防災訓練のありかたとして、まず挙げられるのが「迅速に意思決定ができるようにする」です。災害に巻き込まれたとき、その場の判断によって状況は大きく左右されます。万が一、不適切な判断をしてしまった場合、事態が深刻になってしまう可能性があるでしょう。最悪の場合多くの人命に影響が及ぶこともあります。また、仮に適切な意思決定ができたとしても、判断までに時間がかかっているようでは「手遅れ」になってしまうリスクがあります。
判断を下した時にはもう時すでに遅し、といった状況では、もし適切な判断ができたとしても無意味なものになってしまいます。基本的に災害は、人命にかかわる大きな問題です。緊急事態の中どれだけ「迅速かつ的確な意思決定ができるか」は大きな課題となります。

ただし、防災訓練における意思決定者が必ずしも責任者などの上に立つもののみということはありません。全体の指揮をとる人間による意思決定は重要です。しかし、特定の人間のみの意思決定では、現場の問題がスムーズに解消できない場合があります。「特定の人間」だけではなく、「関係者全員」が適切な意思決定をできるようにすることが望ましいのです。防災訓練の際には、様々なシチュエーションを想定し、「どのような問題が起きたらどう対処するか」を社内で共有しておきましょう。

参考:防災訓練のありかた IKUSA.JP https://ikusa.jp/202002217807/ より引用&編集

マキコーポレーション「「防災ノーティス」より

いつも防災:「防災士(日本防災士会)」/ 「防災危機管理者(日本防災管理協会)」

防災訓練を行うにあたっては、その目的を正しく理解しておく必要があります。
なぜなら、防災訓練の主旨について正しく理解していないと、「内容が不十分な防災訓練になってしまう」といった事態に陥ってしまうリスクがあるからです。

せっかく時間と手間をかけて防災訓練を行っても、必要な対策が欠けていた場合、いざというときに社内がパニックになってしまうことが考えられます。

重要なことは、「単に参加しましたとか行いました」などという形だけにならないこと及び次につなげるための改善・工夫を見出すとともに、継続させることです。頭だけではなく「身体」に覚えさせるという意識をもって行います。

参考:防災訓練のありかた IKUSA.JP https://ikusa.jp/202002217807/ より引用&編集

マキコーポレーション「「防災ノーティス」より

いつも防災:「防災士(日本防災士会)」/ 「防災危機管理者(日本防災管理協会)」

防災訓練は地震や火事、水害といった様々な災害から自分及び、従業員や来客の身を守るための訓練です。かつては、防災訓練といえば小中学校などで行われるイメージが強かったものの、近年は規模を問わず企業でも積極的に行われるケースが増えてきました。日本は災害が多い国であり、「地震」「水害」「台風による強風」「大雪」など、季節を問わず様々な災害が発生しています。そのため、災害が起きてから「どうしたらいいのか」を考えているようでは手遅れな状態になります。

企業の防災訓練は、自分や従業員、来客の安全を確保するためというものが大きな目的ですが、他にも「データを守る」「スピーディーな業務再開」などもあります。企業の中には、「防災マニュアルを設けている」「防災訓練は行っていないが万が一の事態ではどう動くかを明確にしてある」などの対策を行っているところもあります。
しかし、実際に防災訓練をしてみないと「本当にマニュアル通りにスムーズにいくか」が分からないという問題点があるため、マニュアルだけを設けているだけの企業は危険です。

災害は、ある日突然やってくるものであり、予期せぬトラブルや問題が発生することもあるでしょう。必ずしもマニュアル通りに動けるとは限りませんしマニュアルを正しく理解できていない場合もあります。

