brighton Pride - part 3

イギリス滞在中にその他にも数組のいかしたゲイカップルと再会した。
なんでそんなことをわざわざここで話しているかっていうと、安定や安泰をすっからかんに失ってしまうことを恐れずに、自分が「こうだ」と思ったダイレクションに進んでいった彼女達のピュアさが好きだからだ。

いくらイギリスといえども、やはり、今迄普通の主婦として、普通の母親として暮らしていた女性が、ある時突如として、ゲイ(レズビアン)だといった日には今迄の男性のパートナーからもいろーんなリアクションが出る。怒りの固まりとなって”ゲイ”というセクシャリティを否定するヒト、相手が女性同士というのなら浮気のうちには入らないと思うヒト(笑)、精神病院へ行けというヒト、結果的には分かり合ってよい友になれるヒト。コドモにとってもものすごい変化に巻き込まれる。多分一時は混乱したり苦しんだりしたとは思うけど、結果的には母親のセクシャリティを認め、受け入れて、母親が連れてくる恋人の彼女ともうまくやっていってるようだった。

やはり、セフレ(セックスフレンドをこうやって呼ぶのでしょ?)とか風俗とかいうカルチャーの日本(あるいはアジア)とはちとカルチャーが違う。波風が立つのは分かっていても、ちゃんと自己申告して、相手の理解を求める。ばれなきゃいいというのとはだいぶ違う。

彼女達は、その代わり、安定とか安泰というようなものを失った。
大きな家、ダイニングルームや、ドイツ車、高級モールでの買い物や、手入れされた庭、エキゾチックな国でのホリデーなどを失った。それでも、元の生活には戻らないといっている。新しい恋人と楽しそうに笑っている。

そして勿論カミングアウトした以前も以後も、彼女たちはとっても良い愛情深い母親だ。
私がイギリスにまだいる頃、まだ声変わりもせずに、コドモらしい我がままをいってお母さんを困られていた彼女達の息子君も、17歳になり、大人になり、背も190センチにまで伸びて、週末に泊りにくる母親の恋人に笑顔で挨拶をしている。

(じゃあどこまで自分のセクシャリティを宣伝するのかという議論は別として)それでこそのブライトンプライドなのだろう。逃げも隠れもしない、偏見や差別なく我々を受け入れて欲しいというアピールなのだろう。

ピュアな気持ちで、心と身体で誰かを愛したい、誰かとパートナーシップを築いていきたいというヒトが私は好きだ。

ある友人は一見ハードコアに見えるタイプだ。けど、実はとってもジェントルだ。私も最初はちょっとびびった(笑)バリバリのステッパーで、見事なブロンド、日焼けした肌、ガムを噛みながら軽々と難しいステップもやってのける、ジムのメンバーさんだった彼女といつしかとても仲良しになったのだけど。初めて彼女がカミングアウトした相手の女性とは不幸にも終わってしまったそうだ。ケントでのマドンナのコンサートのビデオには彼女とその元彼女が2人仲良く映し出されいたけど。。。現在はスコティッシュの彼女と長距離恋愛をしながら愛情を育んでいるんだそうだ。先日のBBQパーティにその新しい恋人と娘さんと一緒に来てくれた。5週間に一度ずつお互いを交代に訪ねているのだそう。それ以外は、”今はあまり楽しみがない生活をしている”と言っていたが、嘆き感もない。彼女達にとって一番大切なのは


”偽りの毎日を過ごしてない”


ということなのだろう。


そしてこのパーティで彼女がカミングアウトしたせいでぎくしゃくしてしまっていたあるひとりの友人とのしこりもとれ、2人は昔のように毒舌を言い合い爆笑していた。周りで見守る我々もその2人の笑い声にほっと一安心。というよりも私なんぞ泣きたくなった。


前述の友人も、カミングアウトした時の最初の恋人との共通の女友達とうまくいかなくなり、さんざんな攻撃を受けたらしい(勿論どちらにも言い分がある)。それから数年。彼女は当時の友人をほとんど失っていた。が、私がイギリスに帰省(笑)し、私にそれらの友達に会いにいくのに乗せていってくれとせがまれ、しぶしぶ私を乗せて来てくれた時、一番衝突をしてしまった友人とのしこりがとれて3人で楽しいおしゃべりをした。和解成立!彼女は来月からまた行きづらくなってしまっていたジムに通い始めることが嬉しくてはしゃいでいる。

外国だから、イギリスだから、ゲイに対する理解もすすんでいるから、どんな波風も立たないといえば、大間違いで(カトリックではないにせよ、キリスト教国ですし)、はやり彼女達は好奇の目にもさらされているんだと思う。そんな好奇の目に耐えられなくなって、『えいやーっ』と反動がでて、これ見よがしなゲイアピールをしてしまうヒトも少なくないのかもしれない。ロンドンパンクファッションと同じような反動図式だ。

私は今回の滞在である女友達が、女性同士のゲイ友だちや恋人の間で、今迄とはまったく違った自分の側面を楽しんでいるように思えて仕方がなかった。カミングアウトする前は、彼女は断然、『してあげる側のヒト』だった。長年一緒にくらしていた男性にも、2人の息子くんにもだからなんでもかんでもしてあげていた。やってあげないわ、もう!と思ってもどうしてもほっておけずにしてあげてしまうタイプだった。 takerというよりも断然giverであった彼女が、彼女の仲間の間で、小悪魔チックな我がままをいい、ちょっとしたおねだりをし、プチtakerのごとく振る舞っているのをみて、私は無性に、彼女に幸せになって欲しいと思ってしまった。もちろん昔のママの彼女も十分残っていて(笑)、朝から、ご飯を食べろ、これを全部食べてからじゃないと外出するなとうるさいうるさい(笑)。

私がイギリスの友達たちといて心地がいいのは多分、ヒトがそれぞれ自分だけの『幸せのものさし』を持っているからじゃないのかと思う。そしてものさしと共に町に繰り出してくる。自分のものさしは頑固に所持してはいるにはいるが、世間がうるさいので、外に出るときはシャカイ/コミュニティ共通のものさしに持ち替えて涼しい顔して外出なんてことをあんまりしない。


ヒトのものさしで自分の幸せを推し量ろうとすると、ろくな精神状態にならない。