boyaki - ぼやき2 ドックヤード-The Historic Dockyard-
boyaki - ぼやき1 ワットフォード・ウェィ-Watford Way-からの続きです。
<闘病生活 ケント州にて>
晴れた朝、庭にでてシーツを干し、土をいじる。
なんて平和な週末なのだろう。
ジョンが命を失うっていうから、私がジョンを失うっていうから、与えられた仮の特殊処置であるのに、何て事のない平凡な小さな平和みたいだ。
子供なんて要らないわと言えることが幸せ。
子供なんて諦めるしかないといわれることは不幸せ。
精子を凍らせた。ジョンが跡形もなく消えると思うのはたまらないから。
手をつないで駅のプラットフォームに立って病院の建物をふたりで眺めた。
数ヶ月前には生きられないといわれて小さな部屋でふたりで泣いた場所。
ラッパ水仙の時期が終わる。また来年、ラッパ水仙が咲くころに、こうしてジョンと歩けるといい。
映画を見るのはどれくらいぶりか、どうにか歩けるようになったジョンが隣に座り、ポップコーンをふたりでほおばる。またこんな風なことが簡単にできるようになる気がした。
次の日ジョンは感染して入院。
そろそろと通りを超えて公園までたどり着く事がジョンの目標になった。 目標にむかって真っ直ぐに頑張ろうとするジョン。
じゃあ、私の目標はなに?
通りを超えて一緒に公園に行こう。
おしりにクリーム塗ってあげるね。
始めて出会った頃、いつでも私の歩調に合わせて歩いていたジョン。
ジョンには強すぎる西日に追い立てられて、そろそろと漂うように歩くジョン。
私がジョンの歩調に合わせる番。
連れ添った相手の言動の非は責めようがある。
連れ添った相手の運のなさはどうして責められようか。
血色の良い男達が白衣を血だらけにして店じまいをはじめるスミス・フィールドに行き交う。やりとりをする逞しい太い声や、しっかりと余力を蓄えた身体に気後れしながら大きなかばんを持ったジョンの手をひいて歩く。
大きなかばんを持たずにはどこにも出られなくなったジョン。
ジョンを抱きしめると、小さい頃にボロキレ同然に使い古されたぬいぐるみを思い出す。
耳がとれても、鼻がとれても、古びて、どんなに醜くなって、新しかったときの面影もないようになっても、代わりが見つからなかったぬいぐるみ。
壊れて原型さえ留めなくても手放せない。
婚約をした夏に買ったサンダルは今だ健在。
婚約をして結婚をした相手は…。
-壊れていてもいい。生き続けて欲しい。
清潔で真新しいこの家を、1つでも多くの生命で満たしてやりたくて、土をいじっては植物を植えて、水をやる。
この空間をいつも生命にあふれさせていれば、きっとジョンの命だって…。
薄暗い灰色の時を忘れて欲しい。
季節に気づく余裕もないジョンが眠り続けて3日が経つ。
婚約をした夏の、江戸川の花火に子供のようにはしゃいでいたジョン。
今週末はドックヤードのネイビー・デー。
夏の夜に花火が上がり、ブラスバンドが行進をする。
塀しかみえない薄暗い病室で、かすかに花火の音だけ聞いた。
ジョンに少しはましな週末を。
気持ちのよい夏の週末に、太陽も青い空も無視して眠り続けるジョンがきちんと息をしているかどうか、1時間おきに確認をしにいく。
よかった。しっかり生きている。
すでに4,5日、ろくに話しをしていない。
不安を和らげてやりたくて、頭をなぜる。
そっとなぜたはずなのに、ほろほろとあっけなく、ジョンの柔らかい髪が抜けていく。
ジョンはこの世界にしがみついてくれるだろうか?
髪くらいなんでもない。
青い顔で、辛そうにしながら、次から次へと電話をかけては、たらい回しにされ、何の結果も得られないジョンをいつまで見ていられるか、わからない。
「この人は転移なし」。 「あの人は予防のための抗がん剤」。
「あの人はもうかなりのお年より」。ジョンより「まし」なケースばかりだ。
知っている顔が、次々に治療を終えて去っていく。
癌病棟にて。
"I love you"などと、当分言われたくない。そんな言葉を今聞けば、たがが外れて、どうしてもジョンを失いたくないと地団駄を踏んで泣きわめくかもしれないから。
暗い足音が忍び寄るような気がして眠れない夜、横に眠るジョンを見る。
悪い予感とは裏腹に、子供のように眠るジョン。
どうにかしてやることがどうしてできないのだろうか?
