camp - 同じ釜の飯
半年から1年位の間、1ヶ月に2週間くらいのペースで一緒に出張して、寝泊まりから3度の食事まで一緒にしていたようなひと達から、立て続けに数件便りがあった。
ちょうどこちらも、その頃を思い返していた時だったので、寝起きを共にしすぎてバイオリズムがまだシンクしてるのかと思ったほどだ(笑)
思い返してつくづく思うのは、同じ釜の飯を食べることの意義だ。
一つ屋根の下で寝ることの意義だ。
ああでもないこうでもないと、共に出社し共に帰宅することの意義だ。
普段ならそんなことしないし、そんな選択肢があっても選ばないかもしれない。
住み込みで働いていないし、例えば寮に入れますよというような仕事だったとしても私ならそのような選択肢は選ばない。わざわざ『つるんで』ランチに行ったり、退社したりしようとは思わない。
そんな私が思うのもおかしなものだが、思い返して、ホテルの自分の部屋で寝るとき以外はずっと一緒にいたような時間が生んだbondingの素晴らしさを愛おしまずにはいられない。
メキシコ料理屋さんで頼んだトルティーヤチップスが、揚げワンタンだったあの晩ご飯。
ウェイターさんを泣かせの大食漢チームだった、食べ放題ディナー。
国やところが変われど、どんなに寝るのが遅くなれど、朝になって朝ご飯に降りて行くと、皆ちゃんとリセットしてプレートに山盛りの朝ご飯を積んでいる(笑)
朝ご飯の席で仕事の話しをして、移動中に話しをして、1日中一緒に仕事をして、一緒にホテルに戻って、一緒に食事に行く。これ2週間1セット、月1で繰り返していると、おのずと絆も深まってしまう。
戦後の日本が、金の卵を育てようとしていた頃、同じ釜の飯を食い、一つ屋根の下どころか、一つ部屋の中で暮らしたヒトがたくさんいた。その頃の日本は、頑張る底力があった。
イギリスのボーディングスクールじゃないけど、陰湿で陰険なこともたくさんあっただろうけど、なんだか私の『同じ釜経験』を通して、今でこそ過去の遺産になってしまった、同じ釜の飯を食うとかいった『共同』的なことが生むポジティブな力について、ちょっと考え直してみたいと思った。
飲みにケーションとか、社員慰安旅行とか、うまい具合に復活すれば、きっと多くのヒトにとって有意義なことになりうる『ポテンシャルな何か』があるんでないか?
吉と出るか凶とでるかは、そこに居合わせるヒトの『人となり』にかかっていると思うけど。
私だって、ビール瓶をもってお酌にまわらなければいけなかったり、『エラい』ヒトをたてるだけの席だったり、誰かが誰かのことを悪くいっていたりするのであれば、遠慮したいし。
現代版 同じ釜の飯
現代版 飲みにケーション
現代版 社員旅行
みたいなのが、ポジティブなベクトルをつくって、会社やチームやヒトにエネルギーを与えていけるといいね。
そういうことが煩わしくなったり、逆効果になったりするのは、そこの閉鎖性や、強制が加わるからか。この場ではこのような言動をするべきという見えないプレッシャーがあるからか。確かに言いたいことを言いたい時に言えずに長時間ヒトといるのはつらい。それなら私だっていやだ。ぺえぺえだからって使いっ走りにされっぱなしの社員旅行なんてのもいやだ。お説教を聞かされたりするのもいやだ。その場にいるヒトひとりひとりをひとりひとりがリスペクトをしている状態であるなら、団体でのアクティビティもそう煩わしいものではない。うまくいくととっても有意義なものになる。
長い期間びっちりと、ツワモノさんたちと一緒にいると、「本当に強いこと」についても、よくわかってくる。
軟弱さんたちが、ピキピキしたり、いらっとしたり、愚痴ったり文句いったりしちゃうような時にも、ツワモノさんたちは笑っていたり、皆を笑わせていて、軟弱ちゃんたちが、すやすや息をたてて眠る頃、ツワモノさんたちは自分のネグラで、パンパンとキーボードを叩いて夜なべをしてる。
んでもって次の日の朝、朝ご飯に降りて行くともうしっかりとご飯を食べ終えて、仲間との会話を楽しんでいる。移動中の車の中も、iPadやスマートフォンなんかの中に籠ることなく、近くに座っている人と仕事のこと、家族のこと、おしゃべりを楽しんでいて、『殻』に戻ることがない。
