Frida Kahlo - フリーダ カーロ/スイカ人生万歳 2
<関連記事>
Frida Kahlo - フリーダ カーロ/スイカ人生万歳
http://ameblo.jp/salsa-dip-floppy/entry-10505882901.html
"MY" finding Frida Kahlo - フリーダ•カーロを探して 1
"MY" finding Frida Kahlo - フリーダ•カーロを探して 2
Museo Mural Diego Rivera - ディエゴリベーラの壁画
the frida fighters - フリーダの作品をめぐる戦い 1
the frida fighters - フリーダの作品をめぐる戦い 2
the frida fighters - フリーダの作品をめぐる戦い 3
the frida fighters - フリーダの作品をめぐる戦い 4
Frida Kahlo - フリーダ カーロ/スイカ人生万歳
Frida Kahlo - フリーダ カーロ/スイカ人生万歳 2
Leonie Gilmour - レオニ・ギルモア

「フリーダのような自画像は、僕にも誰にも描けない」(ピカソ)
彼女の強烈な絵の中でも最もショッキングな作品「私の誕生」を、現在所有しているのは何とあのマドンナ!彼女は居間にその絵をかけて、どう反応するかを友人の試金石にしているという。
映画「フリーダ」(FRIDA)
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/2967/hikalu/frida.html
はてさて、フリーダの生家、通称「青の家」(La Casa Azul)(夫であったディエゴ リベラが壁をこのような青で塗ったんだそうだ)を漸く訪れることができたわけですが、本当にこの青、メキシコの太陽にさすがぴったりきます。そしてこの青の鮮やかさにカナシクなるのは、彼女の生きた後には、彼女のanguish(苦悶)やagony(心身の耐え難い苦痛)が点在していて、太いまつ毛、うっすらと自画像の中に描かれた上唇の上の濃い産毛、凛とした顔立ちと相反して痛々しいから。まさにpoignantという言葉ってこのような時に使うのかしら。
彼女の作品に興味のある方は、どうぞ。
< フリーダ カーロの画像サーチリンク>
http://images.google.com/images?client=safari&rls=en&q=frida+kahlo&oe=UTF-8&um=1&ie=UTF-8&ei=sNC0S-b5KML-8AbqlbnhAw&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CB0QsAQwAA
<フリーダ カーロ関連リンク>
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/8211/kahlo_works1.html
人生ッテ、、、
とつぶやきたくなる人生が、時々神様からもたらされちゃう人がいる。
多分フリーダもそのひとり。
メキシコ激動の時代。小児まひ、のちの身体障害、致命的な交通事故、流産、片足切断。
そして47歳で亡くなった彼女のデスマスクはあんまり小さくてはかなかった。
小児まひにかからず、五体満足で、交通事故にも合わず、普通に親になって、両足をもったまま、長生きして亡くなる人なんてゴマンといるのに。
博物館の彼女のベッドがおいてある部屋にあった、義足や、コルセットが余計に、フリーダが生きていたことを鮮明にする。私が博物館でみた限りでは彼女の自画像に、はじけるような笑いがあることはなかった。
日本語ウィキをみると、彼女の父親について
こんなふうに書いてある。
ドイツ系ユダヤ人[1]移民でルーマニア・オラデア出身の写真技師の父・ヴィルヘルム(メキシコ移住後はスペイン語風のギジェルモに改名)とメキシコ先住民の血を引く母・マティルデ[2]の間に生まれた。
けれども、英語ウィキにはこんなふうに。
Her father, Guillermo Kahlo (1871-1941), was born Carl Wilhelm Kahlo in Pforzheim, Germany, the son of Henriette Kaufmann and Jakob Heinrich Kahlo. While Frida herself maintained that her father was of Hungarian-Jewish ancestry,[4] researchers have established that Guillermo Kahlo's parents were not Jewish but Lutheran Germans.[5] Guillermo Kahlo sailed to Mexico in 1891 at the age of nineteen and, upon his arrival, changed his German forename, Wilhelm, to its Spanish equivalent, 'Guillermo'.
父方のルーツはいまいちはっきりしない。
ところでたった今聞きかじったところによると、
”ユダヤ人”であるためには、母親がユダヤ人でないとダメなんだそうで、今年、ロンドンでも、ユダヤ人学校にコドモを入学させようとしたユダヤ人が、コドモの母親がユダヤ人ではないということから入学を拒否され、訴訟問題になったなんてニュースがあったんだそうだ。一歩単一民族国家、ニッポンから出ると、ルーツも単純じゃない。
http://abcnews.go.com/International/wireStory?id=9354319

