vancouver miscellaneous - バンクーバーオリンピック雑談

スケードボードの国母選手が、「けっこうふざけた恰好」で成田を発ち
ひんしゅくをかって謝罪会見をしたというのを、私は人づてに聞いた。

なもんで、さぞかし、すさまじい恰好をして、世間をひるませたんだろうな~と思っていたのだけれど、ネットでその時のいでたちを拝見して、正直、


これしきのことであんな騒ぎがどでかくなってしまうわけ~?叫び



と正直驚いた。


当時このニュースについての記事や、一般市民の方々から寄せられたコメントなんかを読んでて、、なんだか考えがどんどん膨らんでいってしまいそうだったから、少し寝かしておくことにした。


この国母選手のbehaviorについて考えを寝かせている間に、ちょっくらオリンピックに詳しいガイコクジン(Caucasian )とのおしゃべりに国母選手をとりあげてみた。


まず、日本でメディアは大きく取り上げーの、その取り上げられた国母選手の態度やいでたちについてのものすごい反響が日本でわき起こっている最中、海外のメディアではとっても小さく申し訳程度に扱われていただけだった。勿論、日本の選手のことは日本が一番大きく取り上げるに決まっているんだけど、


「オリンピック選手として」とか、「オリンピックという舞台で」とか、オリンピック故の一大事となったんだとしたら、多少、外国のメディアだって、日本にこんなにオリンピックを冒涜するあるまじき服装をした一選手がいたというような報道があっても良いと思った。

が、倫理とか道徳とか、国の代表として、ヒンカクは、、、なんて事柄に触れた英文での記事は見つからない(話しはずれるけど、どこかの記事で、品格にdignityという英語をあてているのをみた)。
ただ、簡単に事実をのべて、ネクタイをゆるくしめて、シャツをパンツの外に出して、パンツをずり落としてはいていたせいで批判を受け、オープニングセレモニーに出させてもらえなかったこと、SAJがもう、除名だ~と行ったけど、橋本聖子さんが説得して、オリンピック出場の権利は剥奪されなかったということ、記者会見で反省してますという言い方に誠意がなかったこと、オリンピックを特別なイベントだと思っておらず、単にスノボーイベントの1つでしかない的な発言をしたことなどが日本語での報道同様に書かれていた。




私は、少々平和すぎる日本が、またしても、同じことを延々と報道/騒ぎ続ける日本の最近のメディア(のりぴーだって、市橋容疑者だって、朝青龍だって、もう彼等の顔が脳裏にへばりつくまで同じような報道が延々と続きましたね。そして逆にもっと市橋容疑者をみたい!って思ってもある時突然ぴったりと報道されなくなる)のいい例だってなくらいにしか正直思わなかった。それでもって、また単一民族の島国育ちという(我々日本人自身がそんな気性、性質でありたいと望んだ、そんな気性を誇りに思うか否かはべつとして)生い立ちも手伝って、異な者をなかなか認められない。確かに”普通”域にいるひとが大多数だ。0点から100点までいろいろいる中の平均点が50点なんじゃなくて、日本はどっちかっていうと、大多数のヒトが50点ゾーンに存在している。だから、35点でも85点でもやたら目立ってしまう。
(だいたい移民の方々がもっともっと普通に暮らしている諸外国では、あれくらい気崩したって誰にも気づいてもらえないくらいかもしれない。”おしゃれ~”なつもりのドレッドヘアだって、例えばウエストバージニアとかカリビアンとかそっちの方にいけばあたりまえにごろごろしてる普通のヘアスタイルだろうし、その辺りの地域からの移民の多いイギリスなんかにもごろごろしてる。普通の何の変哲もない市民がドレッドヘアで当たり前という意識の私には、このドレッドヘアをしてたばっかりにエキストラの中傷を小久保選手がされてしまうのが却って不思議だ)。


個人的には彼だって、オリンピックにでるんだどーってはりきっていて、ものすごく頑張って、鼻ピーを選んだり、朝、鏡でヘアスタイルをチェックしたり、彼流の着崩し方を研究したりしたんじゃないかなって思う(笑)


