can practice a plain living? - 物欲はどこまで捨てられるか?
子供の頃は、隙さえあればサンリオショップへ物色に行きたくて仕方なかったし、消しゴムも集めてた。ティーンの頃は買いたいものがわんさとあって、しず心なく物欲に突き動かされてた。買ったジャンク数知れず。よし、良い物を買って長く着用/使用するぞと金額のはるものを買い始めたりもしたものの、どんなにハヤリスタリのない形で、どんなに質が良いものでも、半永久的に活躍できるものなど滅多に出会うものではない。
数年後にはゴミかタンスの肥やしになるものに、どうしてあんなに時間や労力を使えたのだろう。。。
こだわり期にはなにもかも、
なんでもよくなかった。
植木鉢の外側を覆うポーセレンのカバーも、ティーストレートナーも、紅茶の葉っぱも、エコバッグ(当時はエコバッグなんて呼び名はなかったけど)、ペンシルケースも、ティーポットも、家具も、ベッドリネンもこれじゃやだ、これがいいっていうのがはっきりしてた。そして私は自分の気に入った物、納得したものに囲まれて、東京の信じられないくらい小さなアパートの一室で生活をした。所持品とアパートの大きさのバランスはきわめて最悪。
後に、外国に長期滞在をしたりして、フットワークの軽さが必要になった。少しずつ集めた瀬戸物は、足手まといに。丸の内のOLファッションは使い道もなかった。洋服はいつでも惜しみなく捨てられる位のものを選ぶようになった。そして、アイロンがけやドライクリーニングが必要なものはなるべく買わないように。欲しい!買いたい!と思う前に、『実際我が家にはしまうところはあるのか?』と隙間のないタンスの中を頭に描き、購買意欲を消沈させた。
渡英して、郷に入って郷に従い3年経ち、5年経ち、7年経ち、
スペースを脅かす「物」よりもスペースの方が優先順位が高い!
と思うようになった。そして
お金はむしろ物を買うためのものというよりも、楽しんだり、心地よくなったりするために使うもの
という意識が強くなってっいった。
会社等のバックアップなしで、国際引越のようなことを何度も繰り返しているうちに、努めてものを増やさないようにしようという気持ちが強くなる。引っ越しの旅にものをわんさと捨てるあの罪悪感はたまらない。がらくたを運ぶのにもお金がかさむ。そしてえてしてがらくたは重かったりする
そして私のボーイフレンドだが、彼も、アメリカ→スペイン→ロンドン→北京と流れ流れている(笑)。その影響もあってかなくてか、物欲に関して言うと、
僧侶のやうなオトコ
である。
おまけに頭はスキンヘッド。まさに僧侶じゃ。
購入したいものは、新聞、コーヒー、本、アイスクリーム
くらいなものだ。
洋服も、できれば、Tシャツと短パン以外は着たくないという。
仕方がないから、ボタンのついたシャツとジーンズで、出勤してるけど。ジーンズすら窮屈らしい。
洋服/ファッション全般→まったく興味なし(買い物は苦痛でしかない)
食生活→まったく興味なし(滞在する国のその地元でいちばん手に入りやすいものを地元の人と同じように食べていればいい)
コンピュータ→まったく興味なし(会社で支給されているもので十分)
というオトコなので、所有物の少なさは見上げたものがある。
こんなオトコといることも手伝ってか、中国というところにいるからか、私の物欲はどんどん萎えていく。
洋風も、新しいのを買うよりも、最近は修理(笑)して古いものを着続けることが多くなった。物の飽和状態の中で暮らすよりも、空いている引き出しがあるくらいな暮らしを選ぶようになった。
とはいってもやはり私の荷物は多い。
シフォンケーキの型のみならず、ありとあらゆるケーキの型、料理道具と食器だけでもかなりのものだ。レシピブックも厳選されたものだけ残したとはいえまだ何十冊もある。そしてトラベルガイドブック。ボーイフレンドのものと私のものを合わせたらかなりなコレクションになる。
日本人らしくフォーシーズンズに対応できるありとあらゆる素材のワードロープ。DVD、音楽CD、コンピュータ用品, etc, etc.
そして私も、
現地調達が苦手な日本人
シャンプーやヘアトリートメントなどはどうしても日本のものを使いたい!
という固定観念を捨てきれない。
一時帰国をすると、ドラッグストアで買いだめをしてしまうし、日本の食材や薬もあわよくば持ち帰ってこようとしてしまう。従って物が増える。
よくな~い!
私の外国人男友達には、何かの熱心なコレクターだといういう人が多い。
車や飛行機なんて大規模なものから始まって、ナイフ、ガン、腕時計、アンティーク家具、アンティーク食器、模型、古いレコード、などなど。でもこのオトコにはまったくそんなシュミもない。
ボーイフレンドは食べ物ですら今日食べるものは今日調達する、といった具合。こういうニンゲンと暮らしていると、なにかにこだわることへの張り合いもなくなってくる。
私がドレスアップするよりも、ジーパンとTシャツでいることの方が断然ありがたいようである。
○○のXXというような発言を彼は嫌う。
ミキモトの真珠とか、モエのchampagneとか、ボルドーのワインとか、メルセデスの車とか、有名会社で働く某さんとか、ソニーのテレビとか、ハローキティーのノートとか(笑)、ましてやあなた、グッチのバッグなんて言ったら、彼の拒絶反応はあからさまだ。そんな社会風潮への彼なりの反抗なのか、彼はおいしいchampagneやワインにあやかれるような大きなパーティへも、ものすごい格好で参上して(わざとか!)、絶対にchampagneやワインに手を伸ばさない。これは反抗か?いつも、地元産のビールで通す。私も反抗的な人格の持ち主だけど、おいしいものには従順だ。
スマートに見えるスーツなどにはこれっぽっちも頼ってないぜ。オレは頭とペン一本のみで仕事してんだ!
というプライドか!(ため息)
ところで、少なくとも中国では捨てたはずの物欲。中国で洋服を購入したことなど、Tシャツ一枚を除いてなかったのだけど、数日前、小さなブティックを除いてみたら、店員の女の子が一生懸命でとってもチャーミングだったことから、2着試着してみる気になって、挙げ句の果てに衝動買いした。
見辛いけど、ニットのカーディガンと、