ベッドの置いてある部屋の壁には、共産主義のリーダーたちのポートレートがあった。
毛沢東にスターリンにレーニン、トロツキー。中国オリジンなのか、ポートレートの下の名前はチュウゴク語表記だ。
彼女も彼女の旦那さんのディエゴ リベーラも熱心な共産主義者だったけど、ふたりとも1929年にメキシコ共産党を離党している。あるサイトによると、フリーダは1937年にトロツキーと不倫までしちゃってる(笑)


ちなみにフリーダのお母さんはネイティブメキシカン。

博物館では、作品の説明等もほとんどがスペイン語。
英語の説明などはあまりないので、結構理解に苦しむ。
lonely planetのmexico cityにはこんなふうに書いてある。
Iconic Mexican artist Frida Kahlo was born, lived and died in the "blue house", six blocks north of Plaza Hidalgo. almost every isitor to Mexico City makes a pilgrimage here to gain a deeper understanding of the painter (and maybe to pick up a Frida handbag).
(中略)
Kahlo's art expresses the anguish of her existence as well as her flirtation with socialist icons. partraits of Lenin and Mao hang around her bed, and in the upstairs studio an unfinished portrait of Stalin stands before a poignantly positioned wheelchair. in another painting....
さすがに、ヨーロッパからの旅行者だと思われる人達の姿が目立つ。
英国バーミンガムから来たという女性ふたりと遭遇しました。
博物館のいたるところに飾られている紙細工の人形も可愛かったし、ロンリープラネットにもあるように、フリーダバッグもなかなか使いやすそうなのがありました(笑)
マドンナもフリーダの絵を購入したとか?!
美しいフリーダ映像を拝みたい方はこちら
http://blog.goo.ne.jp/artactress/e/691c9a50a01481fa8688c99fff1dd8e8
<関連リンク>
http://masamunet.seesaa.net/article/9076047.html
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「フリーダのような自画像は、僕にも誰にも描けない」(ピカソ)
彼女の強烈な絵の中でも最もショッキングな作品「私の誕生」を、現在所有しているのは何とあのマドンナ!彼女は居間にその絵をかけて、どう反応するかを友人の試金石にしているという。
映画「フリーダ」(FRIDA)
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/2967/hikalu/frida.html
はてさて、フリーダの生家、通称「青の家」(La Casa Azul)(夫であったディエゴ リベラが壁をこのような青で塗ったんだそうだ)を漸く訪れることができたわけですが、本当にこの青、メキシコの太陽にさすがぴったりきます。そしてこの青の鮮やかさにカナシクなるのは、彼女の生きた後には、彼女のanguish(苦悶)やagony(心身の耐え難い苦痛)が点在していて、太いまつ毛、うっすらと自画像の中に描かれた上唇の上の濃い産毛、凛とした顔立ちと相反して痛々しいから。まさにpoignantという言葉ってこのような時に使うのかしら。
彼女の作品に興味のある方は、どうぞ。
< フリーダ カーロの画像サーチリンク>
http://images.google.com/images?client=safari&rls=en&q=frida+kahlo&oe=UTF-8&um=1&ie=UTF-8&ei=sNC0S-b5KML-8AbqlbnhAw&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CB0QsAQwAA
<フリーダ カーロ関連リンク>
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/8211/kahlo_works1.html
人生ッテ、、、
とつぶやきたくなる人生が、時々神様からもたらされちゃう人がいる。
多分フリーダもそのひとり。
メキシコ激動の時代。小児まひ、のちの身体障害、致命的な交通事故、流産、片足切断。
そして47歳で亡くなった彼女のデスマスクはあんまり小さくてはかなかった。
小児まひにかからず、五体満足で、交通事故にも合わず、普通に親になって、両足をもったまま、長生きして亡くなる人なんてゴマンといるのに。
博物館の彼女のベッドがおいてある部屋にあった、義足や、コルセットが余計に、フリーダが生きていたことを鮮明にする。私が博物館でみた限りでは彼女の自画像に、はじけるような笑いがあることはなかった。
日本語ウィキをみると、彼女の父親について
こんなふうに書いてある。
ドイツ系ユダヤ人[1]移民でルーマニア・オラデア出身の写真技師の父・ヴィルヘルム(メキシコ移住後はスペイン語風のギジェルモに改名)とメキシコ先住民の血を引く母・マティルデ[2]の間に生まれた。
けれども、英語ウィキにはこんなふうに。
Her father, Guillermo Kahlo (1871-1941), was born Carl Wilhelm Kahlo in Pforzheim, Germany, the son of Henriette Kaufmann and Jakob Heinrich Kahlo. While Frida herself maintained that her father was of Hungarian-Jewish ancestry,[4] researchers have established that Guillermo Kahlo's parents were not Jewish but Lutheran Germans.[5] Guillermo Kahlo sailed to Mexico in 1891 at the age of nineteen and, upon his arrival, changed his German forename, Wilhelm, to its Spanish equivalent, 'Guillermo'.
父方のルーツはいまいちはっきりしない。
ところでたった今聞きかじったところによると、
”ユダヤ人”であるためには、母親がユダヤ人でないとダメなんだそうで、今年、ロンドンでも、ユダヤ人学校にコドモを入学させようとしたユダヤ人が、コドモの母親がユダヤ人ではないということから入学を拒否され、訴訟問題になったなんてニュースがあったんだそうだ。一歩単一民族国家、ニッポンから出ると、ルーツも単純じゃない。
http://abcnews.go.com/International/wireStory?id=9354319