多分我々日本人は往々にして、「生意気そうな」イメージを持つヒトが嫌う傾向があると思う。
腰が低くて謙虚でヒトを立て、控えめでっていうヒトが好まれるからには、そのギャクのヒトは敬遠されがちになる。


なもんだから、朝青龍とか、国母選手とか、こういうヒトは何かしでかさなくても、「くそ生意気な奴」ってすぐになっちゃうんだと思う。オリンピック選手とあらば、国民が聞きたいのは、オリンピックという大きな舞台にたてたのも皆様のおかげです的な発言だろう。それもわかる。それが応援する側の心理ってもんだ。

(でも国として考えると、そんなまだまだコドモのような子の未成熟で幼稚な立ち振る舞いやら、服装ならを”叩いて”、認められないというその一方で、とっても怪しい政治家が結果的に認められちゃっていたりする。政治家たるやちょろまかしをしようとしたのがばれてもまだ職務についていられるような悪い意味で”寛大”な国民がどうしてこんなささいなことで、まだまだ未成熟そうな子を叩くんだろう?)


ネット上のいくつかの世論を拝読したけど、まるで、ユニフォームに縫い付けてあった、日の丸アップリケを無理矢理はがしちゃったような勢いだった。シャツは自前にしちゃいましたとか、ジャケットにののしり言葉かなにかの刺繡を施しちゃいましたとかいうのならわかるけど。あの程度の着崩しであれだけの言葉を浴びせられてしまうシャカイなのか~と怖くなった(あるいは匿名でなんでも言えてしまうと、すごいことを言いだしてしまうという陰湿性?それともネット上のマナー問題?)(笑)



だって、日本在住の移民の方々の中でオリンピックへの代表選手がでれば、いろんな宗教や文化を持っていて当然なわけでしょう。ターバンを巻いたヒトがいても、それこそ子供の頃からドレッドヘアのヒトがいても、宗教的に体にピアスをしたヒトがいても、入れ墨だってありなわけです。



そういう結構諸外国では当たり前のことが当たり前じゃないものになってしまうという環境が日本にはあって、そこの価値観、文化、慣習の中でずっと生きていると当然、異なものに対する柔軟性もどんどん固くなって行ってしまうわけです。

ネクタイやスーツ、”洋服”の本場のヒトたちに、あの国母選手の出で立ちをどう思うかと聞いてみたら、


「コドモがコドモの恰好をしてでてきた。ただそれだけって感じ」

なんてことを言っていた。

「kidが19歳かそれくらいのコドモがしたがるいかにもファッションで出て来たという印象以外に、別にオリンピックに対する品格がどうの、国の恥だとかそこまでの次元じゃない」

云々。


ねえねえ、じゃあさぁ、これってニッポン独特のお国柄だと思う?
とるにたりないことをニュースにして、それに世論がまるで過剰反応する。
ステレオタイプの「こうあるべき」的なフォーマリティからはずれちゃうと結局たたかれる。
閉鎖的な日本だからこそのこの騒ぎだったのかもね、、、、


と私がいったことについての答えとして意外な返答があった。


このオリンピックにかなり詳しい友人は、私に同意はしなかった。


この人が言うには、

オリンピックっていうのは、ものすごいイベントだと考えられているんだそうで。
(本当は殊にここ数十年は裏では単なるドル箱インベントで、いろーんな団体/企業の卑劣な利益争いを繰り広げるビジネスでしかなかったとしても)やはりオリンピックの威力っていうのは凄くて、絶大な経済面でのパワーを誇るオリンピックという伝統の中では、一方で神聖なものであるという思いが強くて、選手は「各国の代表」という意識も強い。もうほとんどこれは宗教といっていいくらいの根強くて絶対的なオリンピック崇拝が世界にはあるんだそうだ。平和の祭典とか、この開催時だけは、世界が一丸となって楽しく、、みたいな。そんな伝統をけがされて怒る人があるのも当然だ。まあそんな崇拝があるから故、大きなビジネスになるんだろう。オリンピックで豊かになるのは開催国じゃなくて、開催地じゃなくて、大企業だっていうもんな~。お金になるからくらいつく。扇動する。

