境界線の時

ねぇ、境界線の時ってあるじゃない?

昨日まで独身だったけど、今日から人妻
昨日まで学生だったけど、今日から社会人
昨日まで普通に仕事してたのに、今日から無職
昨日までイギリスにいたのに、今日からフランス
昨日までおじいちゃんは生きてたのに、今日、彼はもう存在してない
昨日まではボーイフレンドがいたのに、今日からはまたシングル
昨日までは普通に暮らしてたのに、今日からは宿無し
昨日までは友達だったけど、今日口走ってしまった一言で彼女は去って行ってしまった
昨日までは普通に生活しているつもりでいたけど、知ってしまったパートナーの浮気で人生が一気に塗り替えられてしまった
昨日まで普通に使っていたお気に入りの財布、落としてしまって今日は影も形もない
昨日まで普通に使っていた手、けがしてしまってペンを持つこともできなくなった。
などなど

なによ、これら?


喪失感ともいえそう?




例をあげたらきりがない。

今日その境界線をまたいじゃった友達がいる。

昨日まで普通に北京で生活してたけど、今日から日本。。。。
とうとう境界線をまたいじまった。
つまり帰国してしまった。
ハニー、今までいろいろありがとう。寂しくなるわ。

彼女だけでなくて、いろんな境界線をまたいで我々は生きてる。
出会いにも旅にも境界線はつきものだ。境界線が、そのひとときをスパイスアップしてくれてるともいえなくもない。終わりがくるって分かってるから色彩を放つなんてこともありかもしれぬ。

私は季節の変わり目には決まってこの自分がまたいできた無数の境界線のどっち側に自分がいるのか、混乱するのだ。別れて来た人たちとまだつながってるような気がして、亡くなったヒトがすぐ脇にいるような気がして、自分が今、北アフリカを旅行中なのか、今はバリ島に旅行した以前なのか以後なのか、あの人と別れてからどれくらい月日がたってるのか、母親と毎日顔を合わさない生活なんてしたことがないような気がして来たりして、、、とにかく混乱する。

そして眠い。すごく疲れてる感じ。
運動しててもいまいちのれないことが多くなる。
春は眠くなるのが常だけど、春といってもまだこ~んなに北京は薄ら寒いっていうのに。

境界線で混乱すると、今まで過ごしてきた年月の長さものびたり縮んだりしてあれ?今っていつだっけ?あれ?私っていまいくつだっけ?あれ?どうして私って今ここにいるんだったっけ?と更に混乱する。
常に生年月日を思い出さされるようなシャカイじゃなかったら、こうしてだんだん自分の歳も分からなくなり、境界線の狭間を自由に行き来できたりするんだろうか?

こういうときはいろーいろ混乱した今と昔が混在した夢をみる。

さて、夢をみにベッドへ行こう。今日は別れて来た誰と会えるのか?