このブログで私、服部雅代のことをまだきちんと伝えてなかったことに気づき、
何回かに分けてお伝えしようと思います。
まずは全体像から。
私は、エステ業界未経験で個人サロンをOPENしました。
こんにちは。
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ライフ・プロデューサー 服部雅代です。
私の職歴は、
①プログラマー → ②ウェディングプランナー → ③カラー&イメージコンサルタント
→④DTPオペレーター → ⑤サロンマネージャー → ⑥サロン開業
となります。
何個か仕事を掛け持ちしてた時期もたくさんあるので、経験した仕事は数知れず。。。
(今となっては、全部が活かされています)
私にとって天職というならば、実は「ウェディングプランナー」だと思っています。
何も頑張らなくても、アイディアはどんどん出るし、
気を遣うことで喜ばれ、根回しなどをすることで事がうまく運び、対価を得られる。
正直言って、私からすればストレスのない仕事です。
元々、サービス精神が旺盛で、最初に働いた会社も“協同組合”という団体だったので
“利益”についての組み立てが全くできなかったので、
いい仕事をしてました(笑)←自分で言っちゃった。
(雇った方は大変だったと思いますが)
ただ、気が付いたのです。自分の生まれてきた意味に。
なぜ、女で生まれてきたのか、
なぜ、高校生で婦人科を患ったのか、
なぜ、ウェディングの仕事だったのか。
パズルのようにハマッた時に、「ウェディングの仕事だけでは、たくさんの女性を救えない」
そう思ったので、あっさり辞めました。
その記事はコチラ
「エステをめざすきっかけ」
でも、何をすればいいのかさっぱりだったので、
その時に身につけていた「カラーコーディネート」やパーソナルカラー・セミナー講師、
「イメージコンサルタント」の仕事を始めました。
それが一番できる範囲内の近道と思ったんです。
正直言ってあまり食えませんでしたが![]()
その後、「何かするにはお金が必要」と思って再就職するわけですが。
その会社が経営コンサルタント会社で、
DTPオペレーター(POPやチラシ、販促グッズをデザインしたりする人)として
採用されました。
たまたまそこがリラクゼーションサロンを経営しており、
ひょんなことから、そのサロンマネージャーに抜擢されてしまいました。
技術のできないマネージャーの誕生です。
サロンマネージャーの仕事に就いた時は、やるしかなくて、ストレスだらけで。
スタッフは減る一方、でも雇えない。
そんな八方ふさがりで出した答えは、「私が施術者になります」でした。
自分は一体何屋だ?と思いながらも、
技術を学んだ瞬間に、「あ。これだ」と思ったのです。
「これなら、女性を救える」←かなりえらそうだ^^;
私の使命。生まれてきた意味が繋がった瞬間でした。
サロンマネージャーで施術者としても運営をしていく中で、
運命なのか、担当したサロンを譲渡することになり、施術場がなくなることに。
「自分のサロン像」がどんどんできてきた時だったので、
大阪の地で、「自分の思うサロン」を開業しよう!と決意したのです。
ま、当初の計画通りには全くいかなかったわけですが。
エステ開業までの道のりは、こんな感じだったんです。



