purge - 解き放つ
半年間、エネルギーと時間全部つぎ込んで来たプロジェクトがとりあえず終盤をむかえ、一段落。
手塩にかけた子供に嫁に行かれた気分というのはこういうものか?
それならば、わかるぞ、父親の切なさ。
というわけでほっと一息感もあってか、古い友人のお手紙メールを読み終わった後で、泣いてしまった。
古い友人の俗っぽい紹介はしたくはないけど、地価が世界一と言われた東京のど真ん中で老舗を営むお家のご令嬢として生まれ育ち、はたまたプリンスといわれるアジアのあったかいところの御曹司と国外の大学で出会い結婚。このご夫婦、亡夫と私の、一番のお友達だった。
我々の闘病生活を傍観することなく、一緒に闘病してくれたご夫婦でございます。
突如、亡夫を知る人からたよりがあったりすると、急によみがえるわけです。彼が生きてたっていう事実がね。
なんてことがあったと思いきや、今日の夢の中で、夫がもう生きられる見込みがない、あとは死ぬだけだの最後の審判モーメントが再現された。
だいぶ状況はデフォルメされてたけど、エモーショナルな部分は、まったく当時をなぞるかのよう。
私は夫に会わせろと、言葉通り暴れていて、私を押さえつけようとする人たち(登場人物は今一緒に仕事をする仲間たち)にパンチやキックをお見舞いしていた。じたばた暴れているところで目が覚めた。
意識が戻って最初にあらわれた感情がこれだ。
しんでてよかった。
もう精神的にも肉体的にも苦しんでないっていうのが、いちばんのリリーフだ。
もし夫が生きてたらなんていう思いがむくっとする時、私の内蔵はぞうきん絞りをお見舞いされたようになる。古い友人のメッセを読み終えて泣けてきたのも、健康だった時のまんまそのまま普通にほとんどの人が生きてるみたいに、夫も生きてたらと心底思っちゃったからだ。
けど、夫がもうつまらない俗世のことなんかに煩わされることなく、安らかに眠っているのなら、それでいい。何人にも何事にも起こされることなく、ずーっと寝ててくれたらいい。
私はもちょっと俗世と格闘していく。
半年間、エネルギーと時間全部つぎ込んで来たプロジェクトがとりあえず終盤をむかえ、一段落。
手塩にかけた子供に嫁に行かれた気分というのはこういうものか?
それならば、わかるぞ、父親の切なさ。
というわけでほっと一息感もあってか、古い友人のお手紙メールを読み終わった後で、泣いてしまった。
古い友人の俗っぽい紹介はしたくはないけど、地価が世界一と言われた東京のど真ん中で老舗を営むお家のご令嬢として生まれ育ち、はたまたプリンスといわれるアジアのあったかいところの御曹司と国外の大学で出会い結婚。このご夫婦、亡夫と私の、一番のお友達だった。
我々の闘病生活を傍観することなく、一緒に闘病してくれたご夫婦でございます。
突如、亡夫を知る人からたよりがあったりすると、急によみがえるわけです。彼が生きてたっていう事実がね。
なんてことがあったと思いきや、今日の夢の中で、夫がもう生きられる見込みがない、あとは死ぬだけだの最後の審判モーメントが再現された。
だいぶ状況はデフォルメされてたけど、エモーショナルな部分は、まったく当時をなぞるかのよう。
私は夫に会わせろと、言葉通り暴れていて、私を押さえつけようとする人たち(登場人物は今一緒に仕事をする仲間たち)にパンチやキックをお見舞いしていた。じたばた暴れているところで目が覚めた。
意識が戻って最初にあらわれた感情がこれだ。
しんでてよかった。
もう精神的にも肉体的にも苦しんでないっていうのが、いちばんのリリーフだ。
もし夫が生きてたらなんていう思いがむくっとする時、私の内蔵はぞうきん絞りをお見舞いされたようになる。古い友人のメッセを読み終えて泣けてきたのも、健康だった時のまんまそのまま普通にほとんどの人が生きてるみたいに、夫も生きてたらと心底思っちゃったからだ。
けど、夫がもうつまらない俗世のことなんかに煩わされることなく、安らかに眠っているのなら、それでいい。何人にも何事にも起こされることなく、ずーっと寝ててくれたらいい。
私はもちょっと俗世と格闘していく。