cool japanese - 日本人は素晴らしい!
Samarkandについてはここ
現地でつきっきりでアテンドしてくれる日本人がいるとかいった『旅』のことは置いといて、ひとりで世界を旅したことのある人なら、多分、『日本人っていうだけ』で、なんだかやたら歓迎してもらっちゃったな~ってな経験はあるんじゃなかろうか?
って、中国に2年近くいてそんな幸運にあやかったこと、ここではまだないけど。当時はまだまだアンティ日本色がもっと強かった12年前のソウルですら、日本人だっていうことで受けることができた逆差別があった。
ドイツで、仏蘭西で、イギリスで、モロッコで、私が高待遇を受けられることができた原因のひとつはきっと間違いなく、『日本人であること』。それだけで、だいぶ信用度があがる(まあ逆もまたしかりで、日本人だっていうだけで、私をお金持ちだと思いたがる人たちもいっぱいいたけど)。
旅の途中で関わった外国人とのふれあいが、自分の持つその国の印象を結構大きく左右したりする。
キプロス島よりもマルタ島の方が『素敵な島』って心に残っているのは、マルタ島で私が出会ったローカルのヒトビトの心がより奇麗だったからだ。
聞いて嬉しくなる話しがここにあるのでご紹介。
これはは私のイギリス人(英国在住)の男友達からの聞いた話しだ。
私の友達の親友の娘さんが、ボーイフレンドと連れ立ってロンドンを後にして6日後、この二人はウズベキスタンで、自転車旅行の最中だった。なんでも、シルクロードをたどる自転車旅行を計画していたらしい。
将来のあるうら若き青年達だ。
6日後に、岩がゴロゴロと転がる路上で彼女は自転車から転落し、片足に言葉通り大けがを負った。なーんにもないようなところで。誰も通らないし、周りには何もない。自転車にも乗れないし、片方の足が180度回転してしまっていたというから、もちろん這うことすらできなかっただろう。
ところが数日後、彼女は無事ロンドン行きの飛行機に乗り自国に変えることができた。命も助かったし、足も失わずにすんだ。治療には1年かかるとロンドンの病院で診断された。大けがだ。でも足を失うことに比べたらかなりラッキーだったと自他共に思わずにいられない。
なんで彼女が/彼女の足が助かったか?
それはひとりの日本人男性のおかげだという。
たまたま車で通りかかった現地に暮らす日本人男性が彼女達を発見して、ウズベキスタンSamarkandの病院までけが人を乗せていってくれたらしい。おかげで手遅れにならず、彼女は足を失わずにすんだけれど、ロンドンのドクターいわく、手当がおくれていたら彼女の命もなかっただろうという位危険な状態だったそうだ。
言うまでもなく、彼女の両親は感謝してもしききれないほど感謝してる。無事に娘が戻った今でも、もしそこに日本人男性が車を止めてくれなかったらと思うと身の毛がよだつそうだ。彼女は両親にどれだけSamarkandにいく途中、日本人男性が繊細に気を使ってくれたかをしみじみと話したそうだ。とてももの静かで、やさしかった、と。
いいぞ~、ニッポン男児!
ということで、私が仰せつかったのは、彼女の両親の書いたお礼状をニホンゴに訳すこと。ざっと読ませてもらったけど、本当に感謝しても止まない気持ちが伝わってくる。そしてこの両親は、病院などでドクターと娘の間に立ち、通訳をしてくれた女性(たまたまけがをした彼女と同じ名前)に、彼女が学校に行き更に英語を学ぶ費用を負担させて欲しい、またけが人を運ぶ時にかなり汚れてしまったであろう車のシートを弁償したいと申し出ていた。
そして私は妄想する。
どんなニッポンの殿方がスーパーヒーロとなって彼女を救ったんだろうか?そして彼はその後のことを知らず今どんな風に暮らしてるのか??
会いにいってみたいくらいだ。
Samarkandについてはここ
現地でつきっきりでアテンドしてくれる日本人がいるとかいった『旅』のことは置いといて、ひとりで世界を旅したことのある人なら、多分、『日本人っていうだけ』で、なんだかやたら歓迎してもらっちゃったな~ってな経験はあるんじゃなかろうか?
って、中国に2年近くいてそんな幸運にあやかったこと、ここではまだないけど。当時はまだまだアンティ日本色がもっと強かった12年前のソウルですら、日本人だっていうことで受けることができた逆差別があった。
ドイツで、仏蘭西で、イギリスで、モロッコで、私が高待遇を受けられることができた原因のひとつはきっと間違いなく、『日本人であること』。それだけで、だいぶ信用度があがる(まあ逆もまたしかりで、日本人だっていうだけで、私をお金持ちだと思いたがる人たちもいっぱいいたけど)。
旅の途中で関わった外国人とのふれあいが、自分の持つその国の印象を結構大きく左右したりする。
キプロス島よりもマルタ島の方が『素敵な島』って心に残っているのは、マルタ島で私が出会ったローカルのヒトビトの心がより奇麗だったからだ。
聞いて嬉しくなる話しがここにあるのでご紹介。
これはは私のイギリス人(英国在住)の男友達からの聞いた話しだ。
私の友達の親友の娘さんが、ボーイフレンドと連れ立ってロンドンを後にして6日後、この二人はウズベキスタンで、自転車旅行の最中だった。なんでも、シルクロードをたどる自転車旅行を計画していたらしい。
将来のあるうら若き青年達だ。
6日後に、岩がゴロゴロと転がる路上で彼女は自転車から転落し、片足に言葉通り大けがを負った。なーんにもないようなところで。誰も通らないし、周りには何もない。自転車にも乗れないし、片方の足が180度回転してしまっていたというから、もちろん這うことすらできなかっただろう。
ところが数日後、彼女は無事ロンドン行きの飛行機に乗り自国に変えることができた。命も助かったし、足も失わずにすんだ。治療には1年かかるとロンドンの病院で診断された。大けがだ。でも足を失うことに比べたらかなりラッキーだったと自他共に思わずにいられない。
なんで彼女が/彼女の足が助かったか?
それはひとりの日本人男性のおかげだという。
たまたま車で通りかかった現地に暮らす日本人男性が彼女達を発見して、ウズベキスタンSamarkandの病院までけが人を乗せていってくれたらしい。おかげで手遅れにならず、彼女は足を失わずにすんだけれど、ロンドンのドクターいわく、手当がおくれていたら彼女の命もなかっただろうという位危険な状態だったそうだ。
言うまでもなく、彼女の両親は感謝してもしききれないほど感謝してる。無事に娘が戻った今でも、もしそこに日本人男性が車を止めてくれなかったらと思うと身の毛がよだつそうだ。彼女は両親にどれだけSamarkandにいく途中、日本人男性が繊細に気を使ってくれたかをしみじみと話したそうだ。とてももの静かで、やさしかった、と。
いいぞ~、ニッポン男児!

ということで、私が仰せつかったのは、彼女の両親の書いたお礼状をニホンゴに訳すこと。ざっと読ませてもらったけど、本当に感謝しても止まない気持ちが伝わってくる。そしてこの両親は、病院などでドクターと娘の間に立ち、通訳をしてくれた女性(たまたまけがをした彼女と同じ名前)に、彼女が学校に行き更に英語を学ぶ費用を負担させて欲しい、またけが人を運ぶ時にかなり汚れてしまったであろう車のシートを弁償したいと申し出ていた。
そして私は妄想する。
どんなニッポンの殿方がスーパーヒーロとなって彼女を救ったんだろうか?そして彼はその後のことを知らず今どんな風に暮らしてるのか??
会いにいってみたいくらいだ。