夏がいってしまって寂しくなったけれど、ジョンと秋を迎えられたのが嬉しくて、無駄なものは買わないと、決めて入ったスーパーで、初物の栗を買う。
ありとあらゆる季節をジョンに感じさせてやりたい。
ドックヤードを歩いていても、さくさくとポプラの落ち葉が、足元に広がる。
ジョンはこうして生きていて、季節は、春だったあの一瞬から、夏が終わり、秋になった。
だから次の季節も、次の年も、私にジョンの体温を感じさせて欲しい。
背中がある朝、急に痛くなり、やっとの思いでしかジョンが歩けなくなった。そろそろと病院の廊下を歩いては、次の予約を取り次いでもらおうとしているジョン。
痛いのなら自分本意に歩けばいいのに、それでも私を先にドアに促し、行き当たった婦人に道を譲り、レディーファーストをまっとうしようとするジョンにかえって辛くなる。
今日はホスピスのファミリー・オープンデー。
ジョンと二人連れ立って、出掛ける。
暖かいデールームで、植木鉢に思い思いに色をつけ、らっぱ水仙の球根を植えてもらった。
二人の自慢の鉢に、ラッパ水仙が眠る。
春には、一緒に最初の花を見つけようね、きっと。
ホスピスがあんまり暖かく、平和な空気に包まれているので、余計に、ジョンが死んでいくものなのだと強く感じて泣けてくる。
ヘルパーの笑顔にも、高台の清潔な建物にも、反って死が見え隠れする。
こんなに本人も一生懸命なのに、それでもやはり、余命数ヶ月と言われて、私は2日間泣きました。
ジョンの指にはめられた結婚指輪を見るだけでも、ジョンの手書きの文字をを見るだけでも、心が痛くて、泣き続けました。
眠ったはずのジョンが私の泣く声に気づき、寝室から私を呼ぶ。
口八丁なことを言えないジョンは、「必ず生き続ける」とも言うに言えずに、ただただ黙って私の背中をさする。
あれもこれもだめ、どんな努力も癌の進行を止めることができない。
空回りをしている間に刻々と時間が過ぎてしまうものなのか。
これが絶望かと乾いた目をこすり、窓から雨上がりの夕方の空を見た。
つたの絡むドックヤードの塀のすぐ向こうから、虹が出ていた。
探せばきっと、世界のどこかに、治療法はある。それまで、どうかジョンが、私の手をしっかりと握り続け、癌にも運命にも連れて行かれないように。
boyaki - ぼやき1 ワットフォード・ウェィ-Watford Way-からの続きです。
<闘病生活 ケント州にて>
晴れた朝、庭にでてシーツを干し、土をいじる。
なんて平和な週末なのだろう。
ジョンが命を失うっていうから、私がジョンを失うっていうから、与えられた仮の特殊処置であるのに、何て事のない平凡な小さな平和みたいだ。
子供なんて要らないわと言えることが幸せ。
子供なんて諦めるしかないといわれることは不幸せ。
精子を凍らせた。ジョンが跡形もなく消えると思うのはたまらないから。
手をつないで駅のプラットフォームに立って病院の建物をふたりで眺めた。
数ヶ月前には生きられないといわれて小さな部屋でふたりで泣いた場所。
ラッパ水仙の時期が終わる。また来年、ラッパ水仙が咲くころに、こうしてジョンと歩けるといい。
映画を見るのはどれくらいぶりか、どうにか歩けるようになったジョンが隣に座り、ポップコーンをふたりでほおばる。またこんな風なことが簡単にできるようになる気がした。
次の日ジョンは感染して入院。
そろそろと通りを超えて公園までたどり着く事がジョンの目標になった。 目標にむかって真っ直ぐに頑張ろうとするジョン。
じゃあ、私の目標はなに?