コットンのジャケット

あの値段交渉のさる芝居をしないで済んだ。なんて楽なんだ~。あの煩わしさに購買意欲は消えていく。
全ての売り物に値札があった。
謝謝
ここを北京第一号のマイブティックにするか~。。。
安くするとか、いくらなら買うんだなんてセリフの変わりに、店の若者達は、まず、私が何人かをとってもダイレクトな英語で聞き、その後に、チュウゴクに来てくれてありがとーと口々にいった(笑)。
英語を必死になって話そうとする同僚を周りにいる子達ははやし立てる。
私が、レジの前にあった飴に目をつけて、
「その飴、ちょっと頂戴」というと、20個くらいむんずとつかんで私に手渡してくれた。
ラッキーぴょん♪
子供の頃は、隙さえあればサンリオショップへ物色に行きたくて仕方なかったし、消しゴムも集めてた。ティーンの頃は買いたいものがわんさとあって、しず心なく物欲に突き動かされてた。買ったジャンク数知れず。よし、良い物を買って長く着用/使用するぞと金額のはるものを買い始めたりもしたものの、どんなにハヤリスタリのない形で、どんなに質が良いものでも、半永久的に活躍できるものなど滅多に出会うものではない。
数年後にはゴミかタンスの肥やしになるものに、どうしてあんなに時間や労力を使えたのだろう。。。
こだわり期にはなにもかも、
なんでもよくなかった。
植木鉢の外側を覆うポーセレンのカバーも、ティーストレートナーも、紅茶の葉っぱも、エコバッグ(当時はエコバッグなんて呼び名はなかったけど)、ペンシルケースも、ティーポットも、家具も、ベッドリネンもこれじゃやだ、これがいいっていうのがはっきりしてた。そして私は自分の気に入った物、納得したものに囲まれて、東京の信じられないくらい小さなアパートの一室で生活をした。所持品とアパートの大きさのバランスはきわめて最悪。
後に、外国に長期滞在をしたりして、フットワークの軽さが必要になった。少しずつ集めた瀬戸物は、足手まといに。丸の内のOLファッションは使い道もなかった。洋服はいつでも惜しみなく捨てられる位のものを選ぶようになった。そして、アイロンがけやドライクリーニングが必要なものはなるべく買わないように。欲しい!買いたい!と思う前に、『実際我が家にはしまうところはあるのか?』と隙間のないタンスの中を頭に描き、購買意欲を消沈させた。
渡英して、郷に入って郷に従い3年経ち、5年経ち、7年経ち、
スペースを脅かす「物」よりもスペースの方が優先順位が高い!
と思うようになった。そして
お金はむしろ物を買うためのものというよりも、楽しんだり、心地よくなったりするために使うもの
という意識が強くなってっいった。
会社等のバックアップなしで、国際引越のようなことを何度も繰り返しているうちに、努めてものを増やさないようにしようという気持ちが強くなる。引っ越しの旅にものをわんさと捨てるあの罪悪感はたまらない。がらくたを運ぶのにもお金がかさむ。そしてえてしてがらくたは重かったりする

