不幸な人

いくら浪費しても満足できない人。人の足を踏んづけといてなーんとも思わない人。むっ

ってなたぐいの不幸は人は置いておいて(こういうヒトたちはどっちかっていうと可哀想なヒト)、今日は日曜日なのに(笑)、タイトルは『不幸は人』ざんす。ドクロ

長いよ~。

そして重いよ~。

おちないよ~。


だから無理しないで。

でも不幸の手紙じゃないよ~。

ヒトって、今自分のいる状況/環境/気の持ち方によって、幸福/不幸だって感じる度合いが若干違ってきたりする。言ってみれば、、、

everything is relative.ひらめき電球

ほれ、失恋とかした時にゃ、なぜか町中でいちゃつくカップルが目についちゃって尚更落ち込んだりするじゃない?ダウン

今死ぬか生きるかって言う時に、欲しかった靴が売り切れてたとか、上司に嫌われちゃったとか、なんだか仲間うちで浮いてるみたい、なんてことをあんまり思い煩わない、よね?

あんまり自分が、自分なりの不幸圏内にどっぷりつかっていると、ヒトの不幸にも愚鈍になるんじゃろか?
それとも、ギャクに、あんまり自分が能天気な幸福を当たり前に思っていると、ささいなことが不幸の要因になりはじめて、挙げ句の果てには、人の不幸に気づくことすらできなくなるんじゃろかはてなマーク

類は友を呼ぶっていうけど、確かにそれってあると思う。私は私なのに、自分の置かれた境遇によって、出会う人が全く違ってくる。そして違うところで出会ったヒトが私につけるタグも違う。

私はコドモがいないので、そういうこととは無縁だけど、コドモにより良い幼稚園、より良い友達、より良い学校なんていうのも、本当にそれらが『良い』のであれば、懸命なことなのかもしれない。特に私がくらしたイギリスなんかじゃ、貧しくてワーキングクラスのヒトばかりがひしめきあって、人生に失望して暮らしている区域の学校へ通うよりも(ワーキングクラスのヒトがそういうヒトたちばかりでは決してありません)、私立のボーディングスクール(いわゆるおぼっちゃま、お嬢様学校)に通わせた方が、一般的に言って将来の明るい友人に出会う可能性も、コドモ自身の行く末もだいぶ明るい。


先日、BBCで働くイギリス人駐在員の男性とお酒を飲んだ。歳の頃は私と一緒くらい。


彼はワーキングクラスの出身で、彼がコドモのころ住んでいた近所で唯一の成績優秀者だったんだって。Oレベルを取ったのは近所で彼だけだったからお父さんの自慢だったって。話しは彼が物理学を大学で専攻したいって高校の先生に言った時のことになった。。。止められたんだって。そんなことよりも、プラマー(配水工)にでもなれ!って(プラマーが悪いとは決して言っておりません)先生に諭された。あんな教育は間違ってる!って。これが、私立のボーディングスクールなどであれば、こんなアドバイス、あり得なかったでしょう、言いたいのは、環境によって可能性の大きさがまるで違ってしまう。環境が違うと、周囲のヒトの反応、アドバイス、自分の評価なんかもだいぶ違ってしまいます。

例えば、

私。

イギリスだと、『プチ』(ッテ言われるけど)、日本だと『がたいいいっすね』(ッテ言われる)。

西洋諸国にいると『エレガントでお行儀よい』部類に入るけど、日本だと『ガイジンなみのがさつ者』ッテ言われる。

中国だと『おっされ~』なお姉さんを見るような目で地元のヒトが私を観てくれるけど、日本に行くと、『ねー、それなに?何年前の?』って友達に冷たく言われる(笑)。


これらはすべて目にみえる分かりやすいことだけど、目に見えないもの(アイデンティティ、キャラクター、パーソナリティ、バックグラウンド)なんかもまたしかり。

なので、不幸の感じ方っていうのも、意外と

relative to where you are / how you are

だったりするわけよね。

日本のようなお金持ちな島に生息してて、○○のバッグが欲しいのに、××の車が欲しいのに手に入らないよ~っとやきもきしている時に、地球の裏側じゃ餓えているヒトがたっくさんいるんだから、こんなおんぼろでも、バッグや車が所有できるってことは幸せなことなんだよって誰かが夢枕で諭してくれたところで、日本で物欲を持て余しているるヒトの『不幸感(不満足感)』は慰められないよね。欲しいよ~熱は、なかなか静まってくれないもんね。それにあんなに至る所で物欲を刺激されたら、世界のどこのヒトだって、物欲熱に苛まれはじめるかもね。広告がすごい。マーケの煽り方ったら、、、相当自分をしっかりもってない限り、あれじゃたまったもんじゃないわ。くわばら、くわばら叫び

