boyaki - ぼやき3 ニッポンにて
boyaki - ぼやき1 ワットフォード・ウェィ-Watford Way-、そしてboyaki - ぼやき2 ドックヤード-The Historic Dockyard-からの続きです。
日本をみせたかった。
日本を一緒にみたかった。
ただそれだけである。
鏡をみると、ジョンとは裏腹に、私は日に焼け、血行がよく、肩にはがっちりと筋肉がつき、生命力に満ち溢れているようだった。
湯上りに調理場の脇を通りぬけると、日本の台所のにおいがした。
木の節目にしょうゆと魚のにおいがしみついている。
ジョンと日本に戻ってくることができた。
浴衣すがたが好きだといった。
浴衣を着ていると、ちゃんと日本人に見えるよといった。
はじめて温泉に行ったときみたいに。
高熱に朦朧とする中でうっすらと目を開けて、湯上りの私をみてピクシーみたいだと言ってか弱く笑った。
生まれた国の言葉で自分を誘導すれば、「悲」の感情がするすると出口を見つけて出てくるものなのかもしれない。
いでゆ坂から少し入った閑散とした湯治場のケチな部屋の磨り減った畳の上につんつるてんの浴衣を着たやせぎすのガイコクジンが横ばいになって、熱にうなされている。
これが私の夫だ。
自分がぺロリと平らげた後で、ジョンが持て余しながら食べている同じものは、ジョンの手の中にあると、果てしなく制覇困難な大仕事に見える。
他国の言葉を使えば、全てがたにん事のようだ。
私が選んで使った言葉でも、感情の表面を先すべりしていく。
だから何でも話せる。
都会は病人には急がしすぎて、
いなかは病人には不便すぎて。
いろいろなことを覚悟して1年暮らした後で、覚悟が覚悟ではなくなって、覚悟が日常になっている。
あと4日。
この旅を続けさせてやりたい。
明日からは少しはましなところに泊まろうと言っていたのだし。土砂降りの雨が7分咲きの梅にあたって、ジョンは高熱をだして食事もできずに、床についた。
明日の朝、必ずジョンが、けろりと目を覚ますように。
「何をお祈りしたの?」
「教えない。口に出したら叶わなくなるから」
京都のお寺さんで、五島列島の教会で、天の岩戸の神社で、 お釈迦様に、神様に、観音様に、お地蔵様に、マリア様に。
―祈ることはいつも同じである。
boyaki - ぼやき1 ワットフォード・ウェィ-Watford Way-、そしてboyaki - ぼやき2 ドックヤード-The Historic Dockyard-からの続きです。
日本をみせたかった。
日本を一緒にみたかった。
ただそれだけである。
鏡をみると、ジョンとは裏腹に、私は日に焼け、血行がよく、肩にはがっちりと筋肉がつき、生命力に満ち溢れているようだった。
湯上りに調理場の脇を通りぬけると、日本の台所のにおいがした。
木の節目にしょうゆと魚のにおいがしみついている。
ジョンと日本に戻ってくることができた。
浴衣すがたが好きだといった。
浴衣を着ていると、ちゃんと日本人に見えるよといった。
はじめて温泉に行ったときみたいに。
高熱に朦朧とする中でうっすらと目を開けて、湯上りの私をみてピクシーみたいだと言ってか弱く笑った。
生まれた国の言葉で自分を誘導すれば、「悲」の感情がするすると出口を見つけて出てくるものなのかもしれない。
いでゆ坂から少し入った閑散とした湯治場のケチな部屋の磨り減った畳の上につんつるてんの浴衣を着たやせぎすのガイコクジンが横ばいになって、熱にうなされている。
これが私の夫だ。
自分がぺロリと平らげた後で、ジョンが持て余しながら食べている同じものは、ジョンの手の中にあると、果てしなく制覇困難な大仕事に見える。
他国の言葉を使えば、全てがたにん事のようだ。
私が選んで使った言葉でも、感情の表面を先すべりしていく。
だから何でも話せる。
都会は病人には急がしすぎて、
いなかは病人には不便すぎて。
いろいろなことを覚悟して1年暮らした後で、覚悟が覚悟ではなくなって、覚悟が日常になっている。
あと4日。
この旅を続けさせてやりたい。
明日からは少しはましなところに泊まろうと言っていたのだし。土砂降りの雨が7分咲きの梅にあたって、ジョンは高熱をだして食事もできずに、床についた。
明日の朝、必ずジョンが、けろりと目を覚ますように。
「何をお祈りしたの?」
「教えない。口に出したら叶わなくなるから」
京都のお寺さんで、五島列島の教会で、天の岩戸の神社で、 お釈迦様に、神様に、観音様に、お地蔵様に、マリア様に。
―祈ることはいつも同じである。