culture gap - カルチャーギャップ

東京行きの飛行機の中で、面白いことに気づいたので、ここで取り上げてみたいと思います。

機内の乗客はほとんどが日本人で、佐原の西京焼とpaellaという機内食の選択がありましたが、私を含め、私の席から見渡せる人、全員が申し合わせたように佐原の西京焼を召し上がっていました。

機内食で、まず不思議だと思ったのが、デザートと思われるものが一切ついてないことです。
デザートでしめくくれない食事なんて、例え機内食であっても、欧米系のエアラインではありえな~い!
辛党の私も、思わず、何か足らない気分になったのでした。

そして特筆すべくは、機内食の食べ物の入った器の向きです。

佐原の西京焼の下には、筑前煮のようなものがあり、その脇に白いご飯がよそられていたんだけど、
このお皿ともいえず、トレイともいえない、あの機内食独特の入れモノ、、、、私が見渡す限りではゼンインがゼンインとも同じ向きに置いて食べていた!
ご飯が右側に来るように、おかず、、、つまり魚と煮物は左にくるように。


ギャク向きに置いて食べているのは私のみ。


どして?

私の場合、これ、どっちでもいいってわけじゃないんです。
このようなケースではご飯が左側じゃなくちゃ食べづらくてダメなの。どうしてもギャクじゃ納まり悪くて食べられない。

わたし的にはとても不思議現象。

そしてきれいさっぱりゼンインがフォークやスプーン、ナイフなど、一切使わず。すべて箸一膳で対応。
おー!なんて箸って便利なツールなんだ!

普通、チュウゴクのエアラインで北京ー東京を飛ぶと、いつも人がトイレに並んでいて列が短くなる暇がない。けれど、日系のエアラインではそんなトイレ混雑は発生しない。日本人て膀胱のキャパが大きい?それとも中国人はお茶の飲み過ぎ?

そんなことはさておき。
日本に帰ってくるという形で帰国するのは初めてなので、税関の別荘品申告なんてことも空港でしたわけですが(引っ越し会社が後日送ってくる私のニモツについて)、


西濃のカウンターがありますからそこに書類を提出してください。

わかりました。それってどこですか?

ここをまっすぐいったところにあります。


そういわれて直進するが見つからない。エンドのところまで行ってしまってからまた引き返してきて、他の人に聞いてみる。

西濃のカウンターってどこですかね?

ああここをまっすぐ行って(わたし的には引き返すことになる)、階段のところです。

そうですか、わかりました。

階段はあったけど肝心の西濃のカウンターが分からない。

まず最初に訪ねたインフォメーションデスクまで戻って、めっからないとほざく。

見つからなかったですか?あそこなんですけどねー、


と指をさす。

あそこに西濃と書いてありますね、あそこです。

え?私には見えません。

え?見えないですか、、、あそこなんですけど。


いやー何度言われても見えんものは見えん。


彼女が指差す方には、SEINGと書かれたカウンターしかないやんけ!セーイング。

セーイングってところがあって、そのどちら側ですか?

はぁ~?セーイングですか?西濃のカウンターをお探しですよね?


さんざ言い張った後に、分かった、Gと私が認識したのはOであって(OにデザインがしてあってGとしか思わなかった)、SEINOだったのだ。


実家に身を寄せ、私だけのワイアレスネットワークを構築。
ちょっと手こずって、母親のプロバイダーのテクニカルサポートを受けるが、テクニカルサポートを受けようにもニホンゴがいまいちちゃんと理解できないようで、最後には、もっとゆっくり喋って下さい。もう一度ゆっくり言っていて下さい。なんてことを繰り返す始末。

最後の最後には、泣きそうになりながら、

『ずっと日本に住んでなかったので、ニホンゴが話してるスピードで理解できなくなってるんです。もっと簡単に言って下さい。私のニホンゴも多分オカシイから理解できないときははっきりとそういって下さい』と嘆願。

したらこのお兄ちゃん、お年寄りに話すような口調になって話してくれた。


かといって最近の私の英語の劣化も甚だしいが、

これは決して語学の能力の問題じゃないと思う。何が言わずと知れた常識か、何が暗黙でわかりきってることかっていうあたりのことがずれてくると、コミュニケーションがぎくしゃくしてきちゃうのだ。
母国語は忘れはしないが、日本の週間や感覚から遠ざかるとその距離が言葉でのコミュニケーションに影響を与えるようになってきるみたいだ。


うーん、つぶしがきかない日本人になってないといい。

せっかくこのぱっとしない今の日本をひっぱっていって上げようかしらと帰国したんだから(笑)