新参者に優しいのもツワモノさんたちだ。誰もがオロオロしたり緊張したりせずにその場で全力で仕事ができるような『雰囲気』を、本人は気づいてか気づいてないのか、してるんだよね。
夜なべをしていて、頭が錯乱してきて、だんだんわけがわかんなくなってきていると、こげな仲間から、チャットメッセージが届いて、1分2分軽口をたたいて、頭が冷える。いよいよ困るとこげな仲間にチャットメッセージでアドバイスを乞う。深夜12時を過ぎていても、気軽に助けてくれる。
ほんとに強いなっこのひとたちって思った。
仲間に惚れ込んで仕事ができるほど幸せなものはない。
。。。。なんて何もかもが「ヒト」なんだろうって思う。
私は私生活の話しをしているんじゃない。『仕事』での話しをしているのだ。
企業としての格とか、待遇とか、ポジションとか、そいういうのも大切だけど、エキストラの力を与えてくれるのは、惚れ込める周りにいるひと達だ。出世とかだけがサラリーマンのモチベーションじゃないなぁと思う。
こういう風に思わせてくれるニンゲンを育める会社に、ロイヤリティってうまれるもんなのかもね。
同じ釜の飯をい~っぱい食べてきたツワモノさんのひとりが最近、転職をした。
最後に完全一生保存版のめちゃくちゃ深いメッセージをくれた。いつも握りしめていたいようなメッセージだ。
初めてキャンプ(笑)に参加したその時から、いつもさりげなく手を差し伸べてくれてたツワモノさんだ。家族をめっちゃ大切にしているツワモノさんだ。移動中に娘ちゃんの髪の毛をパパであるツワモノちゃんが編んであげてるなんていう話しを聞くのもお楽しみのひとつだった。
新しい職場でも、きっと皆の信用を得て、大活躍することだろう。そして非常にチャレンジングな局面にあっても皆をたくさん笑わすことだろう。
私も強くなって、『ほーんと、この人と一緒に仕事ができて幸せだった』と思われるようなしごとびとになりたい。
ツワモノちゃんに愛を込めて
半年から1年位の間、1ヶ月に2週間くらいのペースで一緒に出張して、寝泊まりから3度の食事まで一緒にしていたようなひと達から、立て続けに数件便りがあった。
ちょうどこちらも、その頃を思い返していた時だったので、寝起きを共にしすぎてバイオリズムがまだシンクしてるのかと思ったほどだ(笑)
思い返してつくづく思うのは、同じ釜の飯を食べることの意義だ。
一つ屋根の下で寝ることの意義だ。
ああでもないこうでもないと、共に出社し共に帰宅することの意義だ。
普段ならそんなことしないし、そんな選択肢があっても選ばないかもしれない。
住み込みで働いていないし、例えば寮に入れますよというような仕事だったとしても私ならそのような選択肢は選ばない。わざわざ『つるんで』ランチに行ったり、退社したりしようとは思わない。
そんな私が思うのもおかしなものだが、思い返して、ホテルの自分の部屋で寝るとき以外はずっと一緒にいたような時間が生んだbondingの素晴らしさを愛おしまずにはいられない。
メキシコ料理屋さんで頼んだトルティーヤチップスが、揚げワンタンだったあの晩ご飯。
ウェイターさんを泣かせの大食漢チームだった、食べ放題ディナー。
国やところが変われど、どんなに寝るのが遅くなれど、朝になって朝ご飯に降りて行くと、皆ちゃんとリセットしてプレートに山盛りの朝ご飯を積んでいる(笑)
朝ご飯の席で仕事の話しをして、移動中に話しをして、1日中一緒に仕事をして、一緒にホテルに戻って、一緒に食事に行く。これ2週間1セット、月1で繰り返していると、おのずと絆も深まってしまう。
戦後の日本が、金の卵を育てようとしていた頃、同じ釜の飯を食い、一つ屋根の下どころか、一つ部屋の中で暮らしたヒトがたくさんいた。その頃の日本は、頑張る底力があった。
イギリスのボーディングスクールじゃないけど、陰湿で陰険なこともたくさんあっただろうけど、なんだか私の『同じ釜経験』を通して、今でこそ過去の遺産になってしまった、同じ釜の飯を食うとかいった『共同』的なことが生むポジティブな力について、ちょっと考え直してみたいと思った。
飲みにケーションとか、社員慰安旅行とか、うまい具合に復活すれば、きっと多くのヒトにとって有意義なことになりうる『ポテンシャルな何か』があるんでないか?
