「道があるから人が歩くのではない、人が歩くからそこが道になるのだ」


by 『故郷』 魯迅


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この言葉に出会ったのはまだケツの青い中学生の時。
子供の頃から、好奇心が旺盛だった。破天荒なことばかりしようとした。
あたしがやろうとすることはいつも大人から「前例がないからだめだ」と言われた。
そんなあたしにとってこの言葉は神の啓示だった。


何かを始めようとする時、
ついつい自分の始めようとしていることの「前例」を探して
その「前例」という名の亡霊のした粋を超えずに行動していることはないだろうか。


大学時代、ボランティア活動に魅せられていたあたしの悩みは
「したいボランティアがあるのに、その活動を支援してくれるNPOがない」ということだった


当時、国連職員の女性と話をする機会があり、その悩みを話した
すると彼女は言った。
「人がやってなければ出来ないの?そうじゃないでしょう。やりたければ、ただおやりなさい。方法は情熱さえあればいくらでもカバーできるはず。」


あたしはその時、魯迅の『故郷』の結びの、上記の言葉を思い出した。
道がなければ歩けないというのは嘘。
情熱があれば、藪の中も歩ける。その藪を何度も歩けば、そこは道になるはず。
その道を他人が通るようになるかどうかは、また別の話なのだ。


その後、あたしのボランティア活動は形を変えた。
ラオスで出会ったみなしごのトラへの募金を促すポスターを作った。
そんなもん支援してくれるNPOなんてないから、自分で試行錯誤して作って、現地で知り合った人に助けてもらって実現した。


南アフリカに留学した時、私は寮が受け入れる初めての日本人だった。
その後、南アフリカに留学したいという女性から体験談を求められ、励ましのメールを書いたこともあった。


誰もやらないから、道がないわけじゃない。
みんなが通ってる道だけが、正しい道じゃない。



バイクに乗り始めた頃、自分よりヘタな人を見たことがなかった。
だから、そんなあたしがうまくなれる方法など、この世にはないと思った。
交差点で転んで怖い思いをした後とかは、諦めてバイクなんてやめちゃおうって思ったこともあった。


でも、またもや魯迅の言葉に救われて頑張って来た。
自分のレベルから成長した人を見たことがないけれど、
でもそれは頑張らないことの正当な言い訳にはならない。


絶対に練習し続けよう。
あたしの通った道が藪のままでも、そこを誰も通らなくても、それでもいい。
あたしの通る場所は あたしが作り、自分だけの道にする。