from an old free magazine(hutong) - 古雑誌の記事(胡同)

その国の言語というのはきっとその国のことを知らないとなかなか理解できないものなんだと思う。
その国となりを知るには、上澄みのところで漂ってたらだめなんだと思う。ぐんぐんディープな”庶民”の生活の中に入って行って、”感覚”を知らず知らずのうちに体感していくうちに、語学も後からなんとなくついてくるんじゃなかろうか?だから切っても切り離せない。

庶民を知らずしてその国は語れない。イギリスだったら、ウィリアム王子だけじゃなくてベッカムも知らないと、きっと英語はわからない。BBCだけみててもだめだ。チャンネル4もちゃーんと見ないと(笑)

と私は信じてる。

そして、庶民を知ろうという”探検”が好きだ。

ところがどうしたわけか、北京にやってきてからというもの長いこと私の探検心は停滞していた。
最近になって、あてもなく老北京人(東京の江戸っ子に対して、北京の老北京人)の暮らしが息づく胡同を散歩してみて、なんだかほんのちょびっだけでも、”ワタシハチュウゴクニクラシテイル”という気持ちになった。喜ばしいことだ。

オリンピック開催時期の頃だったか、that's BEIJINGという英語のフリーペーパーに胡同についての記事が載っていて面白いと思って読んだ。その記事をおかずにしたいと思いながら、いつのまにか忘れていた。
その古雑誌が出てきたので、この後におよんでおかずにしちゃいます。

おっと、その前に、胡同とは。。。

ニホンゴだと横丁とか訳されるみたいだ。英語だとalleyとかlaneとか。
つまりalley とかlaneとか呼ばれるのにふさわしいくらいの幅の道が当たりに広がっていて、そこには、北京の伝統的な住居様式である四合院(長屋があって中庭を囲むような造り)の庶民の民家が軒を連ねている。その空間に迷い込むと、多分我々日本人は、日本のちょい過去に遡りしたような気分になる。
こ汚いせんべい布団が干してあったり、恥らいもなくどでかズロースが堂々と干してあったり、お年寄りがひなたぼっこをしてたり、ご近所同士がああでもないこうでもないってやってたり、お母さんがコドモにおしっこをさせていたり、個人経営の小店がぽつぽつ商売をしてたりする。小咄ががいくらでも生まれそうな気配がむんむんしてる。

昼間でも人の往来がとぎれることはない。これは、ここで暮らすヒトビトの多くがホワイトカラーではないことをよく示している。手打ちうどんをリヤカーに乗せて売りに出る人。廃品回収の人。洋服の修理店を営む人、仕事が、右手を動かしてマウスをクリックするだけじゃなかったころの”労働”がここにはまだ健全に存在している。

道も北京の表通りとはうってかわって細くて歩きやすい。木や緑も多くて、胡同を歩いていると、これがおなじ国民かと思うくらい、自転車にのって通りすぎる人も、すれ違う人も、追い越して行く人も、あの我れ先にというチュウゴク人特有のアグレッシブさはなく、結構after you(お先にどうぞ)の物腰があったりする。なんとも居心地の良い空間なのだ。東京の下町を彷彿させる景色だったり、モロッコのろばしか通れない小さな細道を思い出したり、南仏ニースの旧市街が思い出されたり、、、。とにかくそんな感じだからとってもcozyだ。

どうやら、胡同(hutong)という言葉はモンゴル語起源らしく、意味は「井戸のある場所」ということらしい。

ウィキペディアにはこうある。
”モンゴル語で井戸を意味する“xuttuk”の音訳が呼称の起源とされるが、諸説ある。(中略)1267年から現在の北京に建設が始まった元朝の都大都の道路建設に関する規定では、幅二十四歩(約37.2m)を大街、十二歩(約18.6m)を小街、六歩(約9.3m)を胡同としている。”

