the door in the middle - 真ん中のドア

翻訳もまたしかりだけど、通訳のしごとなんていうのは、意義深いチャレンジと、ふがいない大変さの狭間で、なんとかかんとか両者間の意思疎通をとりもっていくことが多いのかもしれません。

発信力があって、人に伝える話し方を熟知した、「伝え慣れた」人はさておき、話しのプロでもなくて、普通に自分の専門の仕事をしていた人がいざ、通訳を介して人とコミュニケーションをしなくちゃならないとなると、大変なことになる場合がある。

通訳する以前の問題ね叫び

先日、感動しちゃうような例があったのでシェアします。

通訳として私が会議に入ることになった会議で、日本側の参加者の方と、待ち合わせをすることになり、まずは待ち合わせをする建物を指定されたので、それは了解。

それではその建物のどこで待ち合わせをするかという電話でのやりとりで、
「真ん中のドアの前で」とこのお方。

私の記憶ではその建物に3つ以上のドアはなし。
ドアが二つあったことは記憶にあるが私の記憶にある二つのドア以外にもドアがあったかどうかは定かではない。

「真ん中のドアがどこにあるのかいまいちわかりません。ドアが二つあることは分かっているのですが」
というと、

「そうですね、ドアは二つですね。ですからその真ん中のドアで」
の連発だ。

奇数であれば合点がいく。あるいは6つとか8つとかドアがあるのであればそのうちの真ん中あたりに位置するドアだろうと思える。けれど、二つしかないドアの真ん中と連呼されても、実際にどちらのドアに向かえばいいのかわからない。

結局、このお方が言いたかったのは、


「建物にはドアが二つあり、そのうちの一つは建物の中央に近いあたりについているので、その中央よりのドアのところで会いましょう」


だったのだ。




その建物の構造を熟知している人にしかわからない情報だ。

この手のことで泣かされている通訳の方は多いのではなかろうか。
背景知識をどれだけ頭にたたきこんでいるかとか、
どれだけ両言語に長けているかとか、
どれだけ相手の言わんとすることを察知できる感受性をもっているかとかいったこと以前のところで、
苦戦するのは結構つらい(笑)


「建物にはドアが二つあり、そのうちの一つは建物の中央に近いあたりについているので、その中央よりのドアのところで会いましょう」

をはしょりにはしょった形が、

「それでは、真ん中のドアで」

だったのだ。


この手の伝え方で恐慌突破しようとする方が通訳を交えて会議をした時の、会議の効率は、ご想像にお任せします。
一番かわいそうなのは、ご本人だ。

聞きたい趣旨がいまいちずれて伝わってしまったり、質問の意図が分かってもらえなかったりして、質問をまず理解してもらうために時間がかかり、最後まで聞きたいことを全て聞けないままタイムアウトとなる。

勿論、ここは、難しいところで、

「言葉通りのことを、他言語に置き換えることしかできないダメな通訳」
と、通訳のせいにすることもできる。


あの人は英語はぺらぺらかもしれないけど、業務のことがわかってないから。

とか、

あの人は表面的な言葉をそのまま訳せばいいと思っているけどそれじゃだめだ。

とか、
あの人は上手だけどあの人はあんまり上手くない。

とか
いろいろ通訳評を耳にする。


それも一理あるにはあるが、
それでもやはり、

内輪で話しているような話し方で、あとは通訳に言葉を補ってもらい、外国人に自分の言いたいことがきれいさっぱり伝えてもらえると思っている人は、幸せな人である。

そんな奇跡はまず起きないと思った方が懸命だと、私は思う。