出生競争やお金儲けで、躍起になってる時に、『譲り合いの精神が大事だよ』なんて誰かが横でささやいても、はっと耳を貸せるヒトなんてあんまりいないんだと思う。アグレッシブなエンジンがかかっちゃって、のりにのって突っ走ってるときって、どうしてもね。。。。どっちかっていうと、"F**k off! (うるせー、消え失せろぃ!)”って思っちゃうヒトのが多いかも。

でも、なんだか、どんどん日本という島は、『不幸なヒト』と『自己完結なヒト』だらけになっていっていってるような気がしたりする。気のせい、よね?

不幸なヒト(自分を不幸だと思うヒト)が増えてるってことは、小さなことが不幸のタネになりやすくなってるっていうこと。ささいなことがすぐく不幸のタネになっちゃうっていうことは、その場所/その国は、それだけ恵まれてるっていうこと。違う?

どんどん国が豊かになって、制度も整って(選挙すらできない中国のような国だってあるんです。ここでは言論の自由もままならない)、どんどん『良く』なってるのに、それと同時にヒトビトの不幸感もアップしてるとしたら、そりゃあ、よくない。恵まれた環境に甘んじていると、いいことばかりじゃない。

どんどん豊かになってってるのに、どんどん『まだ足りん』って思うようになっちゃ、それって餓鬼界、一生餓え続ける責苦だよ~。んなのやだ。そりゃあ、かわいい靴をお店で見つけたら、買いたくなるけど。音譜

私は、過去に亡き夫の闘病生活を通して、いろいろな困難と共に生きてるヒトに出会った。それは時に強烈すぎて、実際、夫が亡くなってから数年は、もうそういう『たぐい』のヒトたちには、こちらからわざわざ関わりたくないと思ったくらいだ。もう、忘れたい。楽しく生きてるヒトたちだけしか目に入らないようなところに少し避難してたいって思ったくらいだ。

- 夫は末期の大腸がんだったわけですが、もう5mも普通に歩けなかった。小股でそろそろと10歩くらい歩いては立ち止まって、必死にウンチがもれちゃわないように我慢して、落ち着くのをまってまた小股で10歩くらい歩いて、、、。だから外出は決死の覚悟でないとできなかった。1日に20回以上トイレに駆け込むのが当たり前で、それから来る日も来る日も逃れられず、それに疲れ果ててた。1日でもいから解放されたいって。彼は不運にも28歳の若さで他界しなくてはいけなかった『不幸な人』だけど、どうにか体調がましなときに、カフェまでいってすするカプチーノを世界の誰よりも楽しんでるみたいなところがあった。でも別に夫は「僕は末期のがん患者で健常者のように普通に振る舞えません。どうか長い目でみてやってください」なんて書いてあるTシャツを着ていた訳もあるはずない。町行くヒトは彼が胸には体内から化学療法のポンプが突出しててそこに激突されるとやばいなんてことは知る由もないわけ。彼にとってどんなに歩くことが難儀かなんてwho knows! でした。しかも年齢は26歳とか27歳だったから、シルバーシートに座れる年代でもない。車いすにも乗ってない。『とろいんだよ、お前!』ってなもんです。どけよ、邪魔なんだよ!ってな体当たりを何度も受けた。シルバーシートに彼を座らせてものすごい批判を浴びたこともあった。『このヒト、末期癌なんです。もう少ししか生きられないくらい重病なんです』って私がたまらず食いつきそうになった時に、彼が席を立った。『ったくよー』って誰かが言った。夫が目で私に言った。『ね、も、いいからさ』。