共同井戸を囲んで長屋がひしめきあってたのかもしれぬ。13世紀にフビライカーンが北京を首都にしてからというもの、この胡同という言葉が浸透していったそうだ。残存する胡同は明/清時代のものがほとんどだそう。


さて例のフリー誌の簡単な訳。

that's BEIJING September 2008より

<ざっと訳>

胡同の住民は庶民の暮らしが現代化される風潮を受けて、胡同から立ち退くべきか? (これがお題目だ)

yes! (肯定派)

社会が発展してるんだから

王様だの皇帝だの天皇だのがヨーロッパ、ロシア、チュウゴクなんかを統治していたいにしえの昔、庶民が生活する家屋というのは往々にして高さが低い。ここ北京ではお上の命令により故宮中心部に立つ建物よりも高い建物を建てることが許されなかった。この厳密な都市部の政策は下々にとくと身分をわきまえさせるための形而的な無言の忠告だったわけだ。下々の者たちは小さな長屋にひしめきあって暮らし共同台所、共同便所、そして伝染病などをシェアさせられる羽目になった。2008年現在、もうこの必要はない。

生活の質の向上をめざして

風情やおもむきのある胡同だが、耐久性や衛生に欠けている。中国の中間富裕層が増えるなかで、地方出身の起業家たちが北京市に押し寄せている。今や北京の都市開発はロンドンやニューヨークの都市計画を反映している。命をかけてまでの胡同という文化への執着は、感情に訴えはするが、もしその訴えが解決策でなけりゃ、頭痛のタネ以外のなにものでもない。長い目で公共の安全と地元の人たちの健全な生活を考えることなく、反現代化政策に固執し『取り壊し反対!』をオウムのように唱え続けるのは、かなしすぎる。

審美的観点から

貧困を助長するような住宅開発をなぜするのか?ご近所さんの窓ガラスが壊れたままになっている家が、更に野蛮行為を助長する結果となってしまうという図式があるのだ。なぜ庶民のヒトビトがもっとそそられるような、受け入れやすい現代的なものをオファーできないのか?中国の住宅施設の現代化は全国にひろがっているにもかかわらず、何故コノ後に及んでディッケンズ時代(イギリスの庶民が暗くて貧しい生活を送った時代)の傾いた家屋を保護しようと議論をしたがるのか?私は胡同をいくつか文化資産として保存するのは賛成だが、発展を阻止してまで保存するべきだとは思わない。

by peter walters


no! (否定派)

アイデンティティ

数年前私がワンフーチンエリアをぶらぶらしていると、あるひとりの女性が泣きながら私を呼んだ。居心地の良さそうな築300年の彼女の家を私に見せたがった。『私たちは5環の外に引っ越すことになったんです』と彼女は泣いた。『どんなに大金を積まれたって私たちの大きな損失を埋め合わせることはできません』私は彼女を慰めながら、考えずにはいられなかった。『自分のもっとも大切な所有財産のために自分はどれだけ戦えるだろうか?』『私も行きずりの見知らぬ人に、よき思い出をすこしでも長持ちさせるためにその思いを涙ながらに訴えるだろうか?』-おそらく。

歴史

胡同はちょっと汚すぎやしないかい?
高級モールがあって、拡張された大通りに面した味気のない高層ビルとはおさらばじゃ。ほ~ら、キミは肉体的苦痛なくして、新しいニンゲンに生まれ変わろうじゃないか。さらば、さえないコートヤードよ。さらば迷路のような横丁よ。グッドバイ北京の哀愁漂う文化遺産よ。胡同は胡同自身のあの狭くグレイのレンガが積まれた外観を人目にさらすまえに、考えてみるべきだ。『前向きに物事を考える時』がきたのだ。胡同が保存されている場所は、物語の中であり、思い出の中だけにすぎない。

