post gay - ポストゲイ

画像拝借先:http://lezgetreal.com/2010/04/elena-kagan-between-a-rock-and-a-gay-place/
少し前の話しになるけど、
Ellen kaganという人が話題にのぼった。オバマ大統領がアメリカ合衆国最高裁判事に彼女を推薦したのだ(まだ正式にEllen Kaganがアメリカ合衆国最高裁判事になるとは限らない)。
あまりにも聡明で、
あまりにもあまたの回転が早く、
もうとにもかくにもcleverだから、
とっても頼もしくて、アメリカの将来もこれからよくなるんじゃないかっていう希望が湧いてくる。。。
というべた褒めコメントがアメリカから聞こえてきた。彼女の頭の良さは大絶賛のようだ。
どうやら、ケイガンは一貫して同性愛者の権利を支持しているようで、保守派によって、彼女自身もレズビアンだという噂をひろめられたらしい。がこの噂、どうも、あたらずとも遠からずのようだ。
彼女についてはリベラルすぎると言う懸念も強い。
辞任の意を明らかにしている90歳のポール・スティーヴンに代わり新たに最高裁判事のポストにつくことになるのだそうだけど、前任のポールさんの年齢をみても顕著だけど、最高裁判所のポストなんてそう簡単に空くものじゃないからまたとないチャンスだ。
いくつか、ネット上で見つけた記事を読んで行くと、どうも、彼女は自らを、レズビアンだともレズビアンではないとも公言できない立場に陥ってしまっているようで、このような彼女が世論に与える印象っていうのは、任命したオバマ大統領の意図するところではなかったようだなんて記事に遭遇した。
(もちろんいろいろな視点で他の議論もあるかと思います)
<参考リンク>
http://lezgetreal.com/2010/04/elena-kagan-between-a-rock-and-a-gay-place/
↑本当の意味でのpost-gayの時代はまだ到来していないというような内容。
<ざっと訳>
著名な同性愛主義者たちは、大きな舞台に出る時に自分のセクシャルティーを公にすることに神経質になる?
- うん、多分ね。
オバマ大統領を当選に導いた大統領選は、アメリカ国民があたらしい価値観と期待をもっていることを浮き彫りにした。アメリカがとてもチャーミングで正統な教養人に投票し、混血であることが、アメリカの最たるポストを獲得する妨げにはもはやならないというのが国民のメッセージだ。これは、アメリカが脱•人種差別の時代に突入したことを物語ったのか。
- いや、私はそうは思わない。混血であることが、大統領になることの障害となったとはいわないが、混血であることによって障害から回避することができたというわけでもない。ブロガーやジャーナリストらしき面々がひっきりなしに、アメリカにポスト-ゲイの時代が到来したと宣言している。中でもとりわけ、私の耳に長いこと入って来ていた露骨で愚かな主張は、ストレートではない一握りの成功を収めた人々の声だった。彼等が現在の地位に上りつめるまでの苦労は別として(エレン、君のことだよ)、あるいは、現職が求める以上の能力や資格はさておき(Rachel MaddorとかD. Philとかね)、アメリカがポスト-ゲイの時代にたどりついたことはこの人たちの成功のおかげでもある。
ポスト-ゲイのアメリカだというのに大統領は病院を叱咤しなくてはならなかった。病院関係者に同性のパートナーを持つ患者への面会権を認める心を育むよう今だ言って聞かせなければならない。これはフロリダの病院で、ある女性が、パートナーと養子が彼女を面会権を得ようと奮闘している最中に、たったひとりで死に至った。似たような話しを他にも聞いている。本当に心が痛む。
“ポスト-ゲイ”のアメリアで、平等な婚姻権は、わずかな管轄区域でしか認められておらず、その他の多くは、憲法改正により不法となっている。オバマ大統領は国際的視点で考えても、最も時代遅れで、馬鹿げている「聞かない、語らない」方針の廃止を約束する中で(オバマ氏もオバマ政権も速やかに実行するという印象は受けないが)、結婚擁護法( the Defense of Marriage Act)についての自身の弁明に追われている。
“ポスト-ゲイ”のアメリカでも、同性愛主義者の著名人等は、婚姻権があったとしても、未婚のままでいる。結婚することにより、あっという間に自分のセクシャルオリエンテーション(訳注:性指向:性的関心の傾向。ある人の恋愛や性欲の対象となる性。異性のみならず,同性や両性をも性の対象に含めていう語)を、アメリカに本当の意味でポスト-ゲイの時代が到来するまでは、世間に公表することになってしまう。まぁ、多くの人々が、結婚をしないもっともな理由というのをもっていたりもするのだけど。
