who is driving us - 誰がひっぱってってくれるの?
<関連リンク>
ハーバード リーダーシップ白熱教室
『白熱教室』に異常に白熱しちゃった感が日本(NHK)にはあった(笑)
なんだかな~と思った白熱教室もいくつかあった(笑)
でも、今度の白熱教室は次回も見たいって、第一回目の講義をみて思ったね。
レクチャーをしてくれるのは、Ronald A. Heifetz教授。
Ronald A. Heifetz is the Senior Lecturer in Public Leadership, co-founder of the Center for Public Leadership at the John F. Kennedy School of Government, Harvard University, and co-founder of Cambridge Leadership Associates.
ウィキペディアから抜粋
マイケルサンデル教授と同様、ロナルド・A.ハイフェッツ教授もユダヤ系アメリカ人。
和訳された教授の本もアマゾンに売っている(笑)
http://www.amazon.co.jp/ロナルド・A.ハイフェッツ/e/B001IGQZIG
リーダーシップと権威は別物だっていうのが印象的だった。
権威がないひと達も、どんどんリーダーシップを発揮していっていいんだと思う。
Authority(権威)だけあってもリーダーシップを発揮できないヒトもいるんだと思う。
集団生活を行う利点は、権力関係を作ること(権力の優先順位)。
そもそも、group living(集団生活)には必ずや、権威を誰かに与える者と権威を与えられる者の関係がうまれて、権威を与える側は、権威を与える代りに、権威を与えられた側から『サービス』を受け取る。そしてこの両者の間では、権威を与える側が、与えられる側を信頼できなければ、関係が成り立たない。いくら方向を示されたって、信用できなければ群れはついていけないってもん。
与えられた側は、『サービス』の一貫として、知識や経験と一緒に、集団が向かう方向を示したり、集団を守ったり、秩序や規範をつくって維持したりするってわけ。
当たり前っちゃ~、当たり前の話し。
でも、現実の世界じゃどうだろう。
Authorityはサービスを提供しているだろうか。おかみだなんて思ってふんぞり返ってないだろうね?
我々は、Authorityを信頼しているだろうか。
Authorityが我々にサービスを提供してくれる?そんなのとんでもない。これをしろ、あれをやれと言われてこっちがサービスを提供しているんだよと思っているヒトは多くないか?
Authorityを与えられいるヒトがきちんと方向を率いる集団に示せなければ、迷走がはじまってしまう。もっと言うと、示した方向性とかが、きちんと群れに『伝わって理解されないと』まずい。
『群れ』側のあり方、『群れ』側がとれるリーダーシップについても考えてみたい。
AuthorityがなくてもどれだけProactiveに行動して、周りをドライブしていけるか。
権限の明確化は、権限が付与されていないひと達が、passenger seatに甘んじていいってことでもなかろう。自分で考えて、自分で行動しようとする意識や姿勢がないと『群れ』の持続性は危うくなる。権限みたいなものが与えられないとリーダーシップを発揮できないなんていうのもちょっとさもしい。
権威なんてなくても、なんとなくヒトが集まっていくヒト、権威なんてないのに、何となくヒトがついていくヒト、そんなヒトに出会うと前向き思考がうなぎ上りで上昇する。
でも、人肌脱げるヒトがいればいいのかっていったらそれだけじゃないと思う。
人肌脱げるヒトよりも、甘えたいヒトの比重の方が高ければ、その群れは沈む。
権威だけがあって、権威というツールをうまく使えるリーダーシップがなくちゃ、せっかく権威の優先順位なんてつくったって、元の木阿弥になる。
リーダーシップを発揮するヒトよりも、権威にオートマティックに従おうとする群れは危険だ。
権威を与えた側と与えられた側が忌憚なく議論できなければ群れは危険だ。
出る杭は打たれる閉鎖的な文化がめちゃくちゃ強く残るような側面をもつ日本の集団の中で状況に応じて発揮できるリーダーシップっていうのはどんなものなんだろう。
日本では、リーダーの不在なんてことが言われて久しい。
考えるネタみたいなものを提供してくれる内容のメディアっていうのはありがたい。
先日、日本の集団について指摘された、
10人いて、3人が優等で、7人が平均かそれ以下だったとしたら、この3人と7人が一緒になると、勝る側が劣る側にひっぱられて、結局10人とも劣る側の7人のような姿勢や行動をとるようになるというようなこと。
しばらく頭に残ってた。
確かに、我々は、『だめ』自慢をすることが多い。
結構テンションを上げるべきパーティへ行く時に、女子がこぞって待ち合わせをすると、『私なんてこんなに普段着で来ちゃった』自慢が絶対に始まる(笑)
『あら、私なんて。。。』と頑張らなかった自分を自慢する。
今度の会議までにどうにかしておけといわれた時、ここをどうにかしろと言われた時、さささとすみやかに行動を起こしたヒトはたいてい茶化されている。んでもって茶化された方は、茶化されるほど自分はちゃんとやってないことを主張する。
『私なんて』、『俺なんて』と言ったその後に、どれだけダメかを自慢する。
私なんてトリュフがきのこだなんて知らなかったとか、フランスワインの名称をローマ字読みしてしまったとか、ブルガリアがどこにあるか知らなかったとか、試験勉強をしないで寝てしまったとか。PTAの会長でも町会長でも会社のリーダーでも、やりたいヒトがやるというより、やらされちゃった感を残す。女性も出来る子ちゃんよりもダメな子ちゃんであることを男性にアピールする。はりきっちゃってる方が、かったるそうなのよりも「はずかしい」みたいなところもある。
このような日本人の心理って、『私は出る杭ではありません』と安心してほしくてとる言動なのか?
