washing line outside - 外干し、中干し
みなさんは、洗濯物を外に干しますか?
それとも中に?
例えば私の母。
昔から洗濯物を外に干せるというのが、彼女にとっての大きな住居を決めるポイントだったようです。
晴れの日の少ない英国でも、洗濯物を外に干せるというのは、『ちょっとしたよろこび』で、白いシーツをお日様の下で思い切り広げて干せるささやかなよろこびなんていうのがあるみたいです。
ところがです。
外干しは以外にも、ひんしゅくをかうことが多かったりします。
鯵でもイカでも布団でも干しちゃうのが当たり前のカルチャーに育まれた我々には最初はなかなかピンと来ない異文化感覚です。
私もロンドンで暮らし始めた当時、ふかふかのお布団で眠りたくて、週末、天気に恵まれると、布団をバルコニーに干していたりしましたが、今思えば、、、ご近所の方が、
『あそこの新婚さん、昨日はどうお楽しみだったのかしらね~?』
的なジョークを飛ばしてたとしても不思議ではありません。
フラットには3世帯入っていて、三世帯で共同で使ってもよいという大きなバルコニーにwashing lineが数本張られていましたが、多分使っていたのは私たちだけだったと思います。
イギリスの家屋のように、どんなに小さな家でも、一応フラットではなく『ハウス』であれば、家の裏に裏庭があるのがほぼ当たり前で、裏庭に洗濯物を干すのは、ありかと思いますが、
(現に少々オールドファッションではありますが、『洗濯物を外で乾かせるのはハウスワイフのよろこび』なんていう観念がイギリスにはまだ残っていたりします)
本当に公共の目にふれるところに洗濯物を干してしまう外干しの印象は、私もつい、ネガティブな印象をもってしまいます。
とってもいけない言葉を使わせてもらいますが、
ぶっちゃけ、
貧乏くさいんです。
現に、アメリカでは、洗濯物が外に干されている地区は『貧困地区だ』なんていう偏見もあるくらいです。が、幸か不幸か、貧困地区に行けば行くほど洗濯物外干し率はあがるのが事実。
申し訳ありませんが、私の中にも気づいたらそんな意識がしっかり根付いちゃってます。
貧困地域に行けば行くほど、洗濯物の旗が翻っているっていうのが常でしたから。
このエリアは夜遅くひとりでふらふらしない方がいいな、
という地域には必ず、靴下だの、Tシャツだのがぶらさがる、哀愁のwashing lineがあったもんです。
先日のエントリで、
表参道うかい亭
私もたまたまこんな写真を使用しました。

スーパーブランドの立ち並ぶエリアでも、日本はこーんなに自由に、あるいは『我関せず』で、洗濯物が干せてしまいます。
多分、20年前の私であったら、
洗濯物を外に干したい派だったと思います。
外に干した方が、からっと乾いてお日様のにおいがして気持ちいいし、家の中では邪魔だし、乾燥機を使うのは無駄になる。
けれど、いつ体質改善(?)してしまったのか、最近、外に『景観なんて関係ありません。私の洗濯物さえ乾けばいいのー』とばかりに干された洗濯物に感じる私の印象はかなりネガティブ。
無遠慮、デリカシーがない、公共ということへの配慮に欠ける、という風に感じてしまいます。
ってなことがアメリカで論議を呼んでいるニュースを今日たまたまみかけました。
【ニューヨーク時事】洗濯乾燥機の利用が一般的な米国で、環境意識の高まりとともに洗濯物の外干しが見直されている。複数の州で、一部地域に残る外干し規制を撤廃する動きが相次いでおり、身近なエコの取り組みに道が開かれつつある。 米国では屋外の洗濯物は「景観を阻害」、「貧しさの象徴」といった意識が根強く、目にすることはまれだ。洗濯物が干してある地区では家屋の不動産価値が下がるとの声すらあり、米民間団体「プロジェクト・ランドリー・リスト」によれば、外干しに罰金が科される例もある。
ある男性が環境問題を考えて、乾燥機を使わずに外に洗濯物を干すようこころがけるよう周りのヒトビトによびかけたところ、賛否両論があったそうです。無駄なエネルギーの浪費を減らす為に賛成よ、という人と、『きたならしい』、『何故我らの美しい景観が自慢の地域に貧乏の象徴である洗濯物を干すひもをつるさなあかんの?』という人があったそう。
まずしくて、ひなびた雰囲気のエリアとしてイメージ付けられてしまうと、不動産価値すら下がってしまうという懸念もあるそうです。
環境問題だけを考えれば、まさに無駄な資源は使わないにこしたことなし!
