give it a thought; dine-out - 外食考 5

ずぅーっと昔、イギリスで、いつも素敵なディナーにワタシを招待してくれていたファミリーフレンドに、今度はワタシが料理を作ってあげると、そのお宅の素敵なキッチンを借りてローストディナーを作った時があった。
その時ローストしたチキンを、ご夫婦でそれはもう美味しいといって、食べてくれた。

食後に、旦那さんの方が、ワタシに尋ねた。

『。。。で、今日の料理は、どこの料理なの?ジャパニーズ?それともチャイニーズ?』

ワタシは、ひっくり返りそうになるも、ワタシはイギリスの伝統料理をつくったんだいと言って、皆で大笑いしたことがある。

当時のワタシのローストチキンは、ジェーミィオリバーのレシピをもとにしたものだったんだけど、ジンジャーが入っていたりして、ジンジャーとガーリックとハーブが混じり合って、北京ダックのような、彼にとっちゃ、エキゾチックなお味になってしまっていたのだろう。

なんてエピソードを引っ張りだしてきたのも、食のトランスファーっちゅうのは難しいなあとことある度にしみじみ思うからである。

そのままに再現するかのように、素直なトランスファーというのはむずかちぃのである。

あんぱんだとか、ナポリタンだとか、トンカツだとか、ビーフステーキだとか、そんな洋食の頃ではなくっても、最近の洋食屋さんにいってもワタシはひどく混乱してしまう。こんなにどうふるまったらいいのかわからず居心地が悪く、落ち着かない思いをするのなら、いっそのこと、カクテルを飲みながら鰹の刺身も、日本酒飲みながらピザもオッケーの、全国チェーンの居酒屋の方がどれだけ心静かに飲み食いができることかと思ってしまう。

最近増えてきた、気軽な洋食屋さん。『レストラン』とは呼ばれず、ビストロだの、パリの食堂だの、イタリアン居酒屋みたいに呼ばれていたり、バルだったり、タパスだったり、ピッツェリアだったり、その手のお店。白いテーブルクロスに、いくつもの銀食器というこてこてのフレンチレストランのような仰々しさなく、こなれた感じで、『そうそう、これこないだバルセロナ言ったときに食べておいしかったんだよね~』的な感じで気軽に飲み食いができる場所だ。
ワインも手頃なワインからそこそこのワインがそろっていて、『champagne入りました~』っていうんじゃなくても、気軽にchampagneやスパークリングワインが楽しめる。
鹿鳴館って感じの洋食じゃなくて、庶民の洋食文化がやっとこさ、日本にも入ってきた。

先日お邪魔したお店で出してもらったフォアグラは、タパス風に気軽い感じで出てきて、こんなに美味しいフォアグラが普通に、焼き鳥のレバーのように出てくるような時代になったかと驚いた。スパークリングワインでさんざん気持ちよくなっていた上に、赤ワインをなんでもいいから適当にもってきてと頼んだら、しっかりと、これはうんまい!と思えるワインをもってきてくれた。どれもこれも頼んだものは皆、美味しかった。

もうchampagneを飲むのはクリスマスと誰かの結婚式という昭和は終わった。
もうワインを飲むのは、デートのときかヒトを口説きたいときという昭和は終わった。
ワインを飲むなんて、おれはそんなに気障じゃねぇという昭和は終わった。
ワイン好き=うんちく野郎という昭和は終わった。
ワイン=嗜好品というよりも、ワイン=ひとつのアルコール飲料という時代になった。

よいことだ。

ただ、よくわからないのが、そのビストロなり、カジュアルダイニングなり、ワイン食堂なり、ミラノの飯どころなりでの、立ち振る舞いだ。

立ち振る舞いといっても、殿方に手の甲にキスをされたときにどう経ち振る舞えばいいかっていう立ち振る舞いじゃなくて、何をどんな風に頼みどう食するのが一番よいのだろうかというところが悩みどころだ。