コミュニティ

できたての蒸しパンや朝食。山積みにもられた餃子の皿。洋服のお直し屋、チャイニーズチェスに嵩じる文革時代の人民服に身を包んだ定年退職者。おばあちゃんたちはうちわをもって折り畳み椅子に路上で腰掛けパジャマ姿の人、路上で寝ちゃってる人、お腹を出して歩く人なんかでにぎわう遊歩道。『飯食ったか?』と気さくな挨拶があっちからもこっちからも聞こえてくる。かごの中の鳥。他の犬に吠えまくる犬。猫はにゃーにゃーいってる。女性はガアガア騒がしい。男性は青と黄色のウェイトを持ち上げてい。コドモたちはサッカーボールを蹴っている。昔ながらの胡同カルチャーは発展という大義名分のために絶滅の危機にさらされている。残念でならない。

by aurelie palancher

<ざっと訳ここまで>

気のせいか、立退き反対派の意見も何故か弱気だ(笑)

こういった問題は日本人にとっても他人事ではない。都市が大きくなればなるほど、人間味がなくなって、無味乾燥な醜いビルばかりが増える。とても忙しく仕事しているにも関わらず、ひとりひとりが実感として自分の労働がいったい何を生産させたのか実感することが難しい。どでかい歯車の中で自分の労働はいったいどんな意味があってどんなものを産んでいるのかが判らなくなるのだ。『金儲け』にあけくれて、過去からの優れもものを大事にメンテナンスしようという心のヨユウもない。頑張れニッポン。日本がこれ以上いにしえからの大事な何かを、自らの手でぶちこわしてしまう前に、ひとりでも多くのひとが目を覚まして、文化的価値のあるもの、美しいもの、伝統的なものを守っていけたらいい。本当に利益性、利便性をあげることが常に最優先されなくてはいけないのか?利益や便利さを求めて生活様式が向上したらしただけ、我々の生活の質は向上するといつまで信じていればいいのか?立ち止まることなく突進し続けることが良しなのか?
とりとめのないことを考えながら歩く胡同は私に貴重な時間を与えてくれる。そして本当に外国にいながらにしてこんなに子供時代に戻ったような懐かしい気持ちにさせてもらえるのが不思議でならない。墨田区本所にあった駄菓子屋さんで買った蝋石のひやっと冷たい感触や、死んじゃったおじいちゃんの手の感触や、足しげく通った文具店の店内の匂いなんかの記憶が呼び起こされる。私も気がつけば呼び起こす記憶ッテのが大分増えたもんだ。胡同は30年位前の記憶のひだを刺激する。

しかし、チュウゴク人がhouse proudではないことは確かかもしれぬ。
もう、通り全体がどうしたら美しく見えるかとか、玄関にたまった枯れはを履こうとか、景観を台無しにするほど外装のメンテを怠っちゃヤバいとか、そういう感覚はまるで感じられない。イギリス人の家を誇りとする友達がみたら嘆くだろう。日本人は往々にして予算や時間の大部分をファッション(自分の見た目に費やす)。アメリカではこういう行動傾向のあるのは黒人だという。言ってみればshow-off.。結構つつましい家にしみったれた家具と暮らしていても、外にお出かけとあればめかしこむ。ヨーロッパじゃスペイン人がそれっぽいらしい。結構つつましい家に暮らしながらも外出のときはゴージャスな毛皮に身を包んだりして、週末なんかでも綺麗にきかざって外食してる。チュウゴク人もあまり自宅で過ごす時間が長くないのかもしれない。夕涼みなんかも(あんなに大通りが渋滞していて空気も汚いっていうのに)外に折り畳み椅子まで出してする始末。家の中が快適であれば、麻雀だって碁だってポーカーだって室内でやるだろう。外食率もかなり高そうだ。胡同の家を見る限りだともうどうでもいいって感じの暮らしぶりだ。瓦なんて少々飛んじゃっていてもおかまいなしといった風に見える。あんなにお茶目な建物なのにもったいないったらありゃしない。それではチュウゴク人のこだわりとは何か?

やはり”食”の中にあり?

<注意>
that's BEIJING誌は改名されたらしく、the beijingerとなったみたいだ。

http://www.thebeijinger.com/