で、オリンピック開催地に詰めている記者はどんなことでも「書こうとする」んだそうだ。
「ささいなことだな」って思ってもテレビで報道そのちょっとした事が報道されちゃったりすると、やはり、テレビにまででたことを新聞はカバーしてなかったなんてことになってしまうから、書かざる得ないなんて事情があることもあるそうだ。だから、例えば、アメリカやイギリス、フランスなんかのとある選手があんなふうに斜に構えたような態度と受け取られちゃってもしょうがないような態度をとったり、だらしないユニフォームの着方をしていたら、記事になったり報道されたりしたかもしれないと言っていた。

私は個人的に、日本が騒ぎ過ぎだと思っていたから、ほーそんなもんかと聞き入った。


じゃぁ、同じようにメディアが取り上げたとして、一般大衆がそこまで騒ぐか?

と聞くと、

(日本でどれくらい騒がれているかわからないから何ともいえないけど)やっぱり日本の方が出るくいは打たれ易く、歩調を崩す者はたたかれちゃうのかもしれないな~、でもだ。どこにでも、このような選手のふるまいに激怒する国民ていうのはいるはず。オリンピック崇拝はものすごいから。ほとんど愛国心と結びついちゃってたりする

との答え。

つまりどこにいっても自国のイメージと選手達がシンクされてしまう。国の代表として国のために戦う、、、みたいな。

いくら自分のために闘うんだと選手が思っても、後ろで翻る国旗。
そのようなことを重んじるヒトには、選手がいい加減なふるまいをしたりすると(そのように見受けられたりすると)、よくも恥をかかせてくれたなー、オレが払った税金をつかってけしからん!となるんだろうけど。

それじゃあ国母選手はなんであんないでたち/ふるまいをしたのでしょう?


とてもスノボーやご本人のイメージなんかを考えておられる選手でいらっしゃるようですので、型にはまらず、自分らしさ(自分が思うところのかっこよさ)みたいなものを主張されたかったんでありましょう。でもしかしたらあのユニフォームは彼の美意識の中では、「ださかった」かもしれないし、「オレのスタイルじゃない」と思われたのかもしれません。


そういうスピリットは大事だと思います。
マイケルジャクソンが来日した時に、日本には日本の文化があるからと、へーこらおじぎを連発して遠慮した婉曲表現しかしなかったらきっとコンサートは盛り上がらなかったでしょう。

特に、ココ一番と言う時に、パフォーマーって思いっきり、「オレだぜ」って自分の中で自分が思うところの最高にかっこいい状態に自分を保っておかないと、バランスがとれないってこと、あると思う。

けどね、私のとっても私的意見になってしまうと思うけど、


小久保選手のかっこつけ(かっこつけは良いことだよ)は、まさにドメスティック、日本国内のヒトの目を意識したとっても了見のせまいかっこつけだったように思えるのです。
幼い、naive(悪い意味。ニホンゴのナイーブとは意味が違います)。かっこつけたつもりで、すねてる反抗期の少年みたいにしかみえないし、しかも、ドレッドとか、パンツをずりさげてはくとか、そういうのって他のカルチャーの受け売りでしょ。オリジナリティ、ないじゃないの。
そして、もう成人しているのだから、社交マナーってのがないといかん。


スロバキアの選手がスロバキアの制服を大阪のヤクザふうに着くずしたようなもんじゃない?(笑)

世界のヒトは、極東のジャパニーズがまるでアフロカリビアンかゲットーのヒップポッパーみたいな恰好してでてきたけど、なんでやねん????

