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消して忘れてはいけない!




「少年は気をつけの姿勢で、じっと前を見つづけた。」    
米従軍写真家 ジョー・オダネル撮影(1945年長崎の爆心地にて)
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長崎では、まだ次から次へとしたいを運ぶ荷車が焼き場に向かっていた。死体が荷車に無造作に放り上げられ。側面から腕や足がだらりとぶら下がっている光景に私はたびたびぶつかった。人々の表情は暗い。
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 焼き場となっていた川岸には、浅い穴が掘られ、水がひたひたと寄せており、灰や木片や石灰がちらばっている。燃え残りの木片は風を受けると赤々と輝き、あたりにはまだぬくもりがただよう。
 白い大きなマスクをつけた係員は荷車から手と足をつかんで遺体を下ろすと、そのまま勢いをつけて火の中に投げ入れた。はげしく炎をあげて燃えつきる。それでお終いだ。燃え上がる遺体の発する強烈な熱に私はたじろいで後ずさりした。荷車をひいてきた人は台の上の体を投げ終えると帰っていった。だれも灰を持ち去ろうとするものはいない。残るのは、悲惨な死の生み出した一瞬の熱と耐え難い臭気だけだった。
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 焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。小さな体は痩せ細り、ボロボロの服を着てはだしだった。少年の背中には二歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。その子はまるで眠っているようで見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。 少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。まもなく脂の焼ける音がジュウとわたしの耳にも届く。炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。 気落ちしたかのように背が丸くなった少年は、またすぐに背筋を伸ばす。私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気をつけの姿勢でじっと前を見つづけた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で彼は弟を見送ったのだ。 
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 私はカメラのファインダーを通して、涙の出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。急に彼は回れ右をすると、背筋をピンと張り、まっすぐ前を見て歩み去った。一度も後ろを振り向かないまま。係員によると、少年の弟は夜の間に死んでしまったのだ。その夕方、家に戻ってズボンをぬぐと、まるで妖気が立ち登るように、死臭があたりにただよった。今日一日見た人々のことを思うと胸が痛んだ。あの少年はどこに行き、どうして行きてゆくのだろうか?
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[焼き場にて、長崎]
この少年が死んでしまった弟をつれて焼き場にやってきたとき、私は初めて軍隊の影響がこんな幼い子供にまで及んでいることを知った。アメリカの少年はとてもこんなことはできないだろう。直立不動の姿勢で、なんの感情も見せず、涙も流さなかった。そばに行ってなぐさめてやりたいと思ったが、それもできなかった。もし私がそうすれば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力をくずしてしまうだろう。私はなす術もなく、立ちつくしていた。