そして私のボーイフレンドだが、彼も、アメリカ→スペイン→ロンドン→北京と流れ流れている(笑)。その影響もあってかなくてか、物欲に関して言うと、
僧侶のやうなオトコ
である。
おまけに頭はスキンヘッド。まさに僧侶じゃ。
購入したいものは、新聞、コーヒー、本、アイスクリーム

くらいなものだ。
洋服も、できれば、Tシャツと短パン以外は着たくないという。
仕方がないから、ボタンのついたシャツとジーンズで、出勤してるけど。ジーンズすら窮屈らしい。
洋服/ファッション全般→まったく興味なし(買い物は苦痛でしかない)
食生活→まったく興味なし(滞在する国のその地元でいちばん手に入りやすいものを地元の人と同じように食べていればいい)
コンピュータ→まったく興味なし(会社で支給されているもので十分)
というオトコなので、所有物の少なさは見上げたものがある。
こんなオトコといることも手伝ってか、中国というところにいるからか、私の物欲はどんどん萎えていく。
洋風も、新しいのを買うよりも、最近は修理(笑)して古いものを着続けることが多くなった。物の飽和状態の中で暮らすよりも、空いている引き出しがあるくらいな暮らしを選ぶようになった。
とはいってもやはり私の荷物は多い。
シフォンケーキの型のみならず、ありとあらゆるケーキの型、料理道具と食器だけでもかなりのものだ。レシピブックも厳選されたものだけ残したとはいえまだ何十冊もある。そしてトラベルガイドブック。ボーイフレンドのものと私のものを合わせたらかなりなコレクションになる。
日本人らしくフォーシーズンズに対応できるありとあらゆる素材のワードロープ。DVD、音楽CD、コンピュータ用品, etc, etc.
そして私も、
現地調達が苦手な日本人
シャンプーやヘアトリートメントなどはどうしても日本のものを使いたい!
という固定観念を捨てきれない。
一時帰国をすると、ドラッグストアで買いだめをしてしまうし、日本の食材や薬もあわよくば持ち帰ってこようとしてしまう。従って物が増える。
よくな~い!
私の外国人男友達には、何かの熱心なコレクターだといういう人が多い。
車や飛行機なんて大規模なものから始まって、ナイフ、ガン、腕時計、アンティーク家具、アンティーク食器、模型、古いレコード、などなど。でもこのオトコにはまったくそんなシュミもない。
ボーイフレンドは食べ物ですら今日食べるものは今日調達する、といった具合。こういうニンゲンと暮らしていると、なにかにこだわることへの張り合いもなくなってくる。
私がドレスアップするよりも、ジーパンとTシャツでいることの方が断然ありがたいようである。
○○のXXというような発言を彼は嫌う。
ミキモトの真珠とか、モエのchampagneとか、ボルドーのワインとか、メルセデスの車とか、有名会社で働く某さんとか、ソニーのテレビとか、ハローキティーのノートとか(笑)、ましてやあなた、グッチのバッグなんて言ったら、彼の拒絶反応はあからさまだ。そんな社会風潮への彼なりの反抗なのか、彼はおいしいchampagneやワインにあやかれるような大きなパーティへも、ものすごい格好で参上して(わざとか!)、絶対にchampagneやワインに手を伸ばさない。これは反抗か?いつも、地元産のビールで通す。私も反抗的な人格の持ち主だけど、おいしいものには従順だ。

スマートに見えるスーツなどにはこれっぽっちも頼ってないぜ。オレは頭とペン一本のみで仕事してんだ!
というプライドか!(ため息)

ところで、少なくとも中国では捨てたはずの物欲。中国で洋服を購入したことなど、Tシャツ一枚を除いてなかったのだけど、数日前、小さなブティックを除いてみたら、店員の女の子が一生懸命でとってもチャーミングだったことから、2着試着してみる気になって、挙げ句の果てに衝動買いした。
見辛いけど、ニットのカーディガンと、

コットンのジャケット

あの値段交渉のさる芝居をしないで済んだ。なんて楽なんだ~。あの煩わしさに購買意欲は消えていく。
全ての売り物に値札があった。
謝謝
ここを北京第一号のマイブティックにするか~。。。
安くするとか、いくらなら買うんだなんてセリフの変わりに、店の若者達は、まず、私が何人かをとってもダイレクトな英語で聞き、その後に、チュウゴクに来てくれてありがとーと口々にいった(笑)。
英語を必死になって話そうとする同僚を周りにいる子達ははやし立てる。
私が、レジの前にあった飴に目をつけて、
「その飴、ちょっと頂戴」というと、20個くらいむんずとつかんで私に手渡してくれた。
ラッキーぴょん♪