なのですが、
景観への意識が低い日本人には分かり難い景観へのこだわりも、否めません。
テレビのニュースでフューチャーされた女性は、外干しをして資源の無駄を減らしたいと考えていましたが、不動産の契約書に、洗濯物を外に干してはいけない。と書かれています。違反をすれば罰金。それでも違反を続けると罰金額がどんどんあがっていってしまうそうです。
西洋ではこれくらい景観にこだわるのが普通だと思います。
そんなこだわりの中で暮らした西洋人が日本にきて、我々の景観意識をどう感じるのでしょうか?
私の目も、まだ日本の景観意識に慣れていないのか、小姑のようにめざとく、結構ぐちゃぐちゃの電線や、遠慮のない広告、そんなこんなを見つけ出しては不快感を感じています。それからついでに、、、。音の公害。御店の呼び込み、宣伝、etc。
チュウゴクの高級住宅施設でも、この外干し論議があったように記憶しています。当たり前のように、『何が悪いの?』と外干しをしてしまうメインランドチャイニーズに対し、台湾系アメリカ人の女性がかなり辛辣に責め立てたそうです。が、結局彼女の苦情は聞き入れられず、彼女の方がその住宅施設を出て行く事になったとか。彼女の感覚では、『高いお家賃を払って厳選した物件に住んでいるんだから、きたならしい洗濯物なんて干さないで!』ということなのでしょう。
(北京の胡同を歩くと、のべつまくなしに人目にふれようがふれまいが、ってな具合で、下着やら、すり切れたシーツやらが干してあります。これが極東アジアカルチャーなのかな~)
そんな文化の違いを知らずに、外国に駐在してしまったり、留学してしまったりして、はりきってお洗濯した後に洗濯物を外に干してしまったなんて時は知らず知らずのうちにひんしゅくをかってしまってたりするかもしれませんね。
日本で、電車から大きなアパートの洗濯ものや干された布団が見えるなんていうのも、結構『むむむ』な光景だと、つい私も思ってしまいます。
そんなこんなも、日本の住宅事情がもう少しまともなら、簡単に解決することなんでしょうけれど、働く人達が、大きな都市に住まざる得ないこの状況ではどうすることもできないのが現状。
ふつーの日本人にもクオリティーオブライフを!
ちなみに私は、庭付きの家に住んでいる時以外は、洗濯物は室内干しです。
みなさんは、洗濯物を外に干しますか?
それとも中に?
例えば私の母。
昔から洗濯物を外に干せるというのが、彼女にとっての大きな住居を決めるポイントだったようです。
晴れの日の少ない英国でも、洗濯物を外に干せるというのは、『ちょっとしたよろこび』で、白いシーツをお日様の下で思い切り広げて干せるささやかなよろこびなんていうのがあるみたいです。
ところがです。
外干しは以外にも、ひんしゅくをかうことが多かったりします。
鯵でもイカでも布団でも干しちゃうのが当たり前のカルチャーに育まれた我々には最初はなかなかピンと来ない異文化感覚です。
私もロンドンで暮らし始めた当時、ふかふかのお布団で眠りたくて、週末、天気に恵まれると、布団をバルコニーに干していたりしましたが、今思えば、、、ご近所の方が、
『あそこの新婚さん、昨日はどうお楽しみだったのかしらね~?』
的なジョークを飛ばしてたとしても不思議ではありません。
フラットには3世帯入っていて、三世帯で共同で使ってもよいという大きなバルコニーにwashing lineが数本張られていましたが、多分使っていたのは私たちだけだったと思います。
イギリスの家屋のように、どんなに小さな家でも、一応フラットではなく『ハウス』であれば、家の裏に裏庭があるのがほぼ当たり前で、裏庭に洗濯物を干すのは、ありかと思いますが、
(現に少々オールドファッションではありますが、『洗濯物を外で乾かせるのはハウスワイフのよろこび』なんていう観念がイギリスにはまだ残っていたりします)
本当に公共の目にふれるところに洗濯物を干してしまう外干しの印象は、私もつい、ネガティブな印象をもってしまいます。
とってもいけない言葉を使わせてもらいますが、
ぶっちゃけ、
貧乏くさいんです。
現に、アメリカでは、洗濯物が外に干されている地区は『貧困地区だ』なんていう偏見もあるくらいです。が、幸か不幸か、貧困地区に行けば行くほど洗濯物外干し率はあがるのが事実。
申し訳ありませんが、私の中にも気づいたらそんな意識がしっかり根付いちゃってます。
貧困地域に行けば行くほど、洗濯物の旗が翻っているっていうのが常でしたから。
