yasukuni shrine - 靖国神社訪問 3

when time shall have softened passion and prejudice,
when reason shall have stripped the mask from misrepresentation,
then justice, holding evenly her scales, will require much of past censure and praise o change places.

Radha Binod Pal

<意見書の結語>
時が熱狂と偏見とを
やわらげた暁には
また理性が虚偽から
その仮面を剥ぎとった暁には
その時こそ正義の女神は
その秤を平行に保ちながら
過去の賞罰の多くに
そのところを変えることを
要求するだろう

ラダ•ビノード•パール

1997年11月、インド独立50周年を記念して京都府京都市東山区の京都霊山護国神社に顕彰碑が建立され、パールの長男夫妻が来日し除幕式が行われた。また、終戦60周年の2005年6月には靖國神社にも同様の顕彰碑が建立された。以下は靖国神社に建立されたもの。

$BANANA SPIRIT

ウィキペディア
ラダ・ビノード・パール (英語:Radhabinod Pal, ベンガル語:রাধাবিনোদ পাল, ヒンディー語:राधाबिनोद पाल, 1886年1月27日 - 1967年1月10日) は、インドの法学者、裁判官。日本では主に、極東国際軍事裁判(東京裁判)において判事を務め、同裁判の11人の判事の中で唯一、被告人全員の無罪を主張した「意見書」(通称「パール判決書」)の作成者として知られている。教科書や文献、新聞等では、『パル』表記も多い。

パールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。

↑これはウィキペディアからの抜粋。

↓これは靖国神社内の彼の顕彰碑のところにあった、ハンドアウトからの抜粋。

博士はこの通称「東京裁判」が、勝利に奢る連合国の、今や無力となった敗戦国日本に対する野蛮な復習の儀式に過ぎない事を看破し、事実誤認に満ちた連合国の訴追には法的根拠が全く欠けている事を論証し、、、

だいぶ靖国ハンドアウトは主観が強い。
ように思われる。

ウィキペディアから抜粋
パールの意見書に接し、裁かれた被告が歌を遺している。
東條英機
「百年の 後の世かとぞ 思いしに 今このふみを 眼のあたりに見る」
板垣征四郎
「ふたとせに あまるさばきの 庭のうち このひとふみを 見るぞとうとき」
「すぐれたる 人のふみ見て 思うかな やみ夜を照らす ともしびのごと」
木村兵太郎
「闇の夜を 照らすひかりの ふみ仰ぎ こころ安けく 逝くぞうれ志き」
上記で「ふみ」と詠まれているのがパールの意見書のこと。


合掌