ヨガが心のツボに入る時

中国に来てからヨガのクラスに定期的に通うようになった。

といっても、すぐにブランクが空いちゃいがちのon and off状態だけど、良いヨガの先生に出会えたことは北京に来てよかったと思えることのひとつでもある。

ヨガを初めて間もなくして身体が、そのポーズの正しいあり方により近づいた時に出てくる汗は、なんだか種類が違うなんてことを感じ始めた。この汗のでかたの私なりのイメージは『シュー』。ジワーっというよりも『シュー』という擬態語の方が近い。あせる

まあいいか、そんなこと(笑)べーっだ!

ポーズが正しいあり方により近づいた時に、身体が喜ぶのを感じる。
ずっと抵抗しようと戦っていた筋肉がふっと力を抜いて楽になるときでもある。

センセイのマジックハンドによって、より正しいポジションに身体の部位をもって行ってもらった時なんかも、快感だ。きっとその快感と感触を身体も記憶するのだろう。次回同じことをする時に、ちょっとだけ進歩してるのがわかる。

なんてことを折に触れて身体で感じてきたわけだけど、自分の意識をあんまり自分の心へのヨガの作用へは向けてこなかったのかもしれない。

ヨガのクラスが終わりに近づき瞑想/リラクゼーションの時間になった時、私は時々涙をこぼしてる。
夕べもまたそうだった。最後の10分の瞑想タイムでヨガマットに横になりながら、涙がこぼれた。無理なポーズにあたたたっとなって泣いたわけじゃないし、ヨガのセンセイの教えかなにかに感動して泣いたわけでもない。

あれはきっと、浄化なんだろう。

と思ふ。

緊張して生きてる自覚はないが、なんだかふっと張りつめてたものが緩んだ時に、涙がでるのか、別に悲しいとかむなしいとかそういうわけじゃないのだ。
ただ慢性化した悲しさみたいのが、普段心の奥の方に押し込められているんだけど、何かの拍子にこれもヨガの効能か、上からのおもりがなくなって裸の感情がすーって宙に浮いてくる感じ。

まさに毒抜き効果!



これもヨガ効果なのかのぉ。