ということで、アメリカにポスト-ゲイの時代も、脱•人種差別の時代も到来していない。けれど、間近だ。これらについての姿勢が変われば、戦略も反応もおのずと変わるはずだからだ。オバマ氏の大統領選から我々が学んだのは、あからさまなハンデを持つことが、財産にもなるということだ。勿論、混血として生を受けた個人として混血であることを隠しておくという選択肢はオバマ氏にはないが、包み隠さず、率直に人種問題について述べることができる。またライバル候補者たちがもし典型的な人種差別的な言及を持ち出して彼をおとしいれようとした時には、ライバル達がオバマ氏をおとしいれるために人種差別的な言及をしたということがあからさまになってしまうということになる。
目下、Elena Kagan についての噂でもちきりだ。残念ながら、Elenaは、人々が最高裁判所へ同性愛者を承認してくれるかどうかについての懸念をオープンに言及できないでいる。Elenaは彼女の承認に反対するであろうホモフォービア(同性愛(者)嫌悪、また嫌悪する人)を名指しにできないでいる。Elenamは黒い影を落とす人々のささやきに抵抗するだろう。が彼女にはどちらに転んでも分が悪い。
かりにElenaがレズビアンではないのなら、事実を公表し、噂や世間の懸念を鎮める必要がある。
かりにElenaが同性愛主義者であるのなら、私はやはり彼女は早急に事実を公表すべきだと思う。クローゼットの中へと追い立てられて外に出て来られないでいるのは、明らかに、Elena自身を弱者のように印象づけてしまうし、高潔さも欠いている。
オバマ大統領は大統領の信念の象徴となり表現してくれるような誰かを任命したいと考えている。”Don’t Ask, Don’t Tell”(訊くな、言うな)とよばれる政策に異論を唱えてくれる中道やや左派の将来有望な正統な教養人を求めている(そしてこれは本来のリベラルはにとっては失望以外のなにものでもないのだが)。しかし、Elena Kaganがこの黒い影を払拭するまでは、彼女はオバマ氏の求める人材にはそぐわない。そしてこれは彼女にとっての一番の打撃だ。
かりにElenaがレズビアンではないのなら、事実を公表し、噂や世間の懸念を鎮める必要がある。
かりにElenaが同性愛主義者であるのなら、私はやはり彼女は早急に事実を公表すべきだと思う。クローゼットの中へと追い立てられて外に出て来られないでいるのは、明らかに、Elena自身を弱者のように印象づけてしまうし、高潔さにも欠いている。
オバマ大統領は大統領の信念の象徴となり表現してくれるような誰かを任命したいと考えている。”Don’t Ask, Don’t Tell”(訊くな、言うな)とよばれる政策に異論を唱えてくれる中道やや左派の将来有望な正統な教養人を求めている(そしてこれは本来のリベラルはにとっては失望以外のなにものでもないのだが)。しかし、Elena Kaganがこの黒い影を払拭するまでは、彼女はオバマ氏の求める人材にはそぐわない。そしてこれは彼女にとっての一番の打撃だ。
カミングアウトは、墓穴になる得るか?もちろんなり得る。が、カミングアウトせずにいても墓穴になり得る。これだという選択はない。が、5年前や10年前とは違う答えが出るのではないかと私は思う。
post-gayという言葉だけど、
word spy
では、post-gayについてこう言及している。
post-gay
(POHST-gay) adj. When homosexuals define their identity by something other than their sexual preference.
新語ではないようで、私が知らなかっただけのようだ。
ニューヨークタイムズなんて、1998年にすでにこの言葉を使っている。
使用例のご紹介ってことで♪
Post-gay is a fledgling, somewhat murky idea that describes a homosexual identity in which sexual behavior no longer defines one's life. It's not bisexuality. It's not retreating to the closet. It is a way of saying, "We've come a long way, so calm down." In a post-gay world, homosexuals have won their battle for acceptance and are now free to move beyond identity politics. Anne Heche is post-gay, for example. Ellen isn't.
"Post-gay isn't 'ungay,"' explains James Collard, Out's editor in chief. "It's about taking a critical look at gay life and no longer thinking solely in terms of struggle. It's going to a gay bar and wishing there were girls there to talk to."