吉と出るか凶とでるかは、そこに居合わせるヒトの『人となり』にかかっていると思うけど。
私だって、ビール瓶をもってお酌にまわらなければいけなかったり、『エラい』ヒトをたてるだけの席だったり、誰かが誰かのことを悪くいっていたりするのであれば、遠慮したいし。
現代版 同じ釜の飯
現代版 飲みにケーション
現代版 社員旅行
みたいなのが、ポジティブなベクトルをつくって、会社やチームやヒトにエネルギーを与えていけるといいね。
そういうことが煩わしくなったり、逆効果になったりするのは、そこの閉鎖性や、強制が加わるからか。この場ではこのような言動をするべきという見えないプレッシャーがあるからか。確かに言いたいことを言いたい時に言えずに長時間ヒトといるのはつらい。それなら私だっていやだ。ぺえぺえだからって使いっ走りにされっぱなしの社員旅行なんてのもいやだ。お説教を聞かされたりするのもいやだ。その場にいるヒトひとりひとりをひとりひとりがリスペクトをしている状態であるなら、団体でのアクティビティもそう煩わしいものではない。うまくいくととっても有意義なものになる。
長い期間びっちりと、ツワモノさんたちと一緒にいると、「本当に強いこと」についても、よくわかってくる。
軟弱さんたちが、ピキピキしたり、いらっとしたり、愚痴ったり文句いったりしちゃうような時にも、ツワモノさんたちは笑っていたり、皆を笑わせていて、軟弱ちゃんたちが、すやすや息をたてて眠る頃、ツワモノさんたちは自分のネグラで、パンパンとキーボードを叩いて夜なべをしてる。
んでもって次の日の朝、朝ご飯に降りて行くともうしっかりとご飯を食べ終えて、仲間との会話を楽しんでいる。移動中の車の中も、iPadやスマートフォンなんかの中に籠ることなく、近くに座っている人と仕事のこと、家族のこと、おしゃべりを楽しんでいて、『殻』に戻ることがない。
新参者に優しいのもツワモノさんたちだ。誰もがオロオロしたり緊張したりせずにその場で全力で仕事ができるような『雰囲気』を、本人は気づいてか気づいてないのか、してるんだよね。
夜なべをしていて、頭が錯乱してきて、だんだんわけがわかんなくなってきていると、こげな仲間から、チャットメッセージが届いて、1分2分軽口をたたいて、頭が冷える。いよいよ困るとこげな仲間にチャットメッセージでアドバイスを乞う。深夜12時を過ぎていても、気軽に助けてくれる。
ほんとに強いなっこのひとたちって思った。
仲間に惚れ込んで仕事ができるほど幸せなものはない。
。。。。なんて何もかもが「ヒト」なんだろうって思う。
私は私生活の話しをしているんじゃない。『仕事』での話しをしているのだ。
企業としての格とか、待遇とか、ポジションとか、そいういうのも大切だけど、エキストラの力を与えてくれるのは、惚れ込める周りにいるひと達だ。出世とかだけがサラリーマンのモチベーションじゃないなぁと思う。
こういう風に思わせてくれるニンゲンを育める会社に、ロイヤリティってうまれるもんなのかもね。
同じ釜の飯をい~っぱい食べてきたツワモノさんのひとりが最近、転職をした。
最後に完全一生保存版のめちゃくちゃ深いメッセージをくれた。いつも握りしめていたいようなメッセージだ。
初めてキャンプ(笑)に参加したその時から、いつもさりげなく手を差し伸べてくれてたツワモノさんだ。家族をめっちゃ大切にしているツワモノさんだ。移動中に娘ちゃんの髪の毛をパパであるツワモノちゃんが編んであげてるなんていう話しを聞くのもお楽しみのひとつだった。
新しい職場でも、きっと皆の信用を得て、大活躍することだろう。そして非常にチャレンジングな局面にあっても皆をたくさん笑わすことだろう。
私も強くなって、『ほーんと、この人と一緒に仕事ができて幸せだった』と思われるようなしごとびとになりたい。
ツワモノちゃんに愛を込めて