また、「マニュアルを渡して各自に読んでもらうだけ」といった対策を行っている場合は、時間が経過してしまうと内容を忘れてしまう…などの事態に陥る可能性もあるのです。

防災訓練は、実際に行ってこそ意味があるものですので必ず、対象者参加型の訓練を行う必要があります。

参考:防災訓練のありかた IKUSA.JP https://ikusa.jp/202002217807/ より引用&編集

マキコーポレーション「「防災ノーティス」より

いつも防災:「防災士(日本防災士会)」/ 「防災危機管理者(日本防災管理協会)」

防災運動会は、「防災」と「遊び」を掛け合わせたもので、「防災・減災」を楽しみな がら学んでもらうものです。

恐らく、大方の人のイメージでは、防災関係の講習は机上の講習ばかりで退屈だ!でしょう。

これを運動会という形態で行うことにより体を動かしながら学ぶことが出来ます。各種競技種目のアイデアや工夫も生まれます。これが改善に繋がることにもなります。つまり新しい学習の方法です。

災害で被災するというのは、負のイメージがありますが、防災運動会を通じて楽しみながら知ってもらおうという一つの試みです。学校や地域の活動の中に取り入れて頂きたいひとつです。

マキコーポレーション「「防災ノーティス」より

いつも防災:「防災士(日本防災士会)」/ 「防災危機管理者(日本防災管理協会)」

防災運動会は、運動会に防災の要素を取り入れた新感覚の運動会のことで、さまざまな競技をチーム一丸となって挑戦する運動会特有の楽しさを残しつつ、それぞれの競技は、防災に関する知識がないとクリアできないように設定します。運動会を楽しむことはもちろんのこと、競技を通じて防災時に役立つ知識や知恵も一緒に学ぶことができ、研修や防災教育などのさまざまな場面で活用できます。

 防災運動会の特徴は、防災に対する「・事前準備・災害発生時・発生直後・避難生活・生活再建」といった5つのフェーズに対して防災知識を深め、それぞれのフェーズに合った対処法を学ぶことができます。各フェーズで求められる行動や対処法について身をもって体感でき、身体を動かしながら防災を楽しく学べます。

学校や町内会などで実施される運動会のひとつの種目として組み入れるなどの工夫も考えられます。純粋に競技を楽しみつつも防災学習として参加でき、防災に興味を持ってもらうきっかけを作ることにもつながります。

参考: 楽しみながら防災を学べる新しい運動会 https://asobi-bosai.com/blog/20201130660/より引用&編集

マキコーポレーション「「防災ノーティス」より

いつも防災:「防災士(日本防災士会)」/ 「防災危機管理者(日本防災管理協会)」

「法事」は、日本に根付いた伝統的なグリーフケアです。
法事は縁あるものが一同に集まり、あ互いに繋がりなおす大切な機会で大事な伝統的な行事です。

「グリーフケア」は大切な人、ものなどを失うことによって生じる、その人なりの自然な反応、状態、プロセスのことで、さまざまな喪失を体験し、グリーフを抱えた方々に寄り添い、そして希望を持つことができるように支援することです。

「抱えながら乗り越える」そして前に向かって歩むことです。

グリーフケアは、何か新しい事柄ではなく、昔から日本に根付いている文化の一つなのです。

~このようにして、先人たちは悲しみを乗り越えてきました~

快栄寺(eお坊さんねっと)「IT坊主の無駄方便」集より

終活 ライフケアプランナー(JADP)

参考:日本グリーフケア協会(https://www.grief-care.org/about/)より引用&編集

「もしも、身近にしんどそうな人がいたら、何ができるか?」

具体的に何かができるかを考えるのではなく、まず「相手に、あなたのことを気にかけてるよ」と発信する。「なにかできることがあったら言ってくださいね。」と声をかけることです。何故ならば、

「助けて」と声を出せる(この人だったら『助けて』と言っていいんだ)」とわかるからです。

日本に自殺者が多いのは「助けて」と言いづらいからでは?

