boyaki - ぼやき1 ワットフォード・ウェィ-Watford Way-

3月14日は特別な日。
ホワイトデーもそうなんだけど、この日は亡き夫が末期癌を告知された日。2001年だから8年前だ。

少なくとももう彼は苦しんでないからよかった。

当時の私のメモ書きを載せてきます。
今、病気と闘ってしんどい思いをされている方がいたら、負けないで欲しいと思っています。ほんとよ。



<まだ癌だって分からなかった時 ロンドンにて>

運が悪いのも、病気なんかになるのも、みんなジョンが悪いようなことを言って外に出た。
雹が降っていた。
コートの衿から首筋に入って痛かった。



もう寒さの峠は越したとはずなのに、駅を出たら雪が降ってた。
隙を見つけて道路を横切ろうと構えていたら、銀色の綺麗な車が止まって道を譲ってくれた。
とても嬉しかった。
夢から覚めるみたいに、目の前に執拗にぶらさがるどうにもならないいろいろな事が、溶けてなくなったような気がした。
家に戻るとジョンがお茶と一緒に羊羹を食べていた。



フラットのソファに座り、毎日を過ごすジョンが窓越しに見るのは、終わりのない道路の渋滞と道の向こうの葬儀屋の看板。もうこの道も彼は渡れない。


気になって電話を入れてみる。
ジョンがいつも通り電話に出る。
『ああよかった。自殺してなかった』とほっとして意地悪をしなおす私も私。


ジョンがアンラッキーなんじゃなく、私がアンラッキーなんだって思い始めたら終わり、心の悪循環の罠から出られなくなる。


不運をしょったようなジョンが洗面道具をつめたリュックをしょって青白い顔をして鉛色の空の中、バスに乗り込んで病院へ向かう。
私は幸運の女神ではないから、ジョンのついていない人生をかえてやれない。



最後の最後になって、殺風景なフラットで毎日を何もできずに過ごしてるんだっていうことに気付いて、駅前の露天で週末に百合を買って帰った。
ジョンがあんまり喜ぶのでかえってこちらがどうしたら良いのかわからなくなるほど。
ジョンがまた入院をしてしまった後で百合のつぼみが丁度よく開いてとても良い香りがしてる。


ジョンの病気を言い訳に降参したいと思うときがある。
あれこれもがいて、あの手コの手、どちらが吉かと思い巡らし、 右往左往して頭をぶつけてこぶだらけになるより、降参をして、ほそぼそと生きていくうちにすべてが終わって行くだろうから。


気がついた時にはジョンのにおいが違ってた。
これが病気のにおいなんだって思った。
においがないっていうにおい。
人間臭さが抜けてしまったにおい。
そのにおいのないにおいを感じるときは決まって嫌な予感がした。
やっぱりあたった。
嫌な予感だけが的中していく。



どんなに辛いと思うときでも『あんたなら大丈夫』としか母は言わなかった。
私がいつも欲しかったのは母の同情や哀れみなのに。
今は『あんたなら大丈夫』と母に言われたい。自分で大丈夫なのかどうかがわからないから。



私の可愛い痩せ蛙。
はじかれてはじかれて、ツキのなかった痩せ蛙。
挙句の果てには命さえも維持できない。
浮かばれない事に気付く事すらしないでいつも笑顔をふりまいていた。



<末期癌の告知/手術の日>

手で触って確かめるとそこにはまだ体温があった。不憫で惨めで可愛そうで苦しくなる。
手術の日の朝も地下鉄は止まる。いつ動きはじめるか判らない地下鉄を待つ間にジョンは手術室に行ってしまうかも知れず、戻ってこないかも知れず。閉鎖された駅の扉は頑として開く様子がない。
握り締めたゆりの花束がいつのまにか人ごみに散っていた。
包み紙だけをもって立っているのに気がついた。


"what can Imake you happy?"
と始めて会った日から、いつも考えているジョン。
私に最も過酷なレッスンを出すのも、いつもジョン。



私の膝の上から死を宣告されたジョンが私を見上げた。
―あんなにまっすぐで、透明で、強く迷いのない目を今までにジョンがしたことがあっただろうか―



去年も先が見えなくて、サクラの花を恨めしく眺めた。凍えながらロンドンを歩きまわっていた時。これから少しずつ坂の勾配がゆるくなると思い始めたら、私のジョンはもう長く生きられないという。


日のあたる病室のベッドにてふたり向き合う。
また会えるかもしれない。
もう会えないかもしれない。
あちこちに咲いている病室の外のらっぱ水仙をジョンは知っているのか?



「もし、もう1度元気になれたら、ジョンの子供が欲しいな。ジョンのナキアト、ジョンが生きたっていう証拠がなにもないんじゃ寂しすぎるから」。
「もし何かあって僕が手術室から戻れなかったら、きっと日本に帰るって約束して」。



ジョンの腕時計をしてフラットにひとり病院から戻る。
時計をはずしてテーブルの上に置いた。
持ち主がもう戻らないフラットにジョンのにおいのあるものと置き去りにされることを思って凍りついた。



決して私を無視したことのないジョンが、ある時永久に私を無視するようになるときが来る。
いつか来るその時を想像すると恐ろしかった。
それが1ヶ月か、2ヶ月か、かなり運が良かったとしても1年かという。



頑張れば克服できるとか、努力をすればみのるとか、時期が来れば解決するとか、そんなふうには戻れないもっと致命的なことが、知らない間にこんなにも進んでいた。
私は何をみて、何を感じて生きていたのだろう。重くのしかかるような空しか覚えていない。



「きっといつかは」と思うことすら、ジョンを失えばいっしょに失う。




113番のバスに乗るときは隣にジョンが子供のように楽しそうに揺られていた。
そらぞらしく寒い鉛色の空のもと、荷物を持った腕の内出血をじっと見る。ジョンが病院で着替えを待っているから。
―バスはいくら待っても来ない―。




世界中のどこを探してもジョンが見つからなくなったとき、ジョンの灰から6000マイルも離れた国に私は多分帰れない。
それならどこへ行ったらよいのか?