通りを超えて一緒に公園に行こう。
おしりにクリーム塗ってあげるね。
始めて出会った頃、いつでも私の歩調に合わせて歩いていたジョン。
ジョンには強すぎる西日に追い立てられて、そろそろと漂うように歩くジョン。
私がジョンの歩調に合わせる番。
連れ添った相手の言動の非は責めようがある。
連れ添った相手の運のなさはどうして責められようか。
血色の良い男達が白衣を血だらけにして店じまいをはじめるスミス・フィールドに行き交う。やりとりをする逞しい太い声や、しっかりと余力を蓄えた身体に気後れしながら大きなかばんを持ったジョンの手をひいて歩く。
大きなかばんを持たずにはどこにも出られなくなったジョン。
ジョンを抱きしめると、小さい頃にボロキレ同然に使い古されたぬいぐるみを思い出す。
耳がとれても、鼻がとれても、古びて、どんなに醜くなって、新しかったときの面影もないようになっても、代わりが見つからなかったぬいぐるみ。
壊れて原型さえ留めなくても手放せない。
婚約をした夏に買ったサンダルは今だ健在。
婚約をして結婚をした相手は…。
-壊れていてもいい。生き続けて欲しい。
清潔で真新しいこの家を、1つでも多くの生命で満たしてやりたくて、土をいじっては植物を植えて、水をやる。
この空間をいつも生命にあふれさせていれば、きっとジョンの命だって…。
薄暗い灰色の時を忘れて欲しい。
季節に気づく余裕もないジョンが眠り続けて3日が経つ。
婚約をした夏の、江戸川の花火に子供のようにはしゃいでいたジョン。
今週末はドックヤードのネイビー・デー。
夏の夜に花火が上がり、ブラスバンドが行進をする。
塀しかみえない薄暗い病室で、かすかに花火の音だけ聞いた。
ジョンに少しはましな週末を。
気持ちのよい夏の週末に、太陽も青い空も無視して眠り続けるジョンがきちんと息をしているかどうか、1時間おきに確認をしにいく。
よかった。しっかり生きている。
すでに4,5日、ろくに話しをしていない。
不安を和らげてやりたくて、頭をなぜる。
そっとなぜたはずなのに、ほろほろとあっけなく、ジョンの柔らかい髪が抜けていく。
ジョンはこの世界にしがみついてくれるだろうか?
髪くらいなんでもない。
青い顔で、辛そうにしながら、次から次へと電話をかけては、たらい回しにされ、何の結果も得られないジョンをいつまで見ていられるか、わからない。
「この人は転移なし」。 「あの人は予防のための抗がん剤」。
「あの人はもうかなりのお年より」。ジョンより「まし」なケースばかりだ。
知っている顔が、次々に治療を終えて去っていく。
癌病棟にて。
"I love you"などと、当分言われたくない。そんな言葉を今聞けば、たがが外れて、どうしてもジョンを失いたくないと地団駄を踏んで泣きわめくかもしれないから。
暗い足音が忍び寄るような気がして眠れない夜、横に眠るジョンを見る。
悪い予感とは裏腹に、子供のように眠るジョン。
どうにかしてやることがどうしてできないのだろうか?
夏がいってしまって寂しくなったけれど、ジョンと秋を迎えられたのが嬉しくて、無駄なものは買わないと、決めて入ったスーパーで、初物の栗を買う。
ありとあらゆる季節をジョンに感じさせてやりたい。
ドックヤードを歩いていても、さくさくとポプラの落ち葉が、足元に広がる。
ジョンはこうして生きていて、季節は、春だったあの一瞬から、夏が終わり、秋になった。
だから次の季節も、次の年も、私にジョンの体温を感じさせて欲しい。
背中がある朝、急に痛くなり、やっとの思いでしかジョンが歩けなくなった。そろそろと病院の廊下を歩いては、次の予約を取り次いでもらおうとしているジョン。
痛いのなら自分本意に歩けばいいのに、それでも私を先にドアに促し、行き当たった婦人に道を譲り、レディーファーストをまっとうしようとするジョンにかえって辛くなる。
今日はホスピスのファミリー・オープンデー。
ジョンと二人連れ立って、出掛ける。
暖かいデールームで、植木鉢に思い思いに色をつけ、らっぱ水仙の球根を植えてもらった。
二人の自慢の鉢に、ラッパ水仙が眠る。
春には、一緒に最初の花を見つけようね、きっと。
ホスピスがあんまり暖かく、平和な空気に包まれているので、余計に、ジョンが死んでいくものなのだと強く感じて泣けてくる。
ヘルパーの笑顔にも、高台の清潔な建物にも、反って死が見え隠れする。
こんなに本人も一生懸命なのに、それでもやはり、余命数ヶ月と言われて、私は2日間泣きました。
ジョンの指にはめられた結婚指輪を見るだけでも、ジョンの手書きの文字をを見るだけでも、心が痛くて、泣き続けました。
眠ったはずのジョンが私の泣く声に気づき、寝室から私を呼ぶ。
口八丁なことを言えないジョンは、「必ず生き続ける」とも言うに言えずに、ただただ黙って私の背中をさする。
あれもこれもだめ、どんな努力も癌の進行を止めることができない。
空回りをしている間に刻々と時間が過ぎてしまうものなのか。
これが絶望かと乾いた目をこすり、窓から雨上がりの夕方の空を見た。
つたの絡むドックヤードの塀のすぐ向こうから、虹が出ていた。
探せばきっと、世界のどこかに、治療法はある。それまで、どうかジョンが、私の手をしっかりと握り続け、癌にも運命にも連れて行かれないように。