ワタシはマナーな行儀やしきたりにこだわっているのではない。
途中で、居酒屋食いをしているのか、中華料理店食いをしているのか、洋食食いをしているのか、日本の食卓食いをしているのか、ぼやけてわからなくなってくるのである。

メインのポイントがいくつかある。

1. 箸使いをするのかしないのか。
2. 小皿に取り分け、シェアする一皿なのか。


だいたいこの手の店には、小さな四角いかごがあって、かごの中にナイフとフォークとスプーンと箸が入っていて、(洋食店だからといって遠慮せずに、お箸がよければ)お箸をつかってもいいですよという店側の計らいが感じられる。

メニューをみると、前菜系、サラダ系、魚料理のメイン、肉料理のメイン、デザート、それから腹固め系(パスタとかピザとか、米料理とか)のセクションがあり、おつまみ系というセクションをもうけているところもある。

わからないのが、居酒屋のように適当に皆で多数頼んで、シェアすることを見込んで用意された一皿なのか、『ワタシは前菜にこれを、メインにはこれを』という風に各自が自分のコースをこさえることを見込んで用意されたディッシュたちなのかというところだ。

ヌーベルキュジーヌな量のサラダを4人で分けることになったり、分配に値しないほど上品な量を無理にシェアしようとしたりという醜い事態になる。そのような場合は使うのは箸に限ると思う。自分の皿でナイフで切り分けるほどの量もないものをわざわざ更にナイフを立てるのは滑稽だからだ。

また、このような居酒屋の分配癖を持ち込むと、結局、『お小皿ください』ということになって、小さな小皿の上で、小さな塊をナイフとフォークでわざわざ切らなくてもいいのに切ってクチには混んでいると、なんとも仰々しいような気持ちになるのである。

と総合的に考えると、居酒屋だと思って、箸と小皿で取り分けて食べるのが一番無難なシステムが構築されているように思える。

『ちょっとずついろんなものを』という欲もわかるけど、度が過ぎると、試食会で終わってしまう。

先日行った、フレンチ/イタリアンのお店。
某有名老舗ホテルで腕を磨いたシェフが出したお店で、予約が取るのが大変なのだそうだ。
テーブルの上には、半分に切ったワインの栓のコルクの上にお箸がおかれていた。
これで取り分けたら失礼だろうという、お値段も食材も料理の手間もいっぱしな品と、居酒屋感覚で食べてってことかなと思わせる品がメニューの上に点在していて、どうしていいのかわからなくなる。4人で行き、通されたテーブルのサイズをみても、どう考えても居酒屋スタイルで頼むのが無難なサイズだ。
メニューをみるとパスタはデザートのひとつ手前あたりに書かれている。
こうなるとパスタを先に頼むよりも、最後の腹固めとして頼むことが奨励されているように思えてくる。

先日行った、スパにニッシュ/イタリアンなお店。
カルパッチョをひとつ。
カルパッチョが運ばれてくると同時に小皿が二つ。
アヒージョをひとつ。
アヒージョと共に小皿が二つ。
なんだか小皿地獄化しているようで居心地が悪かった。使った小皿の数といったらまるで中華料理を食すのと同じよう。

店員さんがテーブルに来る数が半端じゃない。
お通しのようなものが出てきて(ここはどうしても譲れないんだなー、日本の飲食店)、注文を取りにきて、注文を盛ってきて、小皿をもってきて、小皿をさげて、という営みが多いこと。
西洋圏の西洋料理店で落ち着いて話しができるあのひととき感はあまりない。
西洋圏のタパスバーのような気さくなところで、ほっといてもらえている感もあまりない。

居心地のよいお店を探したい。

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<おまけ>

某所でアイディアをいただいてきた一品


$BANANA SPIRIT - salsa-dip-floppyの脳内ジャンク貯蔵庫

ワタシにとっちゃ、マッシュポテトとオイスターというのが初めてのコンビネーションでした。
ソテーしたオイスターにフレッシュトマトのソースが少々。マッシュポテトのベッドの上にのってます。