今月社会評論社から出版された「東京府のマボロシ」に「慶応三年のパリ万博」と題して氷の話を書いております。

半年以上、こちらのブログを放置しておりました。<(_ _)>

書くテーマはあったのですが、立ち上げるたびにナントカのインストールだのセキュリティ・ソフトの更新だのパスワードだのをパソコンに要求されることもあって、ネット未開人としては離れる時期が長ければ長いほどハードルが上がってしまい、とうとう半年も放置しておりました。それでも1日50アクセス程があったとのことで驚いております。(゜o゜)

さて、今回は15年前にダイナースの機関誌「SIGNATURE」で書いた時に好評を頂いていた氷の話をその後にリサーチした内容を加えてかなりパワーアップしてお届けすることが出来ました。あまり大きな口を叩くのは僕の性分では無いのですが、洋酒に関わる氷の歴史に触れたものとしては画期的なのではないかと思っております。まだ発売から間もないのでネタバレに関わる話は書けないのですが、今回は僕と洋酒に使う氷の話のなれそめと「大きな勘違い」について書くことにしましょう。

僕がカクテルやウイスキーのオンザロックに使われる氷に特別な思いを抱いたのはサヴォイのカクテルブックの初版を見たときでした。

1930年だから日本で言うと昭和5年に出版されたこの本の巻頭に書かれた「若いバーテンダーに捧ぐ」と題したバーテンダーの心得集に「氷の使い回しはするな」という文言があって、これを不思議に思ったのがそもそもの始まりでした。

1980年代には自分のような貧乏学生の部屋にも小さな製氷皿がついた冷蔵庫があったから、お金持ちが集まる戦前のバーなら冷蔵庫くらいあるだろう・・・と思っていたので氷が貴重品だ、などとは思ってもいなかったので。

これは「慶応三年のパリ万博」には書ききれなかったのですが、戦前のバーの頂点とされていた帝国ホテルや東京會舘の冷蔵庫は、上の棚に大きな角氷を入れて冷やす「氷式冷蔵庫」でした。ゼネラル・エレクトリックなどの米国製や国産の電気冷蔵庫も戦前には販売が開始されていましたが、食品を入れるキャビネットの上に花魁のかんざしを巨大にしたようなジェネレーターが付いたもので、まだ実用品には程遠いものだったのです。

ここまで判ってくると「戦前の氷は高かったんだろうな」と思うのが自然です。実際、サヴォイに書かれている「氷の使い回し」の話もこんな印象を補強していました。しかし、事実は違っていたことを今回の「慶応三年のパリ万博」では解き明かしています。

それでは、僕が誤解をするきっかけとなったサヴォイはなぜ「氷を使いまわすな」と書いていたのか。それも今回原稿を書いたおかげで判ってきたように思います。

僕の家の台所にはスーパーで貰ったレジ袋が整理しても整理しても溜まってきます。まぁゴミを出すのに重宝はしますが、まさかレジ袋を高価だと思う人はいないでしょう。それでも僕のようにレジ袋が「何となく捨てられない」人は多いはずです。

つまり、無意識に「使いまわす」という意識や習慣がある場合(氷も同様です)、高価であるかないかはさほど問題にならない。とくに氷が貴重品だった19世紀末からバーテンダーをやっていた人や、その教えを受けていた新人バーテンダーは無意識に氷を洗って再使用する「癖」があり、それをサヴォイの著者であるハリー・クラドックがたしなめた文章を後世の「昔の氷は高価だったに違いない」という予断というか潜入観念を持って見ていたから「やっぱりな。戦前の氷は高価だったに違いない。うんうん。」と僕が勘違いしていたということなのです。

次回は「東京府のマボロシ」に氷の話を書くことになったきっかけをお話ししましょう。