who is driving us - 誰がひっぱってってくれるの? 2


<過去の関連記事>
who is driving us - 誰がひっぱってってくれるの?

現在放送中のRonald A. Heifetz教授によるハーバード白熱教、私は面白いと思って学ばせてもらっています。脳みそのビタミンって感じです。

リーダーシップっていうのは生まれついての性質なのか?
リーダーシップなんてもんは教えようったってなかなか教えられるもんじゃないのか?
30年前のアメリカでは、リーダーシップについての教育の場なんて軍隊の中くらいしかなかったそうだ。

リーダーシップのcriteria(基準)って、じゃぁ何よ?
外交的で他の人の声をかき消してしまうほどのbig voiceのヒトかしら?
そういうヒトが、どんどんリーダー視されていく文化もあれば、日本のように出る杭になってうるさがられたり、周りをひきつけるどころかしらけさせることになっちゃうような文化もあるよね。
クライテリアはその国やカルチャーによって違うわけ。
だけど男性であることが多くの文化圏の中でクライテリアであることが多いことは否めない。
日本なんてそれが甚だしいではないか。
女性のリーだについての場合は、その環境や基準や期待次第。

これは私の邪推だけど、例えば女性のリーダーを見てみても、ドイツのメルケル首相と、

$BANANA SPIRIT - salsa-dip-floppyの脳内ジャンク貯蔵庫


アルゼンチンのクリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル大統領

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のキャラは全然違う。
メルケル首相は、ジェンダーについては全く別ものとして、ヒトとしてこの人は国民を主導していってくれるのだろうか、外交で一役かってくれるのだろうかなんてことに着眼してしまうけど、
外見故の私の偏見なのか(そうじゃないと思うけど)、変に女性っぽかったり、女性としての魅力が前面にでてればでてるほど怪しみたくなるよな~。クリスティーナさんが、髪の毛を毎朝ブローしている間に、メルケルさんは仕事を二つくらい片付けてくれそうだもの。

attributes for being a leaderが違う。

Ronald A. Heifetz教授が言います。
社会にはdominant hierarchyが存在するって。
リーダー的存在のカテゴリーに属するひと達っていうのが世の中にはいるよって言ってるわけだ。
親分肌とか姉御肌とかガキ大将とかもその手のくくりに入るかもね。部活の部長になるタイプとか、必ず生徒会の役員になっちゃうヒトとか、そういうヒトたち。dominant heirarchyに属するひと達ってのは、子供のころから、センセイの目にかなって「お前、チームのキャプテンにならないか」って言われたり、女子も、なぜかその子の周りにはとりまきがいて、その子がしているファッションをとりまきが真似をしたりするって存在がいたはずだって。そういうdominant hierarchyに属せなかった子供達(non-dominant children)っていうのは、どうやって群れの中でうまくやっていくかを知らずのうちに学んで適応させてくもんだって。


ハーバード大学教授のジェローム•ケーガンというヒトの実験について軽く講義の中でも触れていたけど、小さな赤ちゃんたちに同じ刺激をあたえて、怖がった赤ちゃん(sensitive to any kind of disturbance)と動じなかった赤ちゃん(like heavy duty shock absorbers)を分類したんだそうだ。その後赤ちゃんたちを20年間追跡調査したところ、恐がりの赤ちゃんはシャイな大人になっていたという実験結果を得たのだそう。刺激をいやがり怖がった赤ちゃんは立ち向かうことを恐れる大人になっていたって。でもって社会的に優位に経っているひとはなかったそうだ。
恐がり赤ちゃんは全体の10%で怖がらなかった赤ちゃんも全体の10%。じゃあ残りの80%のどちらにも属さなかった赤ちゃんはどうだったかっていうと、これらの赤ちゃんはおそらく環境や生い立ち次第。第一子としてうまれたとか、クラスの中で一番年下だったとか、そういう要因でいろいろ変わるみたいだ。また親が社会的に優位な地位にあるかないかも大きく影響しているのだそう。
(よってハーバード大学の大学院でこの講義を聴いているひと達の大多数はdominant childだったひと達)

ジェローム•ケーガン教授のした実験について触れいている記事をめっけたので、ご参考まで。長いけど面白いよ♪
Monday, Feb. 06, 2012
The Upside Of Being An Introvert
(And Why Extroverts Are
Overrated)
By Bryan Walsh


機会があったらちゃんと訳したいな。

内向的/外交的の話しなら、スーザン・ケインの話しが面白かった。
私のお気に入りのTED Talkのひとつだよん(和訳つき)。
http://www.ted.com/talks/lang/ja/susan_cain_the_power_of_introverts.html

白熱教室に戻りますが、
カリスマ的存在=リーダになりうるかっていったらこれは当たり前だけど別問題。
リーダーシップを持ち合わせていないカリスマ的存在はいるし、群衆を誤解させるだけの存在になり得たりもする。
Reveliantな存在として群衆を突き動かし、例えばある国家の政権を倒したとしたら、その反逆者はリーダーか?っていうのも単純にそうだと言い切れない。確かに集団を動かしたかもしれないけれど、政権を倒した後にこの人が集団をリードできなかったら、集団を動かしたっていうだけで良きリーダーとして評価はできないよね。「で?」ってことになる(笑)

だから、
リーダーシップっていうのは、パワーだとか、ヒトの個性とかっていう風に考えるんじゃなくって、work levelで考えるべきだと教授は言う。
本来の問題について事態を前進させるための仕事を出来るヒトこそがリーダーだと。
つまりあなたが誰だからリーダーだっていうんじゃなくてどんな行動をとるかによるもの。
だからアノヒトは優れたリーダーだなんていう言い方は本来ならあまり懸命ではなくて、アノヒトは○○についてはリーダーシップを発揮したと言う方が懸命だ。生粋のリーダーでどのような分野にでもリーダーシップを発揮できるヒトなんていないんだから。

Leadership is something you can do, not something you owe.

If we ditatch leadership from Power, influence, authority, and from personal characteristic, what we can attach it to?
challenges, problems, processes and mobilize peopoe from problems


だいぶ長くなってきて申し訳ないけれど、この教授が気持ちよいところは、
「現代社会では(昔と違って)男女平等だ」なんてきれいごとを言わずに、「男女不平等」である事実をストレートに認めているところだ。
常日頃から思うけど、男女不平等を認めたがらないのは、男性も女性も一緒だ。

教授がこんなことを言っていた。

Men in here, you will spend a lot of time next year asking women in this room about their leadership experience without authority because they know things about tactics and strategy. They know things about how to listen to environment, where is the opening, where are the leverage of opening to action. How do we make progress without leaving any finger prints? They know things about practice of leadership in moving the work forwards that many men do not know because many men are preoccupied with gaining authority. with authority, believing and gaining authority is measure of leadership rather than work.