病室は南向きで明るい。

カーテン越しでも、太陽が昇り始めると朝がきたことが分かる。

 

朝の光に起こされて、この日は気持ち良くパッと目が覚めた。

と同時に

「あ!身体に守られてるのは私のほうなんだ!!」

と覚醒したような、ハッキリとそれに気づいたような感覚になった。

 

というのも『退院しました!』にも書いたように、

これまでの私は、自分の身体に話しかけることがあった。

 

「これから手術してこの辺りを切るけど驚かないでね~」

「がんばろうね~」

 

みたいな感じで。

そこには無意識だけれど、主導権は私が握っている、的な感覚があった。

上下関係をつけるなら私の方が上で、身体を励ましている構図。

それがこの日、目覚めた瞬間に、

 

そうじゃないわ!

私が、私の身体を守っていると勘違いしてたけど、

私の方が、身体に守られてるんだ!!

 

と気が付いて目が覚めたのだ。

うまくは言えないけれど、立場逆転のそこに、

自分の身体からの包容力というか、深い愛というか、温かいものを感じた。

 

それから、身体は自分の所有物だと思っていたけど、

そうじゃないよ、あなたのものじゃないよ。借りてるものだよ。

みたいな発見というか再確認をした。

 

実はこの発見は、32歳の大変な水ぼうそうになった時もあった。

当時は営業の仕事をしながら、ヨガインストラクターの資格を取りに行きつつ、

友達ともめちゃ遊びたくて、ただただ時間が欲しくて。

時間ができれば、すぐに予定を入れて。

 

「なりたい自分になるために、限界を超える!

限界なんて自分で決めてるだけ!」

と勝手に思い込んで、寝る間も惜しんでスケジュールを詰め込む日々だった。

 

そんな風に身体の疲れも無視して突っ走って、急に水ぼうそうになってダウンして。

外出できずに、一気に時間の流れがかわり、穏やかになった時に。

 

「あ!限界なんて自分の力だけで超えられないのに、

自分一人で何でもできる気になってた!傲慢だった!

この身体は自分の物じゃないのに!」

 

と発見したことがあったのだ。

それをまた思い出した。

私にとっての病気は、自分の傲慢さに気づくきっかけなのかもしれない。

それに気づけたからか、朝からやけに清々しかった。

 

その後、朝6時に採血。

8時過ぎにはN先生がやってきて傷を止めている金具を外した。

これも少しは痛いのかな、と怖がっていたのだけれど、

いつ外したのかも気づかないくらいのできごとで、キツネにつままれた気分だった。

 

縦に縫った部分を触ってみて、と言われおそるおそる触る。

8㎝ほどのみみずばれのようなそれに、少しおののいた。

とうとうお腹を切ったという実感。一瞬の感傷もつかのま、

 

「順調ですね。明日退院です!」

 

の言葉が飛び上がるほど嬉しかった。

明日退院できるんだろうなーと分かっていたのに、言葉になるとますます嬉しかった!

 

毎日お見舞いに来てくれていた看護師の友人にも、心から感謝の気持ちを伝えた。

彼女は仕事終わりに2時間近く話し相手になってくれた。

休みの日も、子供を連れてお見舞いに来てくれた。

 

今までお見舞いに行く立場だった時は、

無理させてないかな、早く帰らないといけないかな。

と遠慮したし、よほど長い入院じゃなければ何度も行くことはなかった。

 

でも今回される側を体験してみて、何度もお見舞いに来てくれるということは、

心強くなるということを知った。

 

もちろん彼女の看護師としての知識も、心配事や不安を楽にしてくれたけれど、

それよりも毎日今日の出来事をお互いに話したり、たわいもない話をする時間が、

どれだけ貴重か身に染みたし、本当にありがたかった。

 

それは毎日何度も来てくれていた母とはまた違う、愛情というか。

朝の覚醒と言い、たくさんの愛に、やっと気づけた日。

今まで欲しがるばかりで、ずっとそこにあった愛というものを、やっと認識した日。

 

さあ!待ちに待った退院だ!

病室から夕焼け雲がきれいに見えていたことに気づけた、

心穏やかな術後6日目のできごと。