過去の大地震では、倒れてきた家具の下敷きになって、大けがをしたり、亡くなったりしたかたが多くいました。各家庭で出来る事前対策として次などが考えられます。

・寝室や子ども部屋には、大型の家具はなるべく置かないようにする。

・家具等は、出入り口をふさがない位置に置くなど、向きや配置を工夫する。

・家具や家電を固定するための器具や金具(市販されています)を活用する。

・タンス、食器棚、本棚などや、テレビや冷蔵庫なども、器具や金具で壁に固定することで転倒を防止する。

・窓ガラスに飛散防止フィルムを貼ったり、食器が飛び出さないようにロックがついている棚を選ぶ。

など、生活環境に応じた予防をします。

参考:災害対策を学んで、災害に強い街づくりに貢献しよう!【SDGs】達成を目指して (benesse.jp)

マキコーポレーション「「防災ノーティス」より

いつも防災:「防災士(日本防災士会)」/ 「防災危機管理者(日本防災管理協会)」

地震や台風、最近増えている豪雨などの災害は、人間の想像をはるかに超える力で、私たちの暮らしを壊してしまいます。自分や家族の命を守り、災害の被害を最小限に抑えるためには、日ごろから災害の対策をしておくことが重要です。災害が起こる前に、ふだんからできる身近な災害対策や備えを考えます。

■家の中の災害対策

■飲料水や食料品を備蓄する

■避難に備えて非常持ち出し袋を準備しておく

■安否を確認する方法を決めておく

■最寄りの避難所や避難経路を確認しておく

参考:災害対策を学んで、災害に強い街づくりに貢献しよう!【SDGs】達成を目指して (benesse.jp)

マキコーポレーション「「防災ノーティス」より

いつも防災:「防災士(日本防災士会)」/ 「防災危機管理者(日本防災管理協会)」

災害が起こったあとの対応で最初にやるべきことは、避難するなどして自分や家族の命を守ったり、人命救助を迅速に行ったりして「命を守ること」です。災害によって止まってしまった電気、水道、交通、通信などのライフラインを復旧させて「毎日の暮らしを取り戻すこと」が必要です。自宅が住めない状態になってしまった人や、仕事がなくなってしまった人を長期的に支援して「生活を再建すること」にも取り組まなければなりません。

国や自治体を中心とした「災害に強い街づくり」を進める中でも、「予測」「予防」「対応」の3つの分野で対策が立てられています。しかし、災害のリスクを軽減する対策は、公的機関だけが行うものではありません。私たち一人ひとりも災害に対するレジリエンスを高める必要があります。災害が起こる前に、危機対応能力を身につけられるように、災害対策や防災について学んで、一人ひとりができる「災害対策」を考え、ふだんからの備えをすることが重要です。

参考:災害対策を学んで、災害に強い街づくりに貢献しよう!【SDGs】達成を目指して (benesse.jp)

マキコーポレーション「「防災ノーティス」より

いつも防災:「防災士(日本防災士会)」/ 「防災危機管理者(日本防災管理協会)」

訳では「包摂的で安全かつ強靱(レジリエント)で持続可能な都市と人間居住を実現する」です。「レジリエント」は、日本ではあまりなじみのない言葉ですが、日本の防災に関する取り組みの中では、わかりやすくするために、「予測力、予防力、対応力」と3つに分けて考えます。

予測は、災害に対する知識を得ることです。国や自治体が公開しているハザードマップには、地震や洪水のときの被害予想と避難所の位置などが掲載されています。災害が起こったとき、被害をどこまで抑えることができるか、何を備えておけばよいのかと考えるためにも、まず、何が起きるのかを知ることから始めます。

予防は、災害のリスクを最小限にできるように対策を立てておくことです。例えば古いブロック塀を倒れにくいフェンスに替える、家屋に耐震補強をする、家具や家電を転倒防止のために固定することなどです。

対応ですが、いくら予測や予防していても、実際に災害が起こったときに被害が出てしまう場面も、多々あります。実際に、災害が起こったときどう対応するのかということを、前もって考えておくことです。

参考:災害対策を学んで、災害に強い街づくりに貢献しよう!【SDGs】達成を目指して (benesse.jp)

