Fuerza Japon! in BA - がんばれ日本 in ブエノスアイレス
ちょっと見づらいでしょうか。
解読できますでしょうか、バッヂの中の日本語?
Fuerza Japon! がんばれ日本
とあります。

先日、リーズナブルでおいしいペルー料理のレストランがあるからそこでランチしようと誘ってもらい、仲間に入れてもらいました。あ、ブエノスアイレスのまちなかでの話しです。
そこでたまたま隣に座ったアメリカ人女性が、このあと暇だったら、日本で起きた大地震のチャリティーイベントを、日系アルゼンチン人達がやってるはずだから、行ってみたら~と、東北大震災のための在アルゼンチンの日系人達によるイベントが行われているらしいことを教えてくれました。
昼食後急いで駆けつけ、イベントの終わり際に参加できただけだったのだけど、間に合ってよかった。
とっても素敵なイベントでございました。
名前が分からないままになってしまったのが悔やまれますが、私が駆けつけた時にステージの上でパフォーマンスをしていたのは、おそらく日系アルゼンチン人であろうと思われるミュージシャングループによるライブで、コミカルで、ノリノリ、それでいてとってもセクシーという、ご機嫌バンドが、ゆかたを着てとってもラテンな音楽でイベント会場を沸かせていたのでありました。思わず踊りだしたのは私だけではなかったはず。

もうおしまい間際だったっていうのに、とってもたくさんの人がインベントを楽しんでました。
ステージに上がり、被災地のために人肌ぬいてくれていたのは、日本の息のかかった人たちだけではなく、ペルー人、アルメニア人、その他いろいろで、感謝のあまり、私もステージにあがれないことが悔やまれてなりませんでした(笑)私もひと踊り披露してみたかった。くぅ。
アルメニア系の方々も私たちのために、民族舞踊を披露。

iPodでとれる写真にも限界があるようで、つまらない写真とはなっておりますが、臨場感、ちょびっとでも伝わるかしら??

最後のしめのしめに、
日本人女性(少なくとも見た目は)がグループででてきて、滝廉太郎の荒城の月で日舞を披露。
その後にソロでやはり日本人女性と思われる方が槍をもって出て来て武田節に合わせて舞い、
1920年頃のアルゼンチンがとってもお金持ちだったロマンティックな時代に建てられたエレガントでクラッシーな建物に、荒城の月やら、武田節が、わんわんとこだましたのでありました (そして日の丸がひるがえり~)。
アルゼンチンタンゴを見ずして、槍もって踊る武田節をブエノスアイレスで見て来た私ってなに?
酒はのめのめ飲むならば~ってここでいわれちゃったら、やっぱりここで飲むならMalbecワインかしらん?
大統領クリスティーナの住んでいるピンクハウスのすぐそば。


着物を着て人肌脱いでいた日系アルゼンチン人のお嬢さんたちもとっても可愛かったです。
自信なさそうにはにかみながら、手元の折りかけの鶴をもてあそびながら、日本語を話す様子はなんとも娘さんらしくかわゆくて、思わずさらって日本に連れ帰りたくなったのでした。

私も義援金をいつもより奮発。
ありがとうと(多分慣れてないんだと思うケド)頭をさげてくれる彼女達。いえいえ、ありがとうといいたかったのはこっちです。なんなら、日本に送る義援金、わたくしがハンドキャリーいたしましょうか?と提案してみましたが、もちろん却下。
がんばれ日本じゃなくって、内地にいる我々は、まさに”がんばらなくちゃ日本”だな~とつくづく。と同時に我々内地にいる日本人は、外地にいる日本人のことを同じだけ親身に考えているだろうかと深く考え込んでしまいました。
<過去の関連記事>
domestic ppl, migrated ppl - 出て行かないヒトと出て行くヒト


ちょっと見づらいでしょうか。
解読できますでしょうか、バッヂの中の日本語?
Fuerza Japon! がんばれ日本
とあります。

先日、リーズナブルでおいしいペルー料理のレストランがあるからそこでランチしようと誘ってもらい、仲間に入れてもらいました。あ、ブエノスアイレスのまちなかでの話しです。
そこでたまたま隣に座ったアメリカ人女性が、このあと暇だったら、日本で起きた大地震のチャリティーイベントを、日系アルゼンチン人達がやってるはずだから、行ってみたら~と、東北大震災のための在アルゼンチンの日系人達によるイベントが行われているらしいことを教えてくれました。
昼食後急いで駆けつけ、イベントの終わり際に参加できただけだったのだけど、間に合ってよかった。
とっても素敵なイベントでございました。
名前が分からないままになってしまったのが悔やまれますが、私が駆けつけた時にステージの上でパフォーマンスをしていたのは、おそらく日系アルゼンチン人であろうと思われるミュージシャングループによるライブで、コミカルで、ノリノリ、それでいてとってもセクシーという、ご機嫌バンドが、ゆかたを着てとってもラテンな音楽でイベント会場を沸かせていたのでありました。思わず踊りだしたのは私だけではなかったはず。

もうおしまい間際だったっていうのに、とってもたくさんの人がインベントを楽しんでました。
ステージに上がり、被災地のために人肌ぬいてくれていたのは、日本の息のかかった人たちだけではなく、ペルー人、アルメニア人、その他いろいろで、感謝のあまり、私もステージにあがれないことが悔やまれてなりませんでした(笑)私もひと踊り披露してみたかった。くぅ。
アルメニア系の方々も私たちのために、民族舞踊を披露。

iPodでとれる写真にも限界があるようで、つまらない写真とはなっておりますが、臨場感、ちょびっとでも伝わるかしら??

最後のしめのしめに、
日本人女性(少なくとも見た目は)がグループででてきて、滝廉太郎の荒城の月で日舞を披露。
その後にソロでやはり日本人女性と思われる方が槍をもって出て来て武田節に合わせて舞い、
1920年頃のアルゼンチンがとってもお金持ちだったロマンティックな時代に建てられたエレガントでクラッシーな建物に、荒城の月やら、武田節が、わんわんとこだましたのでありました (そして日の丸がひるがえり~)。
アルゼンチンタンゴを見ずして、槍もって踊る武田節をブエノスアイレスで見て来た私ってなに?
酒はのめのめ飲むならば~ってここでいわれちゃったら、やっぱりここで飲むならMalbecワインかしらん?
大統領クリスティーナの住んでいるピンクハウスのすぐそば。


着物を着て人肌脱いでいた日系アルゼンチン人のお嬢さんたちもとっても可愛かったです。
自信なさそうにはにかみながら、手元の折りかけの鶴をもてあそびながら、日本語を話す様子はなんとも娘さんらしくかわゆくて、思わずさらって日本に連れ帰りたくなったのでした。

私も義援金をいつもより奮発。
ありがとうと(多分慣れてないんだと思うケド)頭をさげてくれる彼女達。いえいえ、ありがとうといいたかったのはこっちです。なんなら、日本に送る義援金、わたくしがハンドキャリーいたしましょうか?と提案してみましたが、もちろん却下。
がんばれ日本じゃなくって、内地にいる我々は、まさに”がんばらなくちゃ日本”だな~とつくづく。と同時に我々内地にいる日本人は、外地にいる日本人のことを同じだけ親身に考えているだろうかと深く考え込んでしまいました。
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