- ホスピスのデーサービスで夫が出会った新しい友達(女性)は生まれつきの重度の障害を抱えてた。恋をしてコドモを二人出産したけど、二人とも障害児として生まれてきた。旦那さんも他界。夫が彼女に会った頃は、新しい恋人がいたのだけど、彼女が重度の障害の上に、不治の難病にかかってしまったことが分かり、恋人は逃げた。数カ月後彼女は亡くなったけど、私たちには詳しいことは知らずじまい。

- ポスピスで夫が彼の生涯最後の5夜を過ごしているとき、ある女性がバルコニーに放心状態で座る私のところににこやかにやってきた。これは、キリスト教の聖職者(chaplain)が、病院やホスピスの病室をまわり、患者や家族の不安を軽減しようと、話しを聞いてくれたりする習慣/制度(?)のうちの一つだったんだけど、私が話さないかわりに彼女が彼女の話しをしてくれた。彼女は若かりし頃に旦那さんに他界され、数年かけて困難を乗り越えて再婚したのだが、その再婚相手にもあっけなく他界されちゃったんだそうだ。上には上がいるもんだと思って感心したのを覚えてる(笑)かといって、自分よりも上級(?)の不幸話を聞いたからとて、当たり前だけど、気が晴れるわけもなく。。。

- 幼い頃、レイプをされていた女性が、必死にそのトラウマと戦い、そのトラウマを隠し、そのトラウマを忘れようと暮らしてた。重病を患ったり、コドモもまた重病だと診断されてしまったりする中で必死に『普通に生きよう』ってしてた。けど、ある時「聖書について考えよう」っていう集まりに参加して、テーマが、『赦し(forgiveness)』だった時、そこにいたひとりのchurch goerが言った一言で、彼女は壊れてしまった。そのchurch goer (教会にさえ毎週日曜日に通っていれば自分の信仰はあついと信じてるようなヒトの中のひとりだったように、私は思えたけど)は、『どんな相手をも赦すべきだ』って言った訳です。その時彼女のたががはずれちゃったんです。そして彼女は、そこにいた約10名のヒトの前で、『私は○才の時からレイプをされてきた。あのrapistを赦さない』と言い放ち、『それがキリスト教の教えに背いているというのなら、それでも構わない。あの男を赦すことなんてどうしてもできない』と言って、席を立ってしまった。彼女は壊れてしまい、その後全く外出をしなくなってしまった。

彼女以外の女性でも時には男性でも、幼い頃のレイプ経験が何十年もたった現在の生活に悪影響を与え、苦しんでいるヒトがげんにたくさんいる。人目には普通に生活している普通のヒトなのに。心の中では、何十年も経った今でも傷ついている。

- 私もイギリスの町角で冷やかされたことがある。私はその時、真夏だったけど、顔面蒼白だった。夫が亡くなったことを悲しむ余裕もなかったくらい人生のクライシスだった。って自分でいうのもなんだけど。住む家がなくなること、秒読み段階。どの不動産屋さんも私に賃貸物件を見せてくれない。友達も家族も周りにいない。ややこしいイギリスのsocial security serviceのしくみが理解できない。どこに相談にいってもたらいまわし。銀行の口座はフリーズされちゃってる。夫の家族筋のヒトからは立退き状が届くばかり。。。。毎日同じ道を歩き回って同じ事務所を訪ね続けて、同じくたらい回しにされ続けたんだけど、街角で私に野次が飛んだ。『ヘーイ、なんちゅうしけたツラで歩いてんねん!こっちまで惨めになってくる。笑顔を作ってみぃ(実際はこてこてのコックニー(ロンドンなまり/cockney))。え?』。

