Funeral in the US - アメリカでの葬儀

国外から舞い戻って来て1週間がやっと経つか経たないころ、アメリカで暮らすアメリカ人の知り合いが急死。

お通夜(Wake)とお葬式に駆けつけることとなりました。
GW後半が出国でほんとによかった。

喪主は、亡くなった知り合いの、アイリッシュ系のルーツをもつパートナーでした。
アイリッシュ系の葬儀に参列するのはこれで2度目ですが、やはり、英国とアメリカではまた印象がだいぶ異なります。これは単純に国が違うからというだけではないと思いますが。

Wakeという日本のお通夜に相当するような慣習に触れたのはこれがはじめて。
自分が喪主をつとめた時も、イギリス人/スコットランド人の義理の親戚一同だれもWakeのWの字もだれも口にしませんでしたので、Macについてる英和辞書に言及してある通り、

(儀式上の)徹夜;通夜. ▼特にアイルランド系の人が用いる

ということなのだと思います。

英国で葬儀を行った時に、受けた印象は、ほとんどの人がといっても過言でないくらい、亡くなった人と最後のお別れをしたがらない、つまり亡くなった人の顔を見たがらないということでした。
多くの人が、「自分には最後のお別れよりも、もっと素晴しい思いでがある」とか、「もうそこにソウルはない。そんなことよりも、今までの元気だった頃の姿を胸に刻んでおきたい」とかそのようなことを言って、最後のお別れを遠慮する人が多かったのを記憶してます。

ところが、私が参列したWakeでは、皆さん30分も1時間も並んでまでも、開いた棺から見える故人の顔をしっかりと見据えてお別れをしていきます。

葬儀場のようなところの大きなホールを二つ借り切り、一つには、思い出の写真、品、はたまた、残された遺族や友人、などなどからへの思いを込めたメッセージや手紙などがディスプレイされ、さよならをいいに駆けつけた人たちは、このディスプレイルーム(?)で、手紙を読んで回ったり、思い出話に花を咲かせたりしていました。

2つのホールの他にも若干小さな部屋を借りていて、そこには、友達や友人、同僚、ご近所の人たちが手分けをして準備をした料理が並んでいました。

Wakeへやってきた弔問客(?)は数千人におよび、悲しみにげっそりとやつれた遺族はずっと経ちっぱなしで、お悔やみを言ってくれるゲストたちと握手をしたり、抱き合ったりのものすごい献身ぶりに頭が下がりました。

そして、最も顕著に日本の葬儀と違いを感じたのは、

そこに、さしあたって、形式がないってことでした。

我々の文化では、冠婚葬祭には、全員で同一色になろうと努力しますよね。
葬儀であれば、喪服という決められた服装規範があり、「ほとんど黒」でもストラプが薄く入っていたりといったレベルでも、気にします。なま足はだめだとか、服装だけでもいろいろ取り決めがあって、葬儀の場所での振る舞いも、伏し目がちに頭を下げるくらいです。
が、私が参列したアメリカの葬儀は、日本の葬儀とは比べものにならないくらいパーソナルでした。
楽しい思い出話しを語って、声高々に大笑いする人もあるし、遺族とずっと話し込む人もありです。それぞれがそれぞれの流儀で、故人が祝福されてこの世に生まれ、また神様のもとへ戻っていったことに敬意を表し、祝福しているのです。私も、不慣れ故、ふくさはどのように開けたらいいか、お焼香はどんなふうにしたらいいかという、「型」の自信のなさを心配せずに、故人を偲ぶことができました。

お花もディスプレイの仕方はまちまちです。

確かに、私も、日本の葬儀はルールが厳しくて、○○はこちらにおすわりください。お焼香は3列に並んで同時に行ってください。今立ち上がってください、お焼香が済みましたらこちらへと、違った行動は許されません。大切な人を失って、悲しんでいる遺族の中に親友がいても、かけよって肩を抱くことも許されないおごそかさがあります。あくまでも「しめやかに」が鉄則なのかもしれません。

翌日、また同じ葬儀場のような施設に戻り、お別れをして、棺に釘がうたれました。
それにしても、としみじみ感じたのが、

これが普通だとするのなら、本当に日本人の儀式的な行事で誰かが人前で何かを言う時っていうのは前置きが長いということです。
皆様本日はお忙しいところもなにもなく、

すくりと誰かが前に立ったと思ったら、「出棺です」と。
お葬式のミサで、後に残された3人の娘さんが壇上にあがり話しをしましたが、これも、
「お父さん、」といきなりはじまりました。

明るくてとてつもなく大きな協会でしたが、参列者で満員。
葬儀は合唱隊と、20代だと思われる聖職者の男性によって進められました。その後に墓地に出向き埋葬となったのですが、悪天候のため、埋葬に参列するのは無理ということで、墓地のチャペルでもう一度サービスが行われました。

我々が墓地につくと、チャペルの前で、「兵隊さん」が3名敬礼をして立っていました。
お葬式の日なのに、なんだか鉄砲をかついだ兵隊さんがいるなんて物騒と思った私。

ところが、この方々、軍から、前に空軍でサービスしていたことのある故人のためにやってきたのだということがわかりました。儀式色たっぷりに、星条旗を開いたり折り畳んだりし、チャペルから退場したかと思ったら、外でものすごい銃声。

これが、saluteか、と妙に納得。


その後で、遺族が故人の家に参列者を招待し、ブッフェスタイルで軽食や飲み物がふるまわれました。不謹慎かもしれませんが、10回くらいアメリカを訪れた中で、こんなにアメリカ人の手料理を食べた/目にしたのははじめてでした(本当に感動するくらい私の知る人たちはみんな示し合わせたように料理しません)。参列者の人たちと話してみると、多くの人たちが、飛行機で駆けつけていました。

これから遺族の方々はそれぞれのジャーニーをすることになるのでしょうけれど、早く、大きな喪失と仲良く生きていく方法を見つけられるよう、遠くから見守らせてもらおうと思います。