と不思議に思ったはず。


この不思議さは、仏教徒のニホンジンがチャペルで結婚式をあげて、賛美歌うたってなんとも思わないというようなとっても不思議な我々的考えがまかり通っていると分かりずらいかもしれません。が、西洋圏にはキリスト教徒で、「私日本に憧れているから神前結婚式したの」なんて人はあんまりいませんから。



さるまねは、世界的にはかっこ良くない。
あれでまだ、お父様がジャマイカ系の方で、、、とか、少年時代をアフリカンーアメリカンコミュニティで過ごしたとか、そういうバックグラウンドがあるならまだしも。外側だけが借り物だとしたら白ける~。


話しはずれるけど、一方イギリスではラッパーが学校をまわって、学校の大切さを生徒達に伝えたとか言うニュースを先日聞いたような気がしたけど、これならまさにcoolです♪

あるいは、彼の頭の中にも、結局は、彼のユニフォームの着方がまずいと怒りを表したヒトと同じ類いの刷りこみがあって、


スノーボーダーたるや、それっぽいヘアスタイルをしてたり、ファッションをしてたりしないとだめって思い込んでるとか?

ロックをやるならこんなスタイル、ヒップポッパーはこんなスタイル、ラグビーはこんな感じっていう型にとらわれすぎると、皆一緒になってしまう。となると一周まわって制服状態(ネコも杓子も同じ様)になって、例えば制服に反抗して自分のスタイルを見つけたような気になっても、結局制服と変わらないじゃん。◯◯はこうあるべきだって、こりかたまらないほうが良い。

国母選手のことは全くといって知りませんが、世界水準での大人になって世界舞台に出てって欲しいと思います。彼にとってはただのスノボーイベントとしてオリンピックだったかもしれませんが、それは彼自身にとってだけの話しであり、オリンピックを気持ちよく満喫したいと思うヒトたちに対して思いきり無関心でいることはできません。


民衆の我々は、鼻ピーをしているからけしからんとか、ドレッドヘアだから生意気だとか不良だとかそういう思い込みからは卒業した方がいいかもね。

協会や団体も、恥をかいた、顔に泥をぬられたじゃなくて、見守ってやって下さい的なサポートパフォーマンスがあってもよかったんじゃないかな~。で、辞めさせて解決ではなくてきちんと話し合ってできれば解決してほしい。


私の目に今浮かぶのは、まさしくいろーんな肌の色や目の色や髪の毛の色や人種や国籍や価値観がまじりあったイギリスのブリストルにあった学校の生徒達だ。ボランティアでいったんだけど。あそこまでいろいろあると、見かけでなにをしても目立てない(笑)日本は楽だったなーって思った。ちょっと髪の毛を金髪に染めれば(目立ちたけりゃ)日本の学校では注目が浴びられる。親も学校も友達もクラスメートも大げさにとりあげてくれる。けどあんな風にいろーんな生徒が集まる学校じゃなかなか目立てない。価値観もいろいろあるからいろんなかっこいいがあっていろんなかっこわるいがあるから、大変だ。
そしてちょっとくらい鼻ピーをしてても、先生たちも「不良扱い」してくれない。本当は斜に構えて、「どうせおれなんてよ」と黄昏れてみたくても、優等生や、他の子たちと一緒に、もう思いっきりあたなは良い子だって言われてしまう(笑)わけへだてがないのは、不良ぶりたい生徒には困りものかも?(笑)
いきがりたくても、ママが思いっきり笑顔で近寄って来てまたたくまに、「私の可愛いベイビー」といって抱きしめられてしまう(笑)


反省してま~すと語尾を伸ばしたという彼の発言も、Youtubeで拝見したけど、私としてはあんまり語尾を伸ばしているのが顕著にわからなかった。確かにサムライが殿様に謝るような、感じではなかったけど。





小久保選手も、周りの団体、協会も、世論をつくっていく我々民衆も、みんなで成熟して成熟したコミュニティーをつくっていきましょ♪



<参考記事>

英文による国母選手のbad dressing記事

http://www.japantoday.com/category/sports/view/snowboarder-kokubo-barred-from-games-opening-ceremony-over-dress-code