—"New Way of Being," The New York Times, June 21, 1998
<ざっと訳>
ポスト-ゲイというのは、我々の”生”というのは、個人の性的趣向などによって生き方を決定しまうのではない同性愛のアイデンティティについての新しいちょっと分かりづらい概念。ポスト-ゲイというのは、バイセクシャルでも、クローゼットの中にひっそりと隠しておくというのでもない。言ってみれば「同性愛問題も、思えば遠くへ来たもんだ。漸くほっとできるよ」と言ったところ。ポスト-ゲイという考えの中では、同性愛社は、”認められ”、貼られてきたレッテルなどにとらわれず自由に行動できる。Ann Hecheはポスト-ゲイだが、Ellenは違う。ポスト-ゲイはOut'sの編集長であるJames Collardによると同性愛社ではないということとは違う。彼は言う。「ポスト-ゲイの概念というのは同性愛者の人々へ向けられた批判的な世間の目に対しての概念なのです。もう負の要素と関連づける必要はなくなりました。ゲイバーにいって女の子に声をかけられるようになるということなのです」
1994年に初めてpost-gayという言葉が使われたようだ。
Earliest Citationとして、このような引用がある。
in the generation before (gay liberation), there were a lot of gay men, like Truman Capote, Tennessee Williams and Gore Vidal, who would not write about gay subject matter at all. ... They were frank about admitting they themselves were gay, but they never wrote about that because they wanted the big public.
Then there was my generation, and many of us wrote almost exclusively about being gay, although in my own case I've written two novels in which there were no gay characters. But they were my least successful novels with the public.
Now you have writers like Alan Gurganus, who published the first gay story in the New Yorker in 1974 and was always very clear about being gay. But (his novel) ''The Oldest Living Confederate Widow'' has virtually no gay theme in it.
I call it sort of post-gay. People aren't in the closet, they're frank about their sexuality, but they don't feel limited to gay subject matter. They feel they can write about anything.'
—Edmund White, quoted in Fritz Lanham, "Beginnings of liberation," The Houston Chronicle, November 27, 1994
<ざっと訳>
ゲイ・解放運動(gay liberation)前の世代にも、たくさんの同性愛主義男性がいた。例えばTruman Capoteとか、Tennessee Williamsとか、gore Vidalとかね。で、彼等は「同性愛」を題材にして作品を書いたりは一度もしなかった。彼等は自分がゲイであることを軽く認めていたけど、注目を集めたいからと同性愛について書くことは決してしなかった。彼等の世代が去って、我々の世代になった。我々の多くは、敢えてゲイであることに限定したような作品を書いた。もっとも私の場合は、同性愛者が登場しない小節を2つ書いたけど、それが一番大衆に受けが悪かった。
現在、Alan Gurganusのような物書きがいる。彼は1974年に雑誌ニューヨーカーに初めてゲイの話しを書き、彼がゲイであることは明らかだった。けれど、彼の'The Oldest Living Confederate Widow''の中には一切同性愛は扱われていない。
これは、ポスト-ゲイと呼んでもよいのではなかろうかと私は思う。同性愛主義者はクローゼットの中に引きこもってはいない。自分たちがゲイであることを隠してもいない。が、同性愛のことばかりを題材にしなくてはいけないと自分たちを制限してもいない。自分たちがどんなことを題材にして執筆しても良いのだと思っている。—Edmund White, quoted in Fritz Lanham, "Beginnings of liberation," The Houston Chronicle, November 27, 1994
さぁ、どうなるんだろうか、Elen kaganは。。。
さぁ、どうなるんだろうか、LGBTのこれから。