マキコーポレーション「「防災ノーティス」より

いつも防災:「防災士(日本防災士会)」/ 「防災危機管理者(日本防災管理協会)」

中学生が体験学習でお寺に来た時のことです。朝のお勤めの後の話の中で「君たちは何歳まで生きられると思う?」と、尋ねてみました。子どもたちの答えは、「八十歳」~「百歳」と様々でした。

日本人の平均寿命:女性は八十七歳、男性も八十一歳を超えています。百歳といっても決してめずらしい時代ではなくなりました。
さて、生きるとは、寿命が長ければいいということではなく、日々の心がまえが大切だと思います。元京都大学総長で、脳医学の権威であった、平澤興先生は著書に「今日一日生きるということは、最高の医学をもってしても、充分説明できない不思議であります」と書かれ、「今日もよし、明日もよし、あさってもよし、よし、よし、よしと暮らす一日」という精神で暮らすのだと言っています。ただ、ひたすら「よし、よしと生きる」あるいは、「よし、よしと生かされている」という生き方は、日々が大きな喜びになります。
虚堂(きどう)禅師という宋代の有名な禅僧の言葉に、『年年是好年 日日是好日』〈虚堂録〉というものがあります。禅師が元日の朝に修行僧たちに話した言葉で、「毎日が良い日でありますように」といった単純な意味ではなくて、良いことも悪いこともありのままに受け入れ、その時その時を精一杯生きなさいといった意味だそうです。『生きる』という中には、楽しいことも辛いこともたくさんありますが、どんな人生が待っていようとも『人生是好人生』として受け止めていきたいものです。

「こころと命の相談室」快栄寺(eお坊さんねっと)説話集より

参考:「天台宗」法話集より抜粋・編集

「批判ばかり受けて育った子は非難ばかりします」「ほめられる中で育った子はいつも感謝することを知ります」これはドロシー・ロー・ノルト作「アメリカインディアンの教え」という詩の中の一節です。

日頃私たちは、長所を伸ばしていこう、短所は慎んでいこうと考えています。ですからほめることによって長所を育て、指摘することによって短所を治そうとします。それは私たちが、そうすることによって人が育ち、世の中が良い方向へ動くということを知っているからです。
しかし現実はどうでしょう。他人の成功をうらやみ、その人の悪口を言うことで自分の評価が上がると錯覚している人が、いかに多いことでしょうか。
ほめる前からけなしてしまう。短所は誰にでもあるもので、たしかにそれは慎んでゆかねばならないものです。しかしその芽のすべてを、批判によって治すことは出来ません。その上短所は長所に比べて目につきやすいのです。一つの短所が無くなったかと思うと、新たに別の短所が見えてきたりもします。
もともと長所と短所というものは、同じ性質のものが形を変えて表れている場合が少なくありません。例えば「大雑把(おおざっぱ)でいい加減な人」は「おうようでこだわらない人」「細かくてお節介な人」は「きちんとしていて世話好きな人」といった具合にです。そのように長所も短所も見方の違いによるものならば、いっそのこと悪いところはそこそこに、まずは良いところを褒めて伸ばしてあげた方が、どんなにかよいか。
批判ばかり受けて育った子も、ほめられる中で育った子も、やがては大人になり親になって行きます。その時の彼らの社会を想像してみて下さい。他人の非難ばかりしている社会が幸せか、いつも感謝することを知っている社会が幸せか、アメリカインディアンたちはよく知っていたのだと思います。

