわけだから、現地の女性たちは行きついた先での妻になり、家族になった。土地やリソースを得たヨーロッパ人たちが次に欲しかったのは労働力だ。ヨーロッパの近くにあったアフリカ大陸で人を鎖に繋いで船に乗せた。向かった先は新天地だ。労働力をほしがるプランテーションの主たちは奴隷貿易から豊富な労働力を享受した。
奴隷というと、なんだか真っ先にアメリカ合衆国を連想してしまうけれど、地図をみると一目瞭然、アフリカ大陸にもっと近いのはブラジルだ。ブラジルにも多くのアフリカからの人たちが奴隷として売買されてやってきた。アフリカから奴隷として売られたニンゲンの数は1500万人とも言われている。
その挙げ句、ブラジル人たちの肌の色がどんどん黒くなった。明治維新から20年後の1888年、ブラジルでもいよいよ奴隷制度が禁止になった。そのころブラジルの政府は、whitening 政策(これ以上アフリカ系の血を混ざらないようにコントロールする)の一貫として、日本人、中国人など極東からの移民を誘致した。誘致の理由は、奴隷のreplacementとなる労働力の確保だ。パリで調印がされた。
日本の記事やメディアでは、ブラジルは差別がないので移民先として好まれたとか、奴隷制度が排除されて、、、なんていっているけれど、もうちょっと留意してみるといい。
日本は、食糧不足に困っていた。人口増加も政府の懸念だった。日本では人々が、5倍稼げるとか、お腹いっぱい食べられるとか、いろいろ「おいしい話し」を聞いて、その気になった。
ここで忘れちゃならないのは、日本が先進国になったのは戦後だと言われているけれども、よく考えてみると日本は相当前からかなりソフィスティケートされた国だった。江戸時代、江戸は下水もちゃんと管理された世界一すすんだ都市だったっていわれている。なので、貧しくひもじく何もわからない野蛮人が言葉通り「食う」ために海を渡ったわけではない。スキルや知識を持った人たち、武士、大工さんなども海を渡った。
もうひとつ忘れちゃいけないのは、日本人の移民はみんな自由意志で移民した。
捕まえられて鎖で繋がれて無理矢理連れてこられたわけではない。
現地の人がいて、ヨーロッパから入植してきた人がいて、奴隷として連れてこられた人たちの末裔がいて、そこに極東からの人が流れた。
受け入れ側のブラジル政府は、家族のいる移民を受け入れることを希望した。
出稼ぎで数年ちゃちゃちゃと稼いでちゃちゃちゃと帰国されてしまうのではなくて、多分根をはって暮らしてほしかったのだろう。
アメリカ合衆国に渡った移民の日当は結構割りがよかったみたいだ。ブラジルはそれほどではないけれども、当時の日本人は、「人種差別」がそれほどないと思ったらしい。ブラジルの人種差別についてはまた機会があったらふれてみたし。
多分これって、齢を重ねたためなんだと思う。
最近、いろんなものがつながるのよ、私の頭の中で。
やっぱり見聞の少ない若い頃には、つながらなかった点と点が、頭の中に雑多ながらもいろんなものが貯蔵されてるおかげで、「ひっかかり」みたいな、「とっかかり」みたいなものができて、それを手がかりにいろんなものがときどきうまくつながるようになる。
その最たるは歴史。最近、歴史がおつむのなかでいろいろつながって、教科書の中のお題目でしかなかったひとつひとつの歴史的出来事や人や国の動きがつながるようになってきた。因果関係が見えるようになってきた。私もちょっとは大人になったか?
1853年のペリー来航。ペリーさんなんてたった一人のアメリカンじゃないか。
学校で、日本から勇敢にも飛び出した人のことはどれだけ子供達に教えているのか?
日本を飛び出して行った人たちの歴史に魅せられたわたし。もっと知りたい、もっと知りたいと、インターネットを物色していたらとっても良いサイトに巡りあえた。
是非時間をつくって読んでもらいたし。
ブラジル移民の100年
15世紀から17世紀まで続いた大航海時代に、ヨーロッパの人たちはこぞってアメリカ大陸、アジアなどを席巻した。現地の人は殺されたり、ヨーロッパからもたらされた疫病に倒れたり、追いやられたり、はたまた最初は男性ばかりが船に乗り込み遠方はるばるやってきたわけだから、現地の女性たちは行きついた先での妻になり、家族になった。土地やリソースを得たヨーロッパ人たちが次に欲しかったのは労働力だ。ヨーロッパの近くにあったアフリカ大陸で人を鎖に繋いで船に乗せた。向かった先は新天地だ。労働力をほしがるプランテーションの主たちは奴隷貿易から豊富な労働力を享受した。
奴隷というと、なんだか真っ先にアメリカ合衆国を連想してしまうけれど、地図をみると一目瞭然、アフリカ大陸にもっと近いのはブラジルだ。ブラジルにも多くのアフリカからの人たちが奴隷として売買されてやってきた。アフリカから奴隷として売られたニンゲンの数は1500万人とも言われている。
その挙げ句、ブラジル人たちの肌の色がどんどん黒くなった。明治維新から20年後の1888年、ブラジルでもいよいよ奴隷制度が禁止になった。そのころブラジルの政府は、whitening 政策(これ以上アフリカ系の血を混ざらないようにコントロールする)の一貫として、日本人、中国人など極東からの移民を誘致した。誘致の理由は、奴隷のreplacementとなる労働力の確保だ。パリで調印がされた。
日本の記事やメディアでは、ブラジルは差別がないので移民先として好まれたとか、奴隷制度が排除されて、、、なんていっているけれど、もうちょっと留意してみるといい。
日本は、食糧不足に困っていた。人口増加も政府の懸念だった。日本では人々が、5倍稼げるとか、お腹いっぱい食べられるとか、いろいろ「おいしい話し」を聞いて、その気になった。
ここで忘れちゃならないのは、日本が先進国になったのは戦後だと言われているけれども、よく考えてみると日本は相当前からかなりソフィスティケートされた国だった。江戸時代、江戸は下水もちゃんと管理された世界一すすんだ都市だったっていわれている。なので、貧しくひもじく何もわからない野蛮人が言葉通り「食う」ために海を渡ったわけではない。スキルや知識を持った人たち、武士、大工さんなども海を渡った。
もうひとつ忘れちゃいけないのは、日本人の移民はみんな自由意志で移民した。
捕まえられて鎖で繋がれて無理矢理連れてこられたわけではない。
現地の人がいて、ヨーロッパから入植してきた人がいて、奴隷として連れてこられた人たちの末裔がいて、そこに極東からの人が流れた。
受け入れ側のブラジル政府は、家族のいる移民を受け入れることを希望した。
出稼ぎで数年ちゃちゃちゃと稼いでちゃちゃちゃと帰国されてしまうのではなくて、多分根をはって暮らしてほしかったのだろう。
アメリカ合衆国に渡った移民の日当は結構割りがよかったみたいだ。ブラジルはそれほどではないけれども、当時の日本人は、「人種差別」がそれほどないと思ったらしい。ブラジルの人種差別についてはまた機会があったらふれてみたし。