お盆も終わりましたね。

お盆=夏季休暇だった皆さんは

今日からお仕事だった方も多いのかな?



私もお盆は実家に帰省してまして

弟が買ってきた鳩サブレ(父のリクエスト)を

何度言っても鳩ビブレと言ってしまう父に

サブレだよ〜と笑いながら訂正するという

超絶のどかな時間を過ごして

本日自分の家へと戻りました。

休日ってなんであんなに

時間が過ぎるのが早いんでしょうね・・・・





お盆、終わっちゃいましたけど

以前からずっと感じてたことを

今日はちょっと書いてみようかなと。






突然ですが、

皆さんお墓参り、行かれました?





私は墓守の自覚があるので

(四柱推命ではこれを必ず言われる私)

そのお役目を果たすべく

タイミングが合えばお墓の掃除も含め

行ったりしてるんですが、






お墓って、誰のための物だと思います?






ご先祖さま含め亡くなった方が

そこに眠っているとされているお墓。



先祖供養の感覚を持ちながら

お墓参りされてる方もいるでしょうし

亡くなった方に会いに行く感覚の方も

いらっしゃるかもしれないですね。






これは個人的な意見かもしれませんが

お墓、あと、お葬式もね、

亡くなった方のためにあるとされてる物ですが、

私は、残された方のためのものだと思ってます。






私がそう感じるようになったのは

数年前に元パートナーのお母さんが

亡くなったっていう知らせを受けた時から。






その時の私は既に戸籍上のご縁は切れていたので

義理の母だった方が亡くなったっていう、

形式的には何も関係ない出来事。




ただ・・・





家族だった期間中、特に仲が良かった訳でも

その逆だった訳でもなかったけど

ご縁があって同じ時間を過ごした方とは

やっぱり思い出もそれなりにあった訳で。





連絡を受けて動揺したし

何とも言えない複雑な気持ちで

いろいろ思い出しては泣いたりと

なかなか心の整理ができなかったことを

今でも覚えています。





当時の私は(というか今もだけど)

立場として単なる元嫁。

元パートナーにはその時既に奥さんが居たし

葬儀が行われる地は遥か遠く。

参列したい気持ちはあっても、

そうする訳にはいかない条件しか無くて。




そうなるとね、

私は独りでその死を受け止めなくてはいけない





私には故人とのお別れができる場も

亡くなったことへの悲しみや寂しさ、

想い出を分かち合える人も場もなかった。

それがこんなにも辛くて苦しいことなんだっていう体験と、感情の消化をするのに結構な時間を要するという体験をしました。





その時ね、

お葬式って亡くなった人のためにやってるようで

実はそうじゃないんだなって感じたんです。





大切な人が亡くなった後、

宗教によって儀式は様々だけど

私たちは故人を送り出す準備をしながら

死というものを徐々に受け止める過程を踏みます。




葬儀の準備をしながらも

その場に集まった家族や親戚、

故人の友人達なんかと

『そういえばこんな事あったよね』

みたいな話をしながら

故人を弔いつつ自分の気持ちを慰めるような

そんな時間を過ごすことで

残された者たちが

故人とお別れをしていくというのが

お葬式という場です。





冷静に考えて、

既にその時には魂はとっくに光に還ってる訳で

サヨナラはもう既に終わってるんですよね。

肉体という魂の器がそこにあるだけで。





本質的なサヨナラは終わっているのに

それでも尚、儀式を行いたいのは

残された者たちが心のけじめをつける

“場”というものが必要だからなんだと思います。






お墓もこれと同じ。





お墓に行って手を合わせると

故人と繋がれるような気がするとか

御先祖様の供養をしている気持ちになれるとか

あの世とこの世を繋ぐ“場”が

お墓ということなんだと思います。





目には見えないことだからこそ

形や儀式が必要だったんじゃないかな、

今までは。






今まではって書いたのは

ご先祖さまや故人と繋がったり供養するのは

お墓である必要はないよね

だってそこに魂はいない

っていう考えを持つ人が

ここから先かなり多くなって

お墓の形もどんどん変わっていくような

そんな気がしてるから。




これはお葬式に関しても同じく、ね。

(既にお葬式に関してはここ数十年でかなり変化している事は私自身、実感しています。)





目に見える形が必要だった土の時代から

見えない物が優先される

風の時代に移行してるからこそ

変わっていく可能性が高いんじゃないかなぁと

感じたりしている今日この頃です。





補足として書いておきますが

お墓やお葬式が必要ないって事では無いですよ?

ただ、意識が変わっていくと

今在る形が変わっていくのが自然な流れですから





風の時代はここからまだ200年近くあるので

その中でゆっくりと変わっていくと思います。

なので、私が生きてるうちには

変化した先は見れないかもしれないですけどね口笛





何にせよ私たちは

時代の移行期という

大きな流れの中にいるんだなと

改めて感じたお盆でした。




MAKI