- 同じイギリスの町で、私は貴重な体験をした。ほんとのほんとの社会の底辺で生きてる人たちと一時一緒に過ごした。そこには、まじでまじで、文盲のひとがちがごろごろしてた。字の読めない立派な大人に出会ったのは初めてだったから衝撃だった(アフタヌーンティーとか大英帝国とかってそっちばっかりが日本で見聞できるイギリスで、なかなかこの陰の部分が日本には伝わることが少ないですね)。成人した大人で普通に(喋り方や語彙は別として)英語も喋れるのに、字が書けない。その中の多くは仕事が見つからず、生活保護を受けて暮らしてた。いくら生活保護を受けても受けても字が書けなければ仕事は依然見つからない訳で。字を書けるようにとトレーニングを受けていたけど、字を書かされそうな状況になるとと、皆急に固まってしまってた。大声をあげて無駄話をしていた人も、下品な話しで盛り上がってた人も、急におどおどして静かになってしまう。書いてみようという気になるところか、どうにかして文字を書くっていう行為を避けようとしてた。お父さんの顔は知らないとか、きょうだいが10人以上いて、それぞれ父親が違うとか、まだ若いのに歯が全部ないとか、そんなことは、不幸のタネとも思ってないように話してくれた。きっと周りに同じようなヒトがいっぱいいて、自分もそのうちのひとりっていう環境で育てば、特に、自分が不幸な人間だとも思わなくなるしかないのかはてなマーク

日本人の我々だって、夜の2時3時まで帰宅できない。1週間以上の休みをまとめてとれない。なんていう西洋人にとっては信じられないような責苦を受けて(笑)生活してるけど、日本人みんなが一緒になってその責苦を受けてるからさして不幸感は煽られないわけだし、中国人だって、別に選挙権のないことを切実に嘆いている人なんて結構いないんだと思う。13億人全員もってないわけですから。

。。。でも皆やっさしかったな~。今思い出しても涙が出るほどやさしかった。彼らに比べたら私の人生のがよっぽど甘ったるくて、私の方がよっぽど恵まれてたのに、私に何か手を差し伸べてやれはしないかって皆一生懸命だったように感じた。あちらはあちらで、難しい単語がすらすらかけるくせして、喋り方が変な私が不思議でしょうがなかったみたいだけど(爆笑)

え?これも私のうぬぼれか!?

いいえ、そんなことないわ。文盲で無職で極度の肥満のP氏に『仕事にありついたらパブで一緒にビール飲んで』ってデートに誘われたもん(笑)。

結局彼は仕事にありつけなかった。その後、3ヶ月後、6ヶ月後、12ヶ月後、町の通りに置かれたベンチで彼がぼーっと座っているのを何度も見かけた。目はうつろで、会うたびに髪の毛が伸び、最後はものすごいロングヘアになってた。

彼らに出会ったいきさつは今度機会があったら、どっぷりと。。。ドキドキ


ヒトって、不幸や幸福の看板をあげて存在してるわけじゃないから、通りすがりのヒト、電車の中に一緒に乗り合わせたヒトがどんな不幸を抱えてるかなんて分からないことの方が多い訳じゃない?
そう思ったら、私はもう不特定多数のその他大勢のヒトたちを、名無し、顔なしの、誰かって思えなくなった。切符売り場で前に並んでいるヒトにも、電車の中でとなりに立ってるヒトも、タクシーの運ちゃんも、友達に接するのと同じように接したいな~って。私も大変だった時、バスの中で目と目が誰かと会った時、ニコッてしてもらっただけでものすごく励まされたから。


私は、ささいなことで自分がいきり立ってたりすると、『きっとこんな小さなことでこんなにあつくなれるなんて、今の自分がそこそこ幸せな証拠だわ』と思うことにしてるんだ♪

本当に切実な問題(例えば生死に関わるとか)を抱えてると、いちいち、あそこのマーケットで中国人にまたぼられたとか、タクシーの運ちゃんが道を間違えて、北京市内を右往左往して、タクシー代がかさんだとか、いつも行くスーパーが私にはスタンプカードをくれなかったとか、そういうことでいちいちカチンときてる余裕が持てないわけですから。

差別も貧困も人種問題もなく、皆が平和ぼけするほど恵まれた国、ニッポン。

って言われてるけど。。。。

自分って幸せだなーって思えなかったらもったいないね。

これ位が普通かな?っていう意識があんまり(無意識のうちに)高くなりすぎても、ヒトは幸福感を感じにくくなってしまうといったところか。。。?

うーん。。。。

自分のスタンダードを見直してみる価値ありかも。