人は、何かあるとアドバイスをしたくなる傾向があります。励ましたくなります。時には説教したくもなります。その前に「まず聴く(傾聴)」です。そのまま聴く。いいかわるいかを判断しないです。

相手に話をしてもらことで、相手は安心感を持ちます。抱えていることがあれば話の中に自然と出てきます。これがグリーフケアでいう「寄り添う」の第一歩です。

快栄寺(eお坊さんねっと)「IT坊主の無駄方便」集より

終活 ライフケアプランナー(JADP)

参考:日本グリーフケア協会(https://www.grief-care.org/about/)より引用&編集

65歳以上の人を高齢者と呼んでいるが、高齢者には個人差があり一律にとらえることはできない。老後の不安は「健康、金、孤独」といわれるが、一番難しいのは「ひとり」を生き抜くことである。高齢者は、だれもが、それぞれにかけがえのない存在として社会を背負って、牽引してきた方々なのです。地域の中で役割を担い、 活動の場があってこそ充実感をもって日々を送れるのです。

高齢者が元気に毎日を送るための秘訣は「きょういく(教育?)」と「きょうよう(教養?)」であるという。

・「きょういく」とは『今日も行くところがある』こと、

・「きょうよう」とは『今日も用事がある』ことだそうです。

「今日も行くところがある」というのは「居場所がある」ことで、「今日も用事がある」とは「出番がある」ことだと言い換えることができます。 今日も予定があり身支度を整えて出かけていく。出かけて行った先には気心の知れた人びとがいて、そうした人びとと協力して誰かのために役立つ活動をする。「きょういく」と「きょうよう」は高齢者も主役となって地域を担うときの合言葉であるといえます。そういった地域社会であってほしいものです。 

快栄寺(eお坊さんねっと)「IT坊主の無駄方便」集より

終活 ライフケアプランナー(JADP)

参考:「全国町村会 コラム・論説 東京大学名誉教授 大森 彌(第2868号・平成26年2月3日)

「キョウイク」と「キョウヨウ」 - 全国町村会 (zck.or.jp)」より引用&編集

今のところ65歳以上の人を高齢者と呼んでいます。書店には、高齢者の生き方に関するハウツー本が並んでいる。ハウツー本が実際に役立つことはあまりないが、それでも、そうした本が売れるのは高齢者が不安をもっているからです。

老後の不安は「健康、金、孤独」といわれるが、一番難しいのは「ひとり」を生き抜くことである。「ひとり」という自由な生き方を選ぶ人は、 最後は誰かの世話になってと考えるのはおこがましいはずであるから、野垂れ死にする覚悟が必要である。しかし、現実にはそんなに強い自立した高齢者が多いわけではない。 

切ないのは、本人が他の人とのお付き合いを煩わしいとか面倒だとかと考えて閉じこもり、地域社会から身を引き、だれからも声もかけられず孤独状態になる事です。こういった状態を是正する行為も重要な「グリーフケア」なのです。グリーフケアというと、「悲しみに寄り添い、立ち直るサポートをすること。」というのが一般的な捉え方ですが、『予防としてのグリーフケア』が必要と考えます。

快栄寺(eお坊さんねっと)「IT坊主の無駄方便」集より

終活 ライフケアプランナー(JADP)

参考:「全国町村会 コラム・論説 東京大学名誉教授 大森 彌(第2868号・平成26年2月3日)

「キョウイク」と「キョウヨウ」 - 全国町村会 (zck.or.jp)」より引用&編集

世界的なコロナウイルスの蔓延が起こり、家族が亡くなっても最期に会うこともできないまま別れなければならない環境に置かれた方が多くいます。

あまりの辛さに火葬場で立っていられなかったという方、火葬場にも行かれず自宅でご遺骨が到着するのをただ待っていたというご家族などなど、言葉では表せない状態を経験するという悲惨な期間が続きました。

「寄り添い、立ち直るサポートをする。」それがグリーフケアなのですが、それさえままならず、ただ悲しみをこらえるのみということが現実に起こりました。(私の体験です)

それでも人は悲しみを乗り越え生きていかなければならないのです。家族が一番の支えです。

快栄寺(eお坊さんねっと)「IT坊主の無駄方便」集より

終活 ライフケアプランナー(JADP)