august - 八月 - 3

august - 八月 - 2からの続きです。

時は流れて、1995年、約1年をイギリスをベースに暮らした時、私は初めてこの恐ろしい戦争に対する「違った見方」があることにしみじみ出会った。終戦記念日は、"Victory Japan"の日だ。やっと日本を降参させたといった意味合いを含んでの"victory japan"なのだろう。

え”?
と最初に思ったのは、私が戦争のことを話した時の英国人のリアクションは、決して、『うんうん、そうだよね~。そんな悲惨な事2度と起きてはならないよ』というものではなかったということだ。
というよりも、どっちかっていうと、私が日本国内での惨事について話すと、
『でもさ~』となり、まあいかんせん言いにくそうにではあるけど、、、『でもいきなりパールパーバーを攻撃したのはそっちだと思うんだけど。。。』、『いつまでたっても降参しなかったのは日本だからやむなく原爆を、、、』ってなリアクションが戻ってくる。各国間の政策の違いや、国際関係、どちらが善でどちらが悪かなとどいうことは一切気にせず、特に日本人としてというのではなく、ひとりのヒトとして、罪のないヒトビトがどんな悲惨な体験をしたのか、そんな悲惨な体験は世界のどこっだって2度と繰り返したらいけないっていうのが私のメッセージだったんだけど。

戦争などというセンシティブな話題を、私の拙いサバイバルイングリッシュで、ろくにない知識でもって語るなんて、危険すぎると思い、『めっそうもございません』と断ったし、と同時に、そんなことを私に依頼してくる方もしてくる方だって思ったんだけど、shropshireのほーんと奥地の奥地にある小さな小さな教会があるんだけど、例えばそこで、Victory Japan(日本人にとっては終戦記念日)に戦争について話してくれないかなんて頼まれたことがあったっけ。

今思えば、というか、今なら、話したかったな。いや、きっと私のことだから、舞台の上にのっちゃうだろう(笑)

とも思うけど。逆に彼らには彼らに、『ちがった視点からみたworld war II』もあるんだよって。

あれから10年以上の間に私はいろんなところで、折に触れて戦争の話しをいろーんな国のヒトとしてきたと思う。そしてすればするほど、奥の深い、難しい話題なんだろうなーと痛感する。

始めるだけ始めちゃってから、いつも行き着く思いは、、、
『知らなきゃだめだ』ってこと。そして私は議論できるほど知ってない、と。

nagasakiの被害者は?hiroshimaの被害者は?Great Tokyo Air Raidの被害は?
知らずして何が語れるか。

私がついメインに話すことといったら、日本の本土で、どれだけの一般市民が苦しい戦争体験をしたか、とそのあたりに焦点が絞られてしまう。話し相手は矛先を今度はGreat Tokyo Air Raid(東京大空襲)からRape of Nanjing(南京事件)に変える。はてさて、私がどれだけ南京事件を知ってるか。。。

そしてややもすると、『被害を受けたことばかり話題にして、加害したことについては何も知らないっていうのはどういうこっちゃ?』そしてそれが転じて、『げっ、それってもしかして戦後の日本の戦争教育故?日本の教科書じゃ、日本軍がしでかした多大なる罪を教えてないんかい?』と。。。。

逃げちゃいけない話題だ。けど、知らなければ自分の意見など持てない。知らないことについては議論できない。