flowers
いつも自宅に買う花は、バラか百合だ。幼稚園でユリ組になった頃からユリが好きだ。
今日はいつものユリと一緒に、ガーベラを買ってみた。今まで避けてきた花の中のひとつだ。

以前、母がぽつりとガーベラの水を変えながら言った。
『ガーベラって強いわね。いつまでたっても全然枯れない。可哀想なくらい強い』
なんだかこの
『可哀想なくらい強い』と形容されてしまうしぶといガーベラが気に入らなくて、それから大分長い間私はガーベラを避けてた。
英国では春先になると、まるで吹き出したかのように黄色いラッパ水仙が咲き始める。可愛いイギリスチックな庭にも、国道の脇の崖っぷちにも。あのユニークな形の花は春の訪れを告げてくれること以外には私に不思議の国のアリスの絵本を思い出させるものでしかなかった。けど、亡き夫の癌/転移/余命3ヶ月未満が宣告されたのが3月14日の前後には、ラッパ水仙が狂ったようにあっちにもこっちにも吹き出すように咲いていて、私はあの花をうらめしく憎んだ。
原因が分からずに何もできなくなってしまった夫を残してイライラしながら通勤した日々。
助からなかったら、、、という思いが頭をかすめながら病院へいそいだ手術の日。
夫の病室で夫が目が開けるのを待ちながら見下ろした病院の中庭。
見舞いの後ひとり家路をいそいだ薄暗い病院の裏道。
そこにはに憎らしいくらい必ずラッパ水仙があった。
毎年春が近づいて、ラッパ水仙が吹き出し始めると、心がにがくなるのだ。あの日の宣告を受けた時のショック、あの時の夫が私を見る目、あの宣告を受けた部屋の息苦しさ、あの瞬間の口の中の感じなんかがフラッシュバックするから。
危ない人みたいに、人ん家の庭をラッパ水仙をセイバイしてやるとばかり、荒し回らずに済んでほんといかった(笑)毎春にラッパ水仙をみちゃ味わってたにがみも、北京じゃラッパ水仙と顔を合わせることもなくなって、味わうこともなくなった。何度か東京だったか北京だったか、花屋でラッパ水仙を見かけたけど、悪いけど私は自宅に飾りたくない。
花というと亡き夫はバラをプレゼントしてくれた。
今日もまた花屋にいって新しいユリをゲットしてきた。ユリの香りも姿も大好きだ。シェイクスピアはユリと女性は似てるって言ったらしい。どちらも若いときゃ香しいが、年を食うとすごい悪臭がするって。
こうして毎週ユリを買っているうちに、毎日ユリの花の香りと生活しているうちに、ユリはきっとただの私の好きな花のひとつになるはず。それまではユリを買い続けようと思う。
夫の手術の日にも私はユリの花束を握りしめて病院に行った。テロ騒ぎがあって、人がごった返し、交通機関はめちゃくちゃだった。気がついた時、私はユリの花束を包んだセロファンだけを握っていて、花は踏みつけられ、着ていた洋服に花粉だけが残った。
、、、ユリは私が最後に夫に贈った花でもある。ニュージーランドのマオリ族に伝わる死を詠った死をマオリ語で朗読して夫をユリで天国に送り出した。私は涙を一滴も流さずに彼の葬儀を終えた。その詩はニュージーランドにいた我々の親友、今は亡きdavidが送ってきてくれたものだ。彼と夫は同じ病気で夫が他界した約1年後、彼も他界した。
涙なしのカラカラに乾いた葬儀を終えて、帰宅した私に、斎場から花が戻された。夫が世話になったホスピス、病院、薬局、district nurse(出張看護婦)の事務所、かかりつけのクリニックなどにお礼の意味を込めて配った。私の運転するポロはユリの香りが充満した。
だからユリの香りは別れの香りになった。
今日、可哀想なくらい強いガーベラを私は部屋に飾って、まあ許せるかなって思った。
いつも自宅に買う花は、バラか百合だ。幼稚園でユリ組になった頃からユリが好きだ。
今日はいつものユリと一緒に、ガーベラを買ってみた。今まで避けてきた花の中のひとつだ。

