Japanese r prone to die! - 死にやすい日本人

今日は恐怖の火曜日なわけで、

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私は火曜日の夜が嫌いです。

ブラウン管からは、うなり声やうめき声や金切り声、ふんばり声、、、いや違ったこぶしのきいた演歌が聞こえてくるわけです。

このようなチューン、こぶしが、我々の両親の年代には心にしみいってくるのでしょうか?
私には曇りガラスに爪をたてるのも同然なんだけど。。。

そして、嫌でも耳に入ってくる歌詞。

誰かが昔の流行歌を歌います。



で、どしても耳に入ってくる歌詞が、いかにも不可解です。

歌詞をざっと要約すると、



アカシアの雨に打たれて死んじゃいたいそうで、
夜が開けて朝がきて、自分の冷たくなった死体を恋人が発見してくれたら、泣いてくれるだろうか?

という、なんとも穏やかじゃない内容。


死んでも~おおおおおっ

とか、

命かけても~もぉっっっっっx

とかそんなんばっかなのがジャパニーズブルース。

ジャパニーズブルースってのは、
往々にして、

おいおい、たかだが失恋じゃんか。
おいおい、たかが、たった一人の恋人じゃないか。


ま、そういうこともあるさ。でも明るく頑張ろう。今にきっと良い事あるさってノリじゃない。

つらい、切ない、しんどい、でも意地でも負けるもんか~~、いつかきっと悲願達成。耐えて耐えていつかきっと成就するぞーという、執念/怨念系。

じゃなかったら、男尊女卑系ね。


奥さんのいる人を愛してしまった私はいけないオンナなの~とか、

奥さんのところに帰って行くあの人の後ろ姿を見送って、それでも待ちわびてーとか、

だまってそばにおいてほしいとか、だまってオレについてこいとか、ずっとお前を泣かせてきたオレだけどとか。。。

(そういう人が食堂で目下の女性に、ちょっと~たばこ煙いんですけど~なんて言われちゃうと、受け止められないんだろうな~)


で、だまって聞いてると日本のアイドルの歌う曲の根本にもこの、演歌の心は流れている。


日本の歌謡曲の歌詞をみると、なんだか見えてくる、日本の死に対する西洋にはない姿勢。


「一緒のお墓に入らないか」なんていうプロポーズの言葉、西洋じゃ考えられんだろ。


イギリス人の亡夫に、「死んだらアナタのすぐ横に埋められたい」
などとほざいたときに、まじでぎょっとされた。


(食卓で妻が夫に)「お父さん、そんなにとんかつばかり食べ過ぎないでくださいよ。あなたに先立たれたら私、どうしたらいいんですか?!」←食卓で死が話題に登るなんてことも普通ありえないのに。

これはどういうこっちゃ?

日本人がいつも死ぬことばっかり考えてるのか?
死を念頭において生きてるっていうのか?


また、


死んじゃうことがかっこいいっぽいのも日本のカルチャーだ。

死ぬことで絵になっちゃうんだろう。あるいは絵にしてしまう。

愛する人を待ちわびながら、現実的にしっかりたくましく生きちゃいけなくて、
演歌の世界とかでは、愛する人からの小さな贈り物かなにかを握りしめて死んでしまって美しいおちがつく。

死でしめくくるとなんだか美しい悲劇ができあがるような錯覚がある。

これが私は日本の自殺率の高さに加担しているように思えて仕方がない。
死ぬことは美しい孤高の志を全うしたなんてことにはならない。

美化した死なんて嘘だと思う。

死んじゃっても恰好なんてつかない。

(死んじゃおうかと思っているひとがいたら、お待ちなさい!)


世界2次大戦中に、例えばイギリス兵に聞いたらゼンインがゼンインとも、自殺するくらいなら捕虜になるっていうはずだ。(私のイギリス人の友人数人談)

それでいいんだ。
とっても正しい。
少しでも生き延びられるカノウセイの強い方に流れて行けばいいのだ。


敵軍からそんな屈辱を受けるのなら、辱めを受けるのなら、死んでしまおうなんて思って死んで行ってしまった人達のマネはしちゃいけない。

演歌を聞いていると、ついつい毒舌心が触発されてしまう。

退散。