セクシャルオリエンテーションってとってもプライベートな部分なのに、LGBTであるからとて、全く性生活に関係ないところで、大きな看板をかかげてなくちゃいけないというのは、理不尽だと思う。
例えばLGBTでも、いちいち、『重大な告白があるんです』的ドラマとか、最近のニッポンのテレビでさんざっぱら出てくるLGBTの”ゲイノウジン”の方々は、LGBTを前面に出していないと存在できないという瀬戸際で頑張っているようで、切ない。『え”?ゲイですが、何か?』という『だからどしたの?』ってところまでヒトの意識が移行するのにはこれからだいぶ時間がかかりそうだ。つい、著名な芸術家などを言及する時にも、その芸術家さんがLGBTだったりすると、あえて、LGBTの芸術家さんで、、、と枕詞をつけてしまうっていうの、私にもある。私の場合は、アドマイアする気持ちからの枕詞付けなんだけど、post-gayの時代が本当の意味でくるのなら、わざわざ言う必要もなるだろう。オトコ国会議員なんてわざわざ私たちが言わないのと同様に。


画像拝借先:http://lezgetreal.com/2010/04/elena-kagan-between-a-rock-and-a-gay-place/
少し前の話しになるけど、
Ellen kaganという人が話題にのぼった。オバマ大統領がアメリカ合衆国最高裁判事に彼女を推薦したのだ(まだ正式にEllen Kaganがアメリカ合衆国最高裁判事になるとは限らない)。
あまりにも聡明で、
あまりにもあまたの回転が早く、
もうとにもかくにもcleverだから、
とっても頼もしくて、アメリカの将来もこれからよくなるんじゃないかっていう希望が湧いてくる。。。
というべた褒めコメントがアメリカから聞こえてきた。彼女の頭の良さは大絶賛のようだ。
どうやら、ケイガンは一貫して同性愛者の権利を支持しているようで、保守派によって、彼女自身もレズビアンだという噂をひろめられたらしい。がこの噂、どうも、あたらずとも遠からずのようだ。
彼女についてはリベラルすぎると言う懸念も強い。
辞任の意を明らかにしている90歳のポール・スティーヴンに代わり新たに最高裁判事のポストにつくことになるのだそうだけど、前任のポールさんの年齢をみても顕著だけど、最高裁判所のポストなんてそう簡単に空くものじゃないからまたとないチャンスだ。
いくつか、ネット上で見つけた記事を読んで行くと、どうも、彼女は自らを、レズビアンだともレズビアンではないとも公言できない立場に陥ってしまっているようで、このような彼女が世論に与える印象っていうのは、任命したオバマ大統領の意図するところではなかったようだなんて記事に遭遇した。
(もちろんいろいろな視点で他の議論もあるかと思います)
<参考リンク>
http://lezgetreal.com/2010/04/elena-kagan-between-a-rock-and-a-gay-place/
↑本当の意味でのpost-gayの時代はまだ到来していないというような内容。
<ざっと訳>
著名な同性愛主義者たちは、大きな舞台に出る時に自分のセクシャルティーを公にすることに神経質になる?
- うん、多分ね。
オバマ大統領を当選に導いた大統領選は、アメリカ国民があたらしい価値観と期待をもっていることを浮き彫りにした。アメリカがとてもチャーミングで正統な教養人に投票し、混血であることが、アメリカの最たるポストを獲得する妨げにはもはやならないというのが国民のメッセージだ。これは、アメリカが脱•人種差別の時代に突入したことを物語ったのか。
- いや、私はそうは思わない。混血であることが、大統領になることの障害となったとはいわないが、混血であることによって障害から回避することができたというわけでもない。ブロガーやジャーナリストらしき面々がひっきりなしに、アメリカにポスト-ゲイの時代が到来したと宣言している。中でもとりわけ、私の耳に長いこと入って来ていた露骨で愚かな主張は、ストレートではない一握りの成功を収めた人々の声だった。彼等が現在の地位に上りつめるまでの苦労は別として(エレン、君のことだよ)、あるいは、現職が求める以上の能力や資格はさておき(Rachel MaddorとかD. Philとかね)、アメリカがポスト-ゲイの時代にたどりついたことはこの人たちの成功のおかげでもある。
ポスト-ゲイのアメリカだというのに大統領は病院を叱咤しなくてはならなかった。病院関係者に同性のパートナーを持つ患者への面会権を認める心を育むよう今だ言って聞かせなければならない。これはフロリダの病院で、ある女性が、パートナーと養子が彼女を面会権を得ようと奮闘している最中に、たったひとりで死に至った。似たような話しを他にも聞いている。本当に心が痛む。
“ポスト-ゲイ”のアメリアで、平等な婚姻権は、わずかな管轄区域でしか認められておらず、その他の多くは、憲法改正により不法となっている。オバマ大統領は国際的視点で考えても、最も時代遅れで、馬鹿げている「聞かない、語らない」方針の廃止を約束する中で(オバマ氏もオバマ政権も速やかに実行するという印象は受けないが)、結婚擁護法( the Defense of Marriage Act)についての自身の弁明に追われている。
“ポスト-ゲイ”のアメリカでも、同性愛主義者の著名人等は、婚姻権があったとしても、未婚のままでいる。結婚することにより、あっという間に自分のセクシャルオリエンテーション(訳注:性指向:性的関心の傾向。ある人の恋愛や性欲の対象となる性。異性のみならず,同性や両性をも性の対象に含めていう語)を、アメリカに本当の意味でポスト-ゲイの時代が到来するまでは、世間に公表することになってしまう。まぁ、多くの人々が、結婚をしないもっともな理由というのをもっていたりもするのだけど。
