時は流れる- 私が英語と出会った理由-2
それから1年、私はベンキョウというものをした。高校のクラスで行う英語の授業でちょっとばかり優等生だったからといってタカをくくっていた私。いざ、進学教室のようなところでの全国共通の模試試験などを受けて力試しをしてみると、まったく歯が立たず、話しにならなかった。自分が見当違いなことをしている感が続いた。
英語をやるなら文法書を再読、再再読しなさい。
これが『どうしたらいいの?』はがきをセンセイへ出した私への彼の返事だった。
私はすぐに本屋へ行き、英語の文法書を買い求めた。
それから毎晩(でもないか
)私は文法書を読んだ。読んだけど意味は全く頭に入ってこなかった。補語?関係代名詞?副詞は動詞を形容し、形容詞は名詞を形容する?何度読んでも意味をなさない。
センセイは手紙の返事で軽々しくも言う。
何度も読んでいればそのうち判るようになります。
えーそんだけ?
と思った。
そしてセンセイは遠く、新しい英語のセンセイはいまいち私の心のひだにはひっかからない中年男だった(笑)。がこの新しい英語のセンセイにSOSを発信。放課後課外授業をしてもらった。が、やはり、ヒトの手を借りてもどうにもならないことが判明した。私はたくさんのはじめて聞くような文法用語と格闘した。指示代名詞、限定用法、非限定用法、現在完了、仮定法、天候のit,etc, etc.
まったく、なんじゃいなとはこのことだった。
1000円など浪費するのなんてあっという間だ。ある意味1000円なんかじゃ何も出来ないとも思ってたけど、たった1000円の文法書を制覇するのにゃ果てしない時間がかかる。1000円持って文法書を購入するという行為は果てしなく簡単で、時間もかからないのに。
スマートにかっこよく英語を流暢に話す町で見かけるあの人もこの人もこんな砂を噛むような思いをしてんのかいな?
はじめてピアノを習った時の小さな頃のショックに似ていた。ピアノの前に座ればすらすらと、エリーゼのためにも、白鳥の湖も弾けるかの如く、裏でする努力/練習のことなど少しも想像しなかった。
それでも、センセイ会いたさ見たさで私はさじを投げるにも投げられず、ベンキョウをした。なんで"to"じゃなくて”for"なのか、なんで"in"じゃなくて”at"なのか、一歩すすむと100の疑問。
説明を読んでも、聞いても何もピンとこない。何から何まで言い得て妙。そういわれればそうなのかとおもももの、すべてがグレイのまま。
ある時、センセイのいる女子大に視察に行った。八王子駅から延々とバスで揺られ、キャンパスに着いた私をセンセイは案内してくれた。色とりどりの花、木々の手入れをするシスター達、センセイに挨拶する育ちの良さそうな女子学生、マリア像、清潔すぎる(とその時は思った)校舎内、私はなんだかあっという間に劣等感の谷に突き落とされた気持ちだった。自分なりに『清楚ななり』してキャンパスに出向いたはずなのに、いざキャンパスに着いたらなんだか自分がこ汚く思えてしょうがなかった。inferior感に潰されそうだった。
まったく場違いだと思う場所から解放されて、バスにのりキャンパスを後にした途端に、泣いた。あの敗北感はなんだったんだろうな~。
つづく
それから1年、私はベンキョウというものをした。高校のクラスで行う英語の授業でちょっとばかり優等生だったからといってタカをくくっていた私。いざ、進学教室のようなところでの全国共通の模試試験などを受けて力試しをしてみると、まったく歯が立たず、話しにならなかった。自分が見当違いなことをしている感が続いた。
英語をやるなら文法書を再読、再再読しなさい。
これが『どうしたらいいの?』はがきをセンセイへ出した私への彼の返事だった。
私はすぐに本屋へ行き、英語の文法書を買い求めた。
それから毎晩(でもないか
)私は文法書を読んだ。読んだけど意味は全く頭に入ってこなかった。補語?関係代名詞?副詞は動詞を形容し、形容詞は名詞を形容する?何度読んでも意味をなさない。センセイは手紙の返事で軽々しくも言う。
何度も読んでいればそのうち判るようになります。
えーそんだけ?
と思った。
そしてセンセイは遠く、新しい英語のセンセイはいまいち私の心のひだにはひっかからない中年男だった(笑)。がこの新しい英語のセンセイにSOSを発信。放課後課外授業をしてもらった。が、やはり、ヒトの手を借りてもどうにもならないことが判明した。私はたくさんのはじめて聞くような文法用語と格闘した。指示代名詞、限定用法、非限定用法、現在完了、仮定法、天候のit,etc, etc.
まったく、なんじゃいなとはこのことだった。
1000円など浪費するのなんてあっという間だ。ある意味1000円なんかじゃ何も出来ないとも思ってたけど、たった1000円の文法書を制覇するのにゃ果てしない時間がかかる。1000円持って文法書を購入するという行為は果てしなく簡単で、時間もかからないのに。
スマートにかっこよく英語を流暢に話す町で見かけるあの人もこの人もこんな砂を噛むような思いをしてんのかいな?
はじめてピアノを習った時の小さな頃のショックに似ていた。ピアノの前に座ればすらすらと、エリーゼのためにも、白鳥の湖も弾けるかの如く、裏でする努力/練習のことなど少しも想像しなかった。
それでも、センセイ会いたさ見たさで私はさじを投げるにも投げられず、ベンキョウをした。なんで"to"じゃなくて”for"なのか、なんで"in"じゃなくて”at"なのか、一歩すすむと100の疑問。
説明を読んでも、聞いても何もピンとこない。何から何まで言い得て妙。そういわれればそうなのかとおもももの、すべてがグレイのまま。
ある時、センセイのいる女子大に視察に行った。八王子駅から延々とバスで揺られ、キャンパスに着いた私をセンセイは案内してくれた。色とりどりの花、木々の手入れをするシスター達、センセイに挨拶する育ちの良さそうな女子学生、マリア像、清潔すぎる(とその時は思った)校舎内、私はなんだかあっという間に劣等感の谷に突き落とされた気持ちだった。自分なりに『清楚ななり』してキャンパスに出向いたはずなのに、いざキャンパスに着いたらなんだか自分がこ汚く思えてしょうがなかった。inferior感に潰されそうだった。
まったく場違いだと思う場所から解放されて、バスにのりキャンパスを後にした途端に、泣いた。あの敗北感はなんだったんだろうな~。
つづく