気張ってない自分。出しゃばりじゃない自分。だから安心してください。私はそんなにめんどくさいニンゲンじゃないんです。。。。
でも一生懸命とか、100%やることは気張るとかっていうのと違う。
誰かが口火を切るのを待っている時の日本人の心理ってなんなんだろう。
ダメな子ちゃん自慢のようなスモールトークは結構日本から出ると成り立たないことが多いから、自信がなくてなぐさめ感を味わいたくて、ダメな子ちゃん自慢トークを持ち出しても、のってきてくれる同士は少ない(笑)
白熱教室の講義の中でもふれていたけど、
こうあるべきだというリーダーシップのあり方を、調整せずにそのまま違う状況に当てはめるのは危険でさえある。
アメリカでの女性リーダーはこうあるべきだ的なことをそのまま男尊女卑の国に当てはめようとしてもうまくいかないなんてことを、パキスタンとネパールから来た女性が発言をした時に教授がいっていたけれど、それじゃあ日本はどうだろうか。
フランスやアメリカやイギリスなど、人権や、民主主義や、自由なんていう思想がいち早く根付いた国でのmethodology とかあり方とか、考え方をそのままあてがうところまできてるといえるのだろうか。
う~ん、わからない。
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ハーバード リーダーシップ白熱教室
『白熱教室』に異常に白熱しちゃった感が日本(NHK)にはあった(笑)
なんだかな~と思った白熱教室もいくつかあった(笑)
でも、今度の白熱教室は次回も見たいって、第一回目の講義をみて思ったね。
レクチャーをしてくれるのは、Ronald A. Heifetz教授。
Ronald A. Heifetz is the Senior Lecturer in Public Leadership, co-founder of the Center for Public Leadership at the John F. Kennedy School of Government, Harvard University, and co-founder of Cambridge Leadership Associates.
ウィキペディアから抜粋
マイケルサンデル教授と同様、ロナルド・A.ハイフェッツ教授もユダヤ系アメリカ人。
和訳された教授の本もアマゾンに売っている(笑)
http://www.amazon.co.jp/ロナルド・A.ハイフェッツ/e/B001IGQZIG
リーダーシップと権威は別物だっていうのが印象的だった。
権威がないひと達も、どんどんリーダーシップを発揮していっていいんだと思う。
Authority(権威)だけあってもリーダーシップを発揮できないヒトもいるんだと思う。
集団生活を行う利点は、権力関係を作ること(権力の優先順位)。
そもそも、group living(集団生活)には必ずや、権威を誰かに与える者と権威を与えられる者の関係がうまれて、権威を与える側は、権威を与える代りに、権威を与えられた側から『サービス』を受け取る。そしてこの両者の間では、権威を与える側が、与えられる側を信頼できなければ、関係が成り立たない。いくら方向を示されたって、信用できなければ群れはついていけないってもん。
与えられた側は、『サービス』の一貫として、知識や経験と一緒に、集団が向かう方向を示したり、集団を守ったり、秩序や規範をつくって維持したりするってわけ。
当たり前っちゃ~、当たり前の話し。
でも、現実の世界じゃどうだろう。
Authorityはサービスを提供しているだろうか。おかみだなんて思ってふんぞり返ってないだろうね?
我々は、Authorityを信頼しているだろうか。
Authorityが我々にサービスを提供してくれる?そんなのとんでもない。これをしろ、あれをやれと言われてこっちがサービスを提供しているんだよと思っているヒトは多くないか?