ということで、アメリカにポスト-ゲイの時代も、脱•人種差別の時代も到来していない。けれど、間近だ。これらについての姿勢が変われば、戦略も反応もおのずと変わるはずだからだ。オバマ氏の大統領選から我々が学んだのは、あからさまなハンデを持つことが、財産にもなるということだ。勿論、混血として生を受けた個人として混血であることを隠しておくという選択肢はオバマ氏にはないが、包み隠さず、率直に人種問題について述べることができる。またライバル候補者たちがもし典型的な人種差別的な言及を持ち出して彼をおとしいれようとした時には、ライバル達がオバマ氏をおとしいれるために人種差別的な言及をしたということがあからさまになってしまうということになる。
目下、Elena Kagan についての噂でもちきりだ。残念ながら、Elenaは、人々が最高裁判所へ同性愛者を承認してくれるかどうかについての懸念をオープンに言及できないでいる。Elenaは彼女の承認に反対するであろうホモフォービア(同性愛(者)嫌悪、また嫌悪する人)を名指しにできないでいる。Elenamは黒い影を落とす人々のささやきに抵抗するだろう。が彼女にはどちらに転んでも分が悪い。
かりにElenaがレズビアンではないのなら、事実を公表し、噂や世間の懸念を鎮める必要がある。
かりにElenaが同性愛主義者であるのなら、私はやはり彼女は早急に事実を公表すべきだと思う。クローゼットの中へと追い立てられて外に出て来られないでいるのは、明らかに、Elena自身を弱者のように印象づけてしまうし、高潔さも欠いている。
オバマ大統領は大統領の信念の象徴となり表現してくれるような誰かを任命したいと考えている。”Don’t Ask, Don’t Tell”(訊くな、言うな)とよばれる政策に異論を唱えてくれる中道やや左派の将来有望な正統な教養人を求めている(そしてこれは本来のリベラルはにとっては失望以外のなにものでもないのだが)。しかし、Elena Kaganがこの黒い影を払拭するまでは、彼女はオバマ氏の求める人材にはそぐわない。そしてこれは彼女にとっての一番の打撃だ。
かりにElenaがレズビアンではないのなら、事実を公表し、噂や世間の懸念を鎮める必要がある。
かりにElenaが同性愛主義者であるのなら、私はやはり彼女は早急に事実を公表すべきだと思う。クローゼットの中へと追い立てられて外に出て来られないでいるのは、明らかに、Elena自身を弱者のように印象づけてしまうし、高潔さにも欠いている。
オバマ大統領は大統領の信念の象徴となり表現してくれるような誰かを任命したいと考えている。”Don’t Ask, Don’t Tell”(訊くな、言うな)とよばれる政策に異論を唱えてくれる中道やや左派の将来有望な正統な教養人を求めている(そしてこれは本来のリベラルはにとっては失望以外のなにものでもないのだが)。しかし、Elena Kaganがこの黒い影を払拭するまでは、彼女はオバマ氏の求める人材にはそぐわない。そしてこれは彼女にとっての一番の打撃だ。
カミングアウトは、墓穴になる得るか?もちろんなり得る。が、カミングアウトせずにいても墓穴になり得る。これだという選択はない。が、5年前や10年前とは違う答えが出るのではないかと私は思う。
post-gayという言葉だけど、
word spy
では、post-gayについてこう言及している。
post-gay
(POHST-gay) adj. When homosexuals define their identity by something other than their sexual preference.
新語ではないようで、私が知らなかっただけのようだ。
ニューヨークタイムズなんて、1998年にすでにこの言葉を使っている。
使用例のご紹介ってことで♪
Post-gay is a fledgling, somewhat murky idea that describes a homosexual identity in which sexual behavior no longer defines one's life. It's not bisexuality. It's not retreating to the closet. It is a way of saying, "We've come a long way, so calm down." In a post-gay world, homosexuals have won their battle for acceptance and are now free to move beyond identity politics. Anne Heche is post-gay, for example. Ellen isn't.
"Post-gay isn't 'ungay,"' explains James Collard, Out's editor in chief. "It's about taking a critical look at gay life and no longer thinking solely in terms of struggle. It's going to a gay bar and wishing there were girls there to talk to."