「こころと命の相談室」快栄寺(eお坊さんねっと)説話集より

参考:「天台宗」法話集より抜粋・編集

今は、いろいろなエンターテインメントに押されて聞く機会もなくなりましたが、三味線の音で弾き語りされる都都逸(どどいつ)は、人生の言い得て妙な生き様を軽妙洒脱にとらえた名文句の宝庫です。
例えば、青木仙十作、「くじも当たらず出世もなくて、今日を生きてる運のよさ」は、傑出しています。
人は、まわりを見て自分のことを知ります。世間的な常識のことも分別と言います。分別心をもつことは大人の条件と思いますが、分別だけですと最後には虚しさが残ってしまいます。
 「上を向いたらきりがない、下を向いたら後がない」
この虚しさを、無理して満たそうとすると、上にはねたみ、下に向けてはおごりのこころが生じます。
せっかちで落ち着かない分別を止めてみると、元気でいるからこそ、喜びも悔しさもあるのだと気づきます。すると、一時の悔しさにとらわれない新たな元気が得られます。人生に悔しいことがあったら、いったん引いてみましょう。心の虚しさは、分別にもとづくつまらぬこだわりから来ることが分かります。心の置き所の転換、それがストレスを解消するのです。
もう一つ。「諦めましたよ、どう諦めた、諦められぬと諦めた。」いかがですか。
「こころと命の相談室」快栄寺(eお坊さんねっと)説話集より

参考:「天台宗」法話集より抜粋・編集

「水を見たら 水の美しさを見ればいい。花を見たら その美しさに見とれればいい。春もいいが 夏もいい。秋もいいが 冬もいい。どっちもいい・・」武者小路実篤氏の詩です。「どっちでもいい」ではなく、「どっちもいい」といっているのです。「で」が入るか入らないかで、意味は全く異なります。「どっちでもいい」ということばには冷たい響きがあります。「AでもBでも、私にはどうでもいいことさ」となげやりな感じがします。では、「どっちもいい」の方はどうでしょうか。あれもいいし、これもいい。つまり、すべてがいいということで、あらゆるものの中にそのものの良さを見出していこうとするように見受けられます。それは、さまざまなものとの関わり合いを大切にする姿なのです。実に私たちの生活はこの関わり合いによって成り立っています。ですから、「どっちでもいい」と、なかば投げ槍に過ごすのではなく、「どっちもいいな」とすべてのものに暖かな慈しみの心をそそげたならば、生活に潤いを持つことができるはずですし、これを仏教では「縁」というのです。
私たちは、気付くと気付かざるとにかかわらず、この縁によって一日一日を生きているのです。
「こころと命の相談室」快栄寺(eお坊さんねっと)説話集より

参考:「天台宗」法話集より抜粋・編集

グリーフやグリーフケアが研究対象として我が国でも意識され始めたのは、欧米より10年程遅れての1970年代からでした。背景には、医療の進歩で乳幼児死亡率が非常に低くなるとともに、平均余命が長くなったことがあります。また、在宅ではなく病院で亡くなる人が大半を占めたことや、核家族化・非婚化が進んだこともあります。

つまり、亡くなる過程、看取りを身近に経験することが減り、グリーフ体験を共有する機会が減ったのです。大切な人を亡くしたときどうしたらよいのかわからない、どう支えればいいのかもわからない。そんな状況が広まったのです。だからこそ、グリーフやそのケアを意識的に考える必要が出てきたといえます。

快栄寺(eお坊さんねっと)「IT坊主の無駄方便」集より

終活 ライフケアプランナー(JADP)

参考:グリーフをめぐる歴史-グリーフケアへの誘い|こころのケータイひろば 株式会社 日本香堂 (nipponkodo.co.jp) より引用&編集

様々あるグリーフ(例えば喪失)状態の人に寄り添い、支えることを「グリーフケア」といいます。

状態を受け入れ、適応して新しい人生を過ごせるように援助するのです。

日本は、かつて家族や地域コミュニティなど、グリーフケアを担う人が周囲にいることが多い社会環境にありましたが、現在では核家族化や非婚化が進み、家族の支え合い機能が弱まっています。

地域コミュニティも揺らぎ、そうした役割を果たすことは期待薄です。病院で亡くなる人が大半を占めるようになったことから、亡くなる人を身近で看取る機会が減り、どう向き合ったらよいかがわからないという人も増えています。

そこで、グリーフとかグリーフケアを研究する必要性が出てきたのです。医師や看護師、宗教者、葬儀社、NPOといった第三者がグリーフケアを担う動きも、こうした流れから生まれています。

快栄寺(eお坊さんねっと)「IT坊主の無駄方便」集より

終活 ライフケアプランナー(JADP)

参考:グリーフとは-グリーフケアへの誘い|こころのケータイひろば 株式会社 日本香堂 (nipponkodo.co.jp)より引用&編集