以前、母がぽつりとガーベラの水を変えながら言った。
『ガーベラって強いわね。いつまでたっても全然枯れない。可哀想なくらい強い』
なんだかこの
『可哀想なくらい強い』と形容されてしまうしぶといガーベラが気に入らなくて、それから大分長い間私はガーベラを避けてた。
英国では春先になると、まるで吹き出したかのように黄色いラッパ水仙が咲き始める。可愛いイギリスチックな庭にも、国道の脇の崖っぷちにも。あのユニークな形の花は春の訪れを告げてくれること以外には私に不思議の国のアリスの絵本を思い出させるものでしかなかった。けど、亡き夫の癌/転移/余命3ヶ月未満が宣告されたのが3月14日の前後には、ラッパ水仙が狂ったようにあっちにもこっちにも吹き出すように咲いていて、私はあの花をうらめしく憎んだ。
原因が分からずに何もできなくなってしまった夫を残してイライラしながら通勤した日々。
助からなかったら、、、という思いが頭をかすめながら病院へいそいだ手術の日。
夫の病室で夫が目が開けるのを待ちながら見下ろした病院の中庭。
見舞いの後ひとり家路をいそいだ薄暗い病院の裏道。
そこにはに憎らしいくらい必ずラッパ水仙があった。
毎年春が近づいて、ラッパ水仙が吹き出し始めると、心がにがくなるのだ。あの日の宣告を受けた時のショック、あの時の夫が私を見る目、あの宣告を受けた部屋の息苦しさ、あの瞬間の口の中の感じなんかがフラッシュバックするから。
危ない人みたいに、人ん家の庭をラッパ水仙をセイバイしてやるとばかり、荒し回らずに済んでほんといかった(笑)毎春にラッパ水仙をみちゃ味わってたにがみも、北京じゃラッパ水仙と顔を合わせることもなくなって、味わうこともなくなった。何度か東京だったか北京だったか、花屋でラッパ水仙を見かけたけど、悪いけど私は自宅に飾りたくない。
花というと亡き夫はバラをプレゼントしてくれた。
今日もまた花屋にいって新しいユリをゲットしてきた。ユリの香りも姿も大好きだ。シェイクスピアはユリと女性は似てるって言ったらしい。どちらも若いときゃ香しいが、年を食うとすごい悪臭がするって。

こうして毎週ユリを買っているうちに、毎日ユリの花の香りと生活しているうちに、ユリはきっとただの私の好きな花のひとつになるはず。それまではユリを買い続けようと思う。
夫の手術の日にも私はユリの花束を握りしめて病院に行った。テロ騒ぎがあって、人がごった返し、交通機関はめちゃくちゃだった。気がついた時、私はユリの花束を包んだセロファンだけを握っていて、花は踏みつけられ、着ていた洋服に花粉だけが残った。
、、、ユリは私が最後に夫に贈った花でもある。ニュージーランドのマオリ族に伝わる死を詠った死をマオリ語で朗読して夫をユリで天国に送り出した。私は涙を一滴も流さずに彼の葬儀を終えた。その詩はニュージーランドにいた我々の親友、今は亡きdavidが送ってきてくれたものだ。彼と夫は同じ病気で夫が他界した約1年後、彼も他界した。
涙なしのカラカラに乾いた葬儀を終えて、帰宅した私に、斎場から花が戻された。夫が世話になったホスピス、病院、薬局、district nurse(出張看護婦)の事務所、かかりつけのクリニックなどにお礼の意味を込めて配った。私の運転するポロはユリの香りが充満した。
だからユリの香りは別れの香りになった。
今日、可哀想なくらい強いガーベラを私は部屋に飾って、まあ許せるかなって思った。