—"New Way of Being," The New York Times, June 21, 1998
<ざっと訳>
ポスト-ゲイというのは、我々の”生”というのは、個人の性的趣向などによって生き方を決定しまうのではない同性愛のアイデンティティについての新しいちょっと分かりづらい概念。ポスト-ゲイというのは、バイセクシャルでも、クローゼットの中にひっそりと隠しておくというのでもない。言ってみれば「同性愛問題も、思えば遠くへ来たもんだ。漸くほっとできるよ」と言ったところ。ポスト-ゲイという考えの中では、同性愛社は、”認められ”、貼られてきたレッテルなどにとらわれず自由に行動できる。Ann Hecheはポスト-ゲイだが、Ellenは違う。ポスト-ゲイはOut'sの編集長であるJames Collardによると同性愛社ではないということとは違う。彼は言う。「ポスト-ゲイの概念というのは同性愛者の人々へ向けられた批判的な世間の目に対しての概念なのです。もう負の要素と関連づける必要はなくなりました。ゲイバーにいって女の子に声をかけられるようになるということなのです」
1994年に初めてpost-gayという言葉が使われたようだ。
Earliest Citationとして、このような引用がある。
in the generation before (gay liberation), there were a lot of gay men, like Truman Capote, Tennessee Williams and Gore Vidal, who would not write about gay subject matter at all. ... They were frank about admitting they themselves were gay, but they never wrote about that because they wanted the big public.
Then there was my generation, and many of us wrote almost exclusively about being gay, although in my own case I've written two novels in which there were no gay characters. But they were my least successful novels with the public.
Now you have writers like Alan Gurganus, who published the first gay story in the New Yorker in 1974 and was always very clear about being gay. But (his novel) ''The Oldest Living Confederate Widow'' has virtually no gay theme in it.
I call it sort of post-gay. People aren't in the closet, they're frank about their sexuality, but they don't feel limited to gay subject matter. They feel they can write about anything.'
—Edmund White, quoted in Fritz Lanham, "Beginnings of liberation," The Houston Chronicle, November 27, 1994
<ざっと訳>
ゲイ・解放運動(gay liberation)前の世代にも、たくさんの同性愛主義男性がいた。例えばTruman Capoteとか、Tennessee Williamsとか、gore Vidalとかね。で、彼等は「同性愛」を題材にして作品を書いたりは一度もしなかった。彼等は自分がゲイであることを軽く認めていたけど、注目を集めたいからと同性愛について書くことは決してしなかった。彼等の世代が去って、我々の世代になった。我々の多くは、敢えてゲイであることに限定したような作品を書いた。もっとも私の場合は、同性愛者が登場しない小節を2つ書いたけど、それが一番大衆に受けが悪かった。
現在、Alan Gurganusのような物書きがいる。彼は1974年に雑誌ニューヨーカーに初めてゲイの話しを書き、彼がゲイであることは明らかだった。けれど、彼の'The Oldest Living Confederate Widow''の中には一切同性愛は扱われていない。
これは、ポスト-ゲイと呼んでもよいのではなかろうかと私は思う。同性愛主義者はクローゼットの中に引きこもってはいない。自分たちがゲイであることを隠してもいない。が、同性愛のことばかりを題材にしなくてはいけないと自分たちを制限してもいない。自分たちがどんなことを題材にして執筆しても良いのだと思っている。—Edmund White, quoted in Fritz Lanham, "Beginnings of liberation," The Houston Chronicle, November 27, 1994
さぁ、どうなるんだろうか、Elen kaganは。。。
さぁ、どうなるんだろうか、LGBTのこれから。
セクシャルオリエンテーションってとってもプライベートな部分なのに、LGBTであるからとて、全く性生活に関係ないところで、大きな看板をかかげてなくちゃいけないというのは、理不尽だと思う。
例えばLGBTでも、いちいち、『重大な告白があるんです』的ドラマとか、最近のニッポンのテレビでさんざっぱら出てくるLGBTの”ゲイノウジン”の方々は、LGBTを前面に出していないと存在できないという瀬戸際で頑張っているようで、切ない。『え”?ゲイですが、何か?』という『だからどしたの?』ってところまでヒトの意識が移行するのにはこれからだいぶ時間がかかりそうだ。つい、著名な芸術家などを言及する時にも、その芸術家さんがLGBTだったりすると、あえて、LGBTの芸術家さんで、、、と枕詞をつけてしまうっていうの、私にもある。私の場合は、アドマイアする気持ちからの枕詞付けなんだけど、post-gayの時代が本当の意味でくるのなら、わざわざ言う必要もなるだろう。オトコ国会議員なんてわざわざ私たちが言わないのと同様に。