このエリアは夜遅くひとりでふらふらしない方がいいな、
という地域には必ず、靴下だの、Tシャツだのがぶらさがる、哀愁のwashing lineがあったもんです。
先日のエントリで、
表参道うかい亭
私もたまたまこんな写真を使用しました。

スーパーブランドの立ち並ぶエリアでも、日本はこーんなに自由に、あるいは『我関せず』で、洗濯物が干せてしまいます。
多分、20年前の私であったら、
洗濯物を外に干したい派だったと思います。
外に干した方が、からっと乾いてお日様のにおいがして気持ちいいし、家の中では邪魔だし、乾燥機を使うのは無駄になる。
けれど、いつ体質改善(?)してしまったのか、最近、外に『景観なんて関係ありません。私の洗濯物さえ乾けばいいのー』とばかりに干された洗濯物に感じる私の印象はかなりネガティブ。
無遠慮、デリカシーがない、公共ということへの配慮に欠ける、という風に感じてしまいます。
ってなことがアメリカで論議を呼んでいるニュースを今日たまたまみかけました。
【ニューヨーク時事】洗濯乾燥機の利用が一般的な米国で、環境意識の高まりとともに洗濯物の外干しが見直されている。複数の州で、一部地域に残る外干し規制を撤廃する動きが相次いでおり、身近なエコの取り組みに道が開かれつつある。 米国では屋外の洗濯物は「景観を阻害」、「貧しさの象徴」といった意識が根強く、目にすることはまれだ。洗濯物が干してある地区では家屋の不動産価値が下がるとの声すらあり、米民間団体「プロジェクト・ランドリー・リスト」によれば、外干しに罰金が科される例もある。
ある男性が環境問題を考えて、乾燥機を使わずに外に洗濯物を干すようこころがけるよう周りのヒトビトによびかけたところ、賛否両論があったそうです。無駄なエネルギーの浪費を減らす為に賛成よ、という人と、『きたならしい』、『何故我らの美しい景観が自慢の地域に貧乏の象徴である洗濯物を干すひもをつるさなあかんの?』という人があったそう。
まずしくて、ひなびた雰囲気のエリアとしてイメージ付けられてしまうと、不動産価値すら下がってしまうという懸念もあるそうです。
環境問題だけを考えれば、まさに無駄な資源は使わないにこしたことなし!
なのですが、
景観への意識が低い日本人には分かり難い景観へのこだわりも、否めません。
テレビのニュースでフューチャーされた女性は、外干しをして資源の無駄を減らしたいと考えていましたが、不動産の契約書に、洗濯物を外に干してはいけない。と書かれています。違反をすれば罰金。それでも違反を続けると罰金額がどんどんあがっていってしまうそうです。
西洋ではこれくらい景観にこだわるのが普通だと思います。
そんなこだわりの中で暮らした西洋人が日本にきて、我々の景観意識をどう感じるのでしょうか?
私の目も、まだ日本の景観意識に慣れていないのか、小姑のようにめざとく、結構ぐちゃぐちゃの電線や、遠慮のない広告、そんなこんなを見つけ出しては不快感を感じています。それからついでに、、、。音の公害。御店の呼び込み、宣伝、etc。
チュウゴクの高級住宅施設でも、この外干し論議があったように記憶しています。当たり前のように、『何が悪いの?』と外干しをしてしまうメインランドチャイニーズに対し、台湾系アメリカ人の女性がかなり辛辣に責め立てたそうです。が、結局彼女の苦情は聞き入れられず、彼女の方がその住宅施設を出て行く事になったとか。彼女の感覚では、『高いお家賃を払って厳選した物件に住んでいるんだから、きたならしい洗濯物なんて干さないで!』ということなのでしょう。
(北京の胡同を歩くと、のべつまくなしに人目にふれようがふれまいが、ってな具合で、下着やら、すり切れたシーツやらが干してあります。これが極東アジアカルチャーなのかな~)
そんな文化の違いを知らずに、外国に駐在してしまったり、留学してしまったりして、はりきってお洗濯した後に洗濯物を外に干してしまったなんて時は知らず知らずのうちにひんしゅくをかってしまってたりするかもしれませんね。
日本で、電車から大きなアパートの洗濯ものや干された布団が見えるなんていうのも、結構『むむむ』な光景だと、つい私も思ってしまいます。
そんなこんなも、日本の住宅事情がもう少しまともなら、簡単に解決することなんでしょうけれど、働く人達が、大きな都市に住まざる得ないこの状況ではどうすることもできないのが現状。
ふつーの日本人にもクオリティーオブライフを!
ちなみに私は、庭付きの家に住んでいる時以外は、洗濯物は室内干しです。