Authorityを与えられいるヒトがきちんと方向を率いる集団に示せなければ、迷走がはじまってしまう。もっと言うと、示した方向性とかが、きちんと群れに『伝わって理解されないと』まずい。
『群れ』側のあり方、『群れ』側がとれるリーダーシップについても考えてみたい。
AuthorityがなくてもどれだけProactiveに行動して、周りをドライブしていけるか。
権限の明確化は、権限が付与されていないひと達が、passenger seatに甘んじていいってことでもなかろう。自分で考えて、自分で行動しようとする意識や姿勢がないと『群れ』の持続性は危うくなる。権限みたいなものが与えられないとリーダーシップを発揮できないなんていうのもちょっとさもしい。
権威なんてなくても、なんとなくヒトが集まっていくヒト、権威なんてないのに、何となくヒトがついていくヒト、そんなヒトに出会うと前向き思考がうなぎ上りで上昇する。
でも、人肌脱げるヒトがいればいいのかっていったらそれだけじゃないと思う。
人肌脱げるヒトよりも、甘えたいヒトの比重の方が高ければ、その群れは沈む。
権威だけがあって、権威というツールをうまく使えるリーダーシップがなくちゃ、せっかく権威の優先順位なんてつくったって、元の木阿弥になる。
リーダーシップを発揮するヒトよりも、権威にオートマティックに従おうとする群れは危険だ。
権威を与えた側と与えられた側が忌憚なく議論できなければ群れは危険だ。
出る杭は打たれる閉鎖的な文化がめちゃくちゃ強く残るような側面をもつ日本の集団の中で状況に応じて発揮できるリーダーシップっていうのはどんなものなんだろう。
日本では、リーダーの不在なんてことが言われて久しい。
考えるネタみたいなものを提供してくれる内容のメディアっていうのはありがたい。
先日、日本の集団について指摘された、
10人いて、3人が優等で、7人が平均かそれ以下だったとしたら、この3人と7人が一緒になると、勝る側が劣る側にひっぱられて、結局10人とも劣る側の7人のような姿勢や行動をとるようになるというようなこと。
しばらく頭に残ってた。
確かに、我々は、『だめ』自慢をすることが多い。
結構テンションを上げるべきパーティへ行く時に、女子がこぞって待ち合わせをすると、『私なんてこんなに普段着で来ちゃった』自慢が絶対に始まる(笑)
『あら、私なんて。。。』と頑張らなかった自分を自慢する。
今度の会議までにどうにかしておけといわれた時、ここをどうにかしろと言われた時、さささとすみやかに行動を起こしたヒトはたいてい茶化されている。んでもって茶化された方は、茶化されるほど自分はちゃんとやってないことを主張する。
『私なんて』、『俺なんて』と言ったその後に、どれだけダメかを自慢する。
私なんてトリュフがきのこだなんて知らなかったとか、フランスワインの名称をローマ字読みしてしまったとか、ブルガリアがどこにあるか知らなかったとか、試験勉強をしないで寝てしまったとか。PTAの会長でも町会長でも会社のリーダーでも、やりたいヒトがやるというより、やらされちゃった感を残す。女性も出来る子ちゃんよりもダメな子ちゃんであることを男性にアピールする。はりきっちゃってる方が、かったるそうなのよりも「はずかしい」みたいなところもある。
このような日本人の心理って、『私は出る杭ではありません』と安心してほしくてとる言動なのか?
気張ってない自分。出しゃばりじゃない自分。だから安心してください。私はそんなにめんどくさいニンゲンじゃないんです。。。。
でも一生懸命とか、100%やることは気張るとかっていうのと違う。
誰かが口火を切るのを待っている時の日本人の心理ってなんなんだろう。
ダメな子ちゃん自慢のようなスモールトークは結構日本から出ると成り立たないことが多いから、自信がなくてなぐさめ感を味わいたくて、ダメな子ちゃん自慢トークを持ち出しても、のってきてくれる同士は少ない(笑)
白熱教室の講義の中でもふれていたけど、
こうあるべきだというリーダーシップのあり方を、調整せずにそのまま違う状況に当てはめるのは危険でさえある。
アメリカでの女性リーダーはこうあるべきだ的なことをそのまま男尊女卑の国に当てはめようとしてもうまくいかないなんてことを、パキスタンとネパールから来た女性が発言をした時に教授がいっていたけれど、それじゃあ日本はどうだろうか。
フランスやアメリカやイギリスなど、人権や、民主主義や、自由なんていう思想がいち早く根付いた国でのmethodology とかあり方とか、考え方をそのままあてがうところまできてるといえるのだろうか。
う~ん、わからない。