ベッドの置いてある部屋の壁には、共産主義のリーダーたちのポートレートがあった。
毛沢東にスターリンにレーニン、トロツキー。中国オリジンなのか、ポートレートの下の名前はチュウゴク語表記だ。
彼女も彼女の旦那さんのディエゴ リベーラも熱心な共産主義者だったけど、ふたりとも1929年にメキシコ共産党を離党している。あるサイトによると、フリーダは1937年にトロツキーと不倫までしちゃってる(笑)


ちなみにフリーダのお母さんはネイティブメキシカン。

博物館では、作品の説明等もほとんどがスペイン語。
英語の説明などはあまりないので、結構理解に苦しむ。
lonely planetのmexico cityにはこんなふうに書いてある。
Iconic Mexican artist Frida Kahlo was born, lived and died in the "blue house", six blocks north of Plaza Hidalgo. almost every isitor to Mexico City makes a pilgrimage here to gain a deeper understanding of the painter (and maybe to pick up a Frida handbag).
(中略)
Kahlo's art expresses the anguish of her existence as well as her flirtation with socialist icons. partraits of Lenin and Mao hang around her bed, and in the upstairs studio an unfinished portrait of Stalin stands before a poignantly positioned wheelchair. in another painting....
さすがに、ヨーロッパからの旅行者だと思われる人達の姿が目立つ。
英国バーミンガムから来たという女性ふたりと遭遇しました。
博物館のいたるところに飾られている紙細工の人形も可愛かったし、ロンリープラネットにもあるように、フリーダバッグもなかなか使いやすそうなのがありました(笑)
マドンナもフリーダの絵を購入したとか?!
美しいフリーダ映像を拝みたい方はこちら
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