an old friend of mine - 古い友達

「生きてる間にあと何回会えるだろうか」といった親友が数名世界に点在している。
しょっちゅう彼、彼女達のことが頭をよぎる。どうしてるかなー、なにしてるかなー、いいオトコとよろしくやってるかなーといった具合に。忘れた頃に連絡をとる友達もあるし、もうすっかり居所がわからなくなってしまった友達もある。

もう8年も会っていないある友達がいる。私が連絡を途絶えさせてしまって5年くらい経っている。彼女とは1995年に私がひとりで当てもなく南フランスを旅しているときに、出会った。彼女もひとり、私もひとり。アルルのバックパッカー向けの宿でのつかの間のルームメートでしかないはずのドイツ人の一人の女の子とあっという間に意気投合。その後二人で数日たびを共にした。カマグル湿原に二人で行って、白い馬に乗ったり(私の乗った馬は凶暴で、馬使い(?)の南仏オトコは横暴で、私はさんざんな目にあった)、バス停に座って自国に帰ってからの人生をふそれぞれ思い、共にため息をついたりした。私が古い要塞教会のスケッチを彼女にみせると、あまりのひどさに彼女は小さな鈴のように笑ったけど私の絵を馬鹿にはしなかった。私たちは確か一緒にアルルにもどって、お互いに逆方向へむかう電車に乗り込み別れた。

それから私達はいろいろな思いをEメールで交換した。

私が2000年にロンドンで結婚式をしたとき、私達は再会した。その後間もなくして私の人生の雲行きがどんどん怪しくなり、私は苦戦した。彼女が私を結婚式に招待してくれた時は、私は苦戦のまっただ中で、ミュンヘンの彼女のおばあちゃんの家でのウェディングパーティに参加することができなかった。後日彼女はその日の写真を送って来てくれた。旦那さんも素敵なヒト、彼女もすっかり奇麗になって、とっても幸せそうだった。その後私の苦戦は続き、たくさんのヒトとの連絡を途絶えさせてしまった。

ところが彼女からクリスマスグリーティングが届いた。彼女が大勢の友達に一斉に出したグリーティングで、ドイツ語の手短かなメッセージのほかに写真が添付されていた。
その写真をみるとき私は少しドキドキした。自国ドイツにいるのか、はたまたどこか違う国に引っ越したのか。
もしかしたら、すっかり崩壊してしまった彼女の結婚生活をみることになるかもしれない。すっかりやつれた彼女がいるかもしれない。生まれたはずの小さな女の子が怪我をしているかもしれない。

つくづく悲観主義の私。

でも写真をみると、彼女は彼女のまま、同じパートナーと笑っていた。そして彼らの周りには一人だけでなく3人の子供達がいた。どうもドイツで撮影された写真とは思えない。私は思わず嬉しくなってにやけてしまった。

ミカエラ、相変わらずやのーって。にひひ

ほんとに根っからのトラベラーなんだわ、彼女。

昔っからドイツからクルマでイラクとおってインドまで行っちゃったりしてたけど、結婚して家庭をもっても変わってないみたい。なんだかどんどん嬉しさがこみあげてきた。変わらないでいてくれる友達って、なんだかとってもお宝なのだ。