generation - 年代
『アラフォーなんてもうおじさんXおじさんよ』なんて言っちゃったりするのは、比べている対象が20代や30代だったりするからで、アラセブなんかに比べたら我らは若者なのである。
everything is relativeなわけで、年代でくくって年寄り扱いしたり、分析したりするのは、あまりよろしくないと思う。
よろしくないと思うんだけど、ここ数年気になっていたことがある。
よろしくないと思ってたから、時々口に出したくなっても出さないできた。
それが何かっていうと、我々世代に比べて30歳くらい年上の日本人のヒト達のことだ。我々がお尻あおい若者だったときに、今の若者はとおしかりを受け、会社では上司として君臨し、巷では、我々にしてみたら『おじさん』や『おばさん』だったヒト達のことだ。
戦中派、戦後派、いずれにしても、行動成長期に働き、就寝雇用制度や、年功序列の中で、仕事人生を全うし、定年をしたようなヒト達だ。自分達の親の世代といってもいいかもしれない。
日本に帰国して3年半が経ったけど、帰国して間もなくしてまず気にかかったのが、街中で怒れるヒトに遭遇すると、十中八九がこの年代のヒト達だってことだった。人のことを言えた義理ではないけど、かなり了見の狭い怒り方というか、閉鎖的な怒りの表し方というか、ぶっちゃけ、いや~な感じのつまらないことについての怒りの表し方が気になった。
何をそんなにイライラしてんねん?
何がそんなに気に入らないのよ?
ってなおっさん、おばさんに遭遇する頻度が高かったわけ。
許容が狭いっていうか導線が短いっていうか、なんともまあ切れやすいっていうか。ぴきってきてその負の感情を回りに知らしめるまでのリードタイムの短さよ。
そして、これらの年代のヒト達が、私の経験値でいくと、もっとも他人に譲れないヒト達。
エレベーターを降りるとか、電車に乗り込むとか、病院の受付とか、なんでもいいんだけど、我れ先にと先走るのも、私の経験値でいくと、この年代のヒト達だと思った。
だいぶ遠くから空いている席をめがけて電車の中で邁進してきたり、電車の中で5、6人で連れ立って大きな声で盛り上がって周りが見えなくなっちゃっているのもこの年代のヒトが多いとみたね。
会社社会でも、自分より『目下』のヒト達へのあたりが強いのもこの手の年代だったんじゃなかろうか?部下にも敬語でコミュニケーションを取っていたヒトの割合が低そうである。
ブッフェみたいなところでも元取ったるで~精神で謳歌するのもこの年代のヒト達の割合が多そうである。
でも、ブッフェで闘争心を発揮するとか、電車の中での座席の取り合いとか、その手のことはまだ、かつてはオバタリアンなんてマンガが受けたほどだから、世の中も許容しているんだと思う。テレビのバラエティなんかをみても、おばちゃんXあつかましキャラを売りにしている個性派女優さんがいたりして、日本の今の文化の中では笑いの源泉になっていたりもしてるんだと思う。
そういうヒト達を温かい目で見られない、若者の方が逆に冷ややかにみらえちゃうような感じ。
そんなおっちゃんやおばちゃんに目くじらたてなさんなって。
まさにその通りだと思う。まともにとりあうほどのことでもないとしないときりがない(笑)
日本の国内ならそのまま目をつぶるしかないのかもしれない。そのままののりで海外に出られちゃまずいけど。
けど、帰国して間もなくのころ、この年代のヒト達には、いらいら、沸々、悶々として日々暮らしているヒトが多いのかと気になってしまった。そんなに怒りをあらわにすることか~って。
ちょっともたもたしていた初心者運転のひとに、新米のジムのインストラクタのあいさつがなってないと、ジムの中のフロアをプールからでてきて濡れた足であるく者がいると、比較的小さなことで怒りの頭角を次から次へと男性も女性も表して行くのである。かと思うと、この手の世代の女性は、モラルを疑いたくなるほど、ジムの更衣室に備えてあるアメニティを乱用したりしてのける。
挨拶がないと気を悪くしているヒト達が多いのもこの世代だけど、挨拶はこっちから先にしなくちゃいけないっていうこっちだとかあっちだとってないと思うんだよね。挨拶をされないのなら挨拶を先にしてあげればいい。
そんなこんなの程度ならまだしも、帰国して時間が経つごとに、日本の3面記事に触れる機会が自ずと増えて、今度は気になるのを通り越して、心配になってきた。
この世代の普通のヒト達が起こす事件が多いことだ。とっても閉鎖的で島国チックで寒い。
終戦直後は大変だったかもしれないけれど、高度成長期には頑張っただけ自分の生活も潤った、一昨年より昨年が、昨年より今年がと生活が向上した社会人人生を送り、高学歴でなくても金の卵と大切にされ、どんな稼業でもどうにか潤って来た世代なのではないだろうか。
サラリーマンをしてきたヒト達だって終身雇用制度と年功序列制にプロテクトされ、奥さんもとくに職業をもたずに家事に専念をして裏側から支えてもらってきた、ある意味今の若者よりもbetter offな人生を全う出来たヒトも多いはずなのに、のっけから否定的なマインドセッティングで他者を責めるようなアプローチから入ってこられる。
この年代のヒト達からぷ~んとにおってくる不幸感は私の気のせいか?
『アラフォーなんてもうおじさんXおじさんよ』なんて言っちゃったりするのは、比べている対象が20代や30代だったりするからで、アラセブなんかに比べたら我らは若者なのである。
everything is relativeなわけで、年代でくくって年寄り扱いしたり、分析したりするのは、あまりよろしくないと思う。
よろしくないと思うんだけど、ここ数年気になっていたことがある。
よろしくないと思ってたから、時々口に出したくなっても出さないできた。
それが何かっていうと、我々世代に比べて30歳くらい年上の日本人のヒト達のことだ。我々がお尻あおい若者だったときに、今の若者はとおしかりを受け、会社では上司として君臨し、巷では、我々にしてみたら『おじさん』や『おばさん』だったヒト達のことだ。
戦中派、戦後派、いずれにしても、行動成長期に働き、就寝雇用制度や、年功序列の中で、仕事人生を全うし、定年をしたようなヒト達だ。自分達の親の世代といってもいいかもしれない。
日本に帰国して3年半が経ったけど、帰国して間もなくしてまず気にかかったのが、街中で怒れるヒトに遭遇すると、十中八九がこの年代のヒト達だってことだった。人のことを言えた義理ではないけど、かなり了見の狭い怒り方というか、閉鎖的な怒りの表し方というか、ぶっちゃけ、いや~な感じのつまらないことについての怒りの表し方が気になった。
何をそんなにイライラしてんねん?
何がそんなに気に入らないのよ?
ってなおっさん、おばさんに遭遇する頻度が高かったわけ。
許容が狭いっていうか導線が短いっていうか、なんともまあ切れやすいっていうか。ぴきってきてその負の感情を回りに知らしめるまでのリードタイムの短さよ。
そして、これらの年代のヒト達が、私の経験値でいくと、もっとも他人に譲れないヒト達。
エレベーターを降りるとか、電車に乗り込むとか、病院の受付とか、なんでもいいんだけど、我れ先にと先走るのも、私の経験値でいくと、この年代のヒト達だと思った。
だいぶ遠くから空いている席をめがけて電車の中で邁進してきたり、電車の中で5、6人で連れ立って大きな声で盛り上がって周りが見えなくなっちゃっているのもこの年代のヒトが多いとみたね。
会社社会でも、自分より『目下』のヒト達へのあたりが強いのもこの手の年代だったんじゃなかろうか?部下にも敬語でコミュニケーションを取っていたヒトの割合が低そうである。
ブッフェみたいなところでも元取ったるで~精神で謳歌するのもこの年代のヒト達の割合が多そうである。
でも、ブッフェで闘争心を発揮するとか、電車の中での座席の取り合いとか、その手のことはまだ、かつてはオバタリアンなんてマンガが受けたほどだから、世の中も許容しているんだと思う。テレビのバラエティなんかをみても、おばちゃんXあつかましキャラを売りにしている個性派女優さんがいたりして、日本の今の文化の中では笑いの源泉になっていたりもしてるんだと思う。
そういうヒト達を温かい目で見られない、若者の方が逆に冷ややかにみらえちゃうような感じ。
そんなおっちゃんやおばちゃんに目くじらたてなさんなって。
まさにその通りだと思う。まともにとりあうほどのことでもないとしないときりがない(笑)
日本の国内ならそのまま目をつぶるしかないのかもしれない。そのままののりで海外に出られちゃまずいけど。
けど、帰国して間もなくのころ、この年代のヒト達には、いらいら、沸々、悶々として日々暮らしているヒトが多いのかと気になってしまった。そんなに怒りをあらわにすることか~って。
ちょっともたもたしていた初心者運転のひとに、新米のジムのインストラクタのあいさつがなってないと、ジムの中のフロアをプールからでてきて濡れた足であるく者がいると、比較的小さなことで怒りの頭角を次から次へと男性も女性も表して行くのである。かと思うと、この手の世代の女性は、モラルを疑いたくなるほど、ジムの更衣室に備えてあるアメニティを乱用したりしてのける。
挨拶がないと気を悪くしているヒト達が多いのもこの世代だけど、挨拶はこっちから先にしなくちゃいけないっていうこっちだとかあっちだとってないと思うんだよね。挨拶をされないのなら挨拶を先にしてあげればいい。
そんなこんなの程度ならまだしも、帰国して時間が経つごとに、日本の3面記事に触れる機会が自ずと増えて、今度は気になるのを通り越して、心配になってきた。
この世代の普通のヒト達が起こす事件が多いことだ。とっても閉鎖的で島国チックで寒い。
終戦直後は大変だったかもしれないけれど、高度成長期には頑張っただけ自分の生活も潤った、一昨年より昨年が、昨年より今年がと生活が向上した社会人人生を送り、高学歴でなくても金の卵と大切にされ、どんな稼業でもどうにか潤って来た世代なのではないだろうか。
サラリーマンをしてきたヒト達だって終身雇用制度と年功序列制にプロテクトされ、奥さんもとくに職業をもたずに家事に専念をして裏側から支えてもらってきた、ある意味今の若者よりもbetter offな人生を全う出来たヒトも多いはずなのに、のっけから否定的なマインドセッティングで他者を責めるようなアプローチから入ってこられる。
この年代のヒト達からぷ